第8話 天の音に合わせる

 きらきらした獣や植物の怪物を退けながら、森を進む。私はやっぱり見ているだけだ。

 セッカの剣さばきは美しかった。剣での戦いを見たのは初めてだから、ほかの人と比べて強いかどうかはわからないけれど。

 しばらく歩くと木々の数が減ってきて、かすかに水音が聞こえてくる。

「川だー!」

 ミオが歓声を上げる。セッカも少し表情をやわらげた。

「やっと都が見えてきたね」

「都……」

 喉が鳴る。都ってことは、女王の宮殿もそこにあるんだ。

 森を抜けると、大きな川が見えてくる。ミオの言葉通りだ。川は大地を区切るように走っていて、透き通った水が流れている。

 幻影とは思えない光景に見とれていたけれど、しばらくしてはっとする。

「これ……川を渡らないと先に進めない?」

「そうだね。橋は――ないか」

 セッカがなんてことないように答えた。紫がかったピンク色の瞳がこちらを見る。

「今は一旦休もうか」

 息が少し上がっていることに気づかれていたらしい。正直言うと、足も痛い。なんだかんだ町の内外を走り回ることが多いから、体力はあるつもりだったけれど、そんな自信はたった半日で砕かれてしまった。

「うん。……ありがとう」

「気にしないで。僕も休みたかったから」

「ワイもお腹すいた~!」

 元気に便乗したミオを見て、つい二人で笑ってしまう。

 私たちは、人目につきにくそうな木陰を選んで体を休めた。セッカは、ミオに乾いたパンをあげて、私には水と小さな焼き菓子のようなものをいくつかくれた。食べてみると、カリカリしている。味が薄いかと思ったけれど、噛んでいるうちに甘くなってきた。

 ちびちびと食べている私をよそに、セッカはすぐに食べ終えた。かがみこんで、白っぽい物を拾い集めた後、すくっと立ち上がった。

 何してるんだろう? と見つめていたら、目が合う。私はあわてて口を開いた。

「セッカって、幻影の国に入る前は何をしていたの?」

 こんな保存食を持ち歩いているくらいだ。旅慣れているんじゃないか。そう思って、たずねてみた。答えはだいたい予想通りだった。

「旅、かな。もともと大陸を渡り歩いていたんだ」

「へえ……。行商や修行、って感じはしないけど」

 セッカは、ひそやかな笑い声を漏らす。

「そうだね。僕はどちらでもない。人探しをしているんだ」

「人探し? お友達とか?」

「どう……だろうね。仲がよかったわけではないと思う」

 なんか、ひっかかる言い方だな。私はつい、白い横顔を見つめてしまった。そんなとき、ミオがぱたぱたと私の真横にやってくる。

「そろそろ動いた方がいいんじゃないー? どうやって川渡るー?」

 お腹を満たした彼はご機嫌だ。……耳元で高い声を出すのは、ちょっと勘弁してほしい。

 不満が私の顔に出ていたのか、セッカがすぐさま「ミオ」と呼んだ。招いた鳥の頭を指でぐりぐりしながら、彼は川の方を見る。

「そうだなあ。ツチノネの力を使えば橋くらいは作れるけど……やめておいた方がいいか」

「うーん。ちょっと使うくらいなら、女王に見つかることはないと思うけどなー。この川に橋を架けるとなると、ちょっとじゃ済まないか」

 二人の会話の意味がすぐにはわからなかったけれど、少し考えて納得した。

 女王はアマノネ使いらしい。そのうえ、この国は女王が作った檻だ。『檻』の中でのアマノネやツチノネの動きは、彼女に感づかれてしまうのだろう。

「どうしようね」

「どうしよっかー」

 進展のない会話の後、セッカがあたりを見回す。

「ツチノネを使えば女王に気づかれる。かといって、代わりに使えそうなものも見当たらない――」

 つぶやいていた彼は、突然言葉を止めた。

 川の方からこぽこぽと音がする。

 ひょっとして――何かいる?

