第7話 言えない理由
私と、セッカさんと、ミオ。二人と一羽で森を抜ける。もちろん、道中にはさっきの狼みたいな奴がごろごろいた。
「来たよー!」
ミオが叫ぶ。その後すぐ、低いアマノネが響いた。
私とセッカさんが同時に振り返る。私のすぐ足もとから、緑色の触手が伸びてきた。男の人の腕くらい太い。
「ぎゃあっ!」
尻餅をついた私の横から、白い影が躍り出る。白銀の髪が冷たい風に舞った。
セッカさんが剣を薙ぐ。まっすぐな刃が触手――動く茎を叩き切った。
ざらざらした悲鳴が空を衝く。地面が盛り上がって、巨大な花の怪物が現れた。太い茎は花の手足だったのだ。紫の花弁がゆらゆら揺れて、中心で開いた口から乳白色の液体が垂れている。
ミオが飛び上がって、なぜか私の後ろに隠れた。
「ぴえええ! 人食い
「落ち着いて、ミオ。援護頼む」
いつもより少し低い声で言ったセッカさんが、地面を軽やかに蹴る。ミオは不服そうにしつつも飛び出した。
茎がすばやく動く。鋭い一撃を、セッカさんは横に跳んでかわした。地面をえぐった茎に飛び乗って、一気に駆けのぼる。
花の怪物が口を開けた。その中からどろどろした虹色の液体が飛んでくる。――唾液なのかなんなのかわからないけど、正直、気持ち悪い。
「うりゃー!」
ミオが羽を動かす。小鳥の羽ばたきとは思えない暴風が巻き起こった。液体が吹き飛び、細かい粒になって空気に溶ける。
それと同時、セッカさんが一気に前へ出た。軽やかに跳んで、花の口の中に剣を突き入れる。瞬間、花が青白い光に包まれた。陽炎のように揺らいで、消える。
セッカさんは空中で器用に体を丸め、着地した。かなり高いところから下り立ったはずなのに、羽根のような軽やかさだ。
「さ、行こう」
剣をさやに収めたセッカさんは、こちらを振り返ってほほ笑む。私は、こくこくとうなずいて、立ち上がった。お尻についた土と草を払って歩き出す。
「あの。ずっと戦ってくれてありがとう、セッカさん」
「呼び捨てでいいよ」と笑った彼は、まわりを見ながら続ける。
「戦いについても、気にしなくていい。あなたにけががないのが一番だから」
私は一瞬どきりとして、足を止めそうになる。最初の自己紹介のときといい、こっちが照れるようなことを自然と言うよね、この子。
「まーたセッカが女の子を口説いてるー」
「口説いてない」
似たようなことを考えていたらしいミオが、セッカのまわりを回る。セッカは目を細め、瑠璃色と白の鳥をじっとりとにらんだ。
やっぱり自覚がないのか。私は苦笑して、少し疲れた様子の男の子を見上げた。
「セッカも、無理はしないでね」
「……ありがとう」
彼はやっぱり、やわらかく笑う。けれど、わずかに見える色違いの瞳に宿る光は、どこか鋭かった。何か気になることがあるのか、たんに責任を感じているのか。
ほんとは、私もお手伝いができるといいんだけどな。
「せめて、もうちょっとうまくアマノネが扱えたらなあ」
つぶやくと、セッカが立ち止まった。ミオもその場で羽