 反射的に後ろへ下がったとき。激しい水音がして、大きな影が川から飛び出した。

「うっきゃー! 今度はなんだよー!」

 興奮してあっちへこっちへ飛び回るミオ。その小さな体をセッカが優しくつかんで止めた。彼は相棒をなだめながら、突然現れた生き物を見上げている。

「ゲキリュウバシリ、か……?」

 影の正体は、大きな魚だった。私たちがよく想像する魚の形をしているけれど、少しほっそりしているような気もする。尾びれは大きくて、鱗の形はここからでは見えない。

 ゲキリュウバシリ。陽光の国では、南部でたまに見かけるという魚だ。名前は知っている。セッカが断言しない理由も、すぐにわかった。その魚は、流れが速くてにごった河に棲んでいるはず。澄み切ったこの川にいるのは、ちょっと変だ。……それに、ここまで大きくないと思う。いや、私は本物を見たことがないから、わからないけどさ。

に似せて作った幻影だね。女王様は、魚の生態には詳しくないみたい」

 落ち着いたミオが、セッカの手の中で羽ばたく。彼が指を広げると、その頭上くらいの高さまで飛び上がった。

 私たちを見下ろしていた幻影の魚が、口を開く。ずらりと並ぶ鋭い歯が見えた。

 あ、まずい。

 ゲキリュウバシリは確か――肉食魚だったはず。

「ナズ、逃げて!」

 セッカの声が聞こえると同時、走り出していた。激しい水音がして、空気が振動する。今、絶対、魚が飛びかかってきた!

 私は転がるようにして、近くの木陰に逃げこんだ。恐る恐る川の様子をうかがう。

 幻影の魚は、水から頭を出して、こちらを見ていた。その前で、セッカが剣を構えている。

 魚の顔が下に沈んだ。かと思いきや、すぐに飛び出す。噛みついてきた魚をかわしたセッカが、背中めがけて剣を振るった。けれど、魚は痛がるそぶりも見せない。それどころか、高く飛んで、大きな口先でセッカを弾き飛ばした。

「セッカ!」

 なんなんだ、あの魚。水の中じゃなくても、あんなに速く動けるなんて。

 なんとか体勢を立て直したセッカに向けて、魚が大きく口を開く。その中心に星のような光が集まりはじめた。

「きゃーっ! なんか来るー!」

 ミオが絶叫すると同時に、セッカが辛うじて着地する。彼が走り出したとき、魚の口から白い光線が放たれた。地面に直撃したそれは、霜のようにへばりついて、雪原のように輝いた。光じゃなくて物体だったのか。

「氷、ではないな」

「どちらかというと、鉱石っぽいよ! 当たったらどうなるんだろ、こわ!」

 ミオが叫んでいる間にも、魚がまた口を開いた。

 魚が休まず吐き出す白いモノを、セッカも休まずかわしつづける。その動きは踊りのようで、つい見とれてしまった。白い輝きの中を舞う男の子――まるで絵画みたいだ。

 ただ、その足もとを見れば、白と緑のまだら模様ができている。このままだと、川辺が銀世界になってしまいそうだ。雪というよりは、がちがちに固まった塩みたいだけれど。

「ん……? がちがち?」

 頭に浮かんだことを口に出して、はっとする。あの白いモノは、相当固そうだ。あれを川の中に吐き出させたら……飛び石や橋の代わりにならない?

 私が考えこんでいたとき、セッカが大きく跳んだ。ちょうど私のすぐ近くに着地する。

 幻影の魚が川に飛びこんだ。水から顔を出して、目をきょろきょろと動かしている。……セッカを探しているんだろうか。

 探されている本人は、私の方をちらりと見ると、すぐに駆け出そうとした。

 あわてて引きとめる。

「セッカ、待って! 話したいことがあるんだけど――」

 セッカが色違いの目を丸くする。そこへミオが飛んできた。私はふたりに、さっき考えていたことを話す。

「ほえ~! なかなかおもしろいこと考えるねえ~!」

 甲高い声を上げるミオの下で、セッカが真剣に考えこんでいる。ハラハラ見守る私の前で、彼はつと顔を上げた。

「悪くない考えだ。でも、あの白いのを活用するとなると、魚を倒さないようにしないといけないね」

「そうなの?」

「うん。魚にせよ獣にせよ、女王が作った幻影だから。彼らが消えると、彼らが吐き出したものも消えてしまうんだ」

 言われてみれば、きらきらの狼や花の怪物も、セッカが倒したら跡形もなく消えてしまった。幻影だからだったんだ。

「うまく川の中に攻撃させた後、倒しきらずに追い払うのが理想かな。となると……」

 セッカの目がゆっくり動いて、頭上の鳥を見る。ミオは、「へ?」とこぼして羽を動かした。数秒の無言の後、叫ぶ。

「ま、ま、まさか、ワイが囮!?」

「それが一番いいかなと思って。飛び石もない川の上で、魚と追いかけっこできるのは、ミオだけでしょ?」

 セッカはあっけらかんとしている。ミオは少し不満そうだったけれど、私たちがじっと見つめていると、しぶしぶ受け入れてくれた。

 作戦会議をしてから、私たちは川の方へ向かった。まずは、セッカとミオが前に出る。

「こっちだ、ゲキリュウバシリもどき!」

 よくとおる声が、初夏の風のように駆け抜ける。すると、魚が飛び出した。大きく口を開けた魚の前に、ミオが立ちはだかる。激しく鳴きながら、ちょこまかと飛び回った。

 魚は少しいらだっているようだ。いい感じ。

 ミオが川の方へ飛んでいく。同時に、セッカが私の方へ駆けてきた。

 狙い通り、魚はミオを追って泳ぎ出した。川面すれすれを飛ぶミオめがけて、白いモノを吐き出しつづける。白いモノは水に沈むことなく、その場でカチコチに固まった。

「うおおおお! 来やがれ、デカざかな!」

 ミオは悲鳴を上げながら攻撃をかわして、対岸めがけて飛びつづける。白い攻撃は彼めがけて繰り出されつづけ、じょじょに橋のような形を作り出した。

「よし、いい調子だ」

 私の隣に来たセッカが、剣を収めて私を見る。

「ナズ。集中して、耳をすませて。アマノネは聞こえる?」

 私は、唾をのみこんだ。木々と水の音に耳をすませていると、その間から、かたいものを針でひっかくような音が聞こえてくる。

 顔をゆがめながらもうなずくと、セッカはそっと私に寄り添った。

「いいかい、ナズ。その音は、命の音だ。草や木や、動物、人間――あらゆる命から漏れ出した力が、音となって僕らの耳に届いている。その音を頼りに命の力を操るのが、アマノネ使いやツチノネ使いだ」

 男の子のささやきと、高い高いアマノネに、じっと耳をかたむける。

「まずは、音を受け入れること。心地いい音も、聞きたくないような音も、命が奏でる音だ。ひきつけられず、耳をふさがず、ただ音を聴くんだ」

 私は眉間に力をこめる。

 正直、不快だ。逃げ出したくなるけれど、それではいけないとセッカは言う。

 まずは、ただ聴くこと。彼の言葉を心の中で繰り返して、私はアマノネを聴きつづけた。

 すると、音が少し小さくなった、気がする。水の中で水上の音を聴いているような感覚、というのが近いかな。

 その時を見計らったかのように、セッカがまた声をかけてくる。

「さあ、ナズ。思い出して。あなたが光を灯したときのことを。アマノネに合わせて何をしたかを」

 私はただ、その声を受け入れる。

 マセナの町で、道を歩いていて、アマノネを聞いた。そのとき、何をした?

 例えば、鼻歌を歌った。

 例えば、音に合わせて手を動かした。

 例えば――

 私は、無意識のうちに両腕を前に出していた。音が高くなったところで、ぐっと拳をにぎる。その音が小さくなったと感じたところで、ぱっと手を広げた。

 川の上で金色の光が弾ける。

「うわっ!」

 反射的に目を閉じた。そのとき、遠くの方でドボン、と激しい音がする。さわがしい水音は、だんだんと遠ざかっていった。

「うおー! やったね、ナズー!」

 ミオの明るい声がする。私は、恐る恐る目を開けた。

 川の中に魚の姿はない。ただ、白いカチコチのかたまりがいくつもつながって、こちらの岸とあちらの岸をつないでいる。

「これ、って」

「ナズが灯した光にびっくりして、魚が逃げ出したんだ。――作戦成功だよ」

 成功、という一言がじんわりと胸の中にしみこんでくる。私は、鼻と口のまわりにきゅっと力をこめた。それでも、頬はゆるんでしまうけれど。

「私……できたんだ。アマノネをちゃんと操れたんだ」

「そうだよ。おめでとう」

 セッカが満面の笑みを浮かべる。そうしていると、年頃の男の子そのものだ。

 二人して笑い合っていたところに、ぱたぱたとミオが飛んできた。

「お二人さん。仲良くするのはあとにして、川を渡っちゃおうよ。早くしないと、白いモノが消えちゃうかもよー」

 声をかけられて、はっとする。セッカも小声で「そうだね」と言った。なぜか、耳がほんのり赤い。

「行こうか、ナズ」

「うん。行こう」

 私たちは、カチコチの橋を渡るために走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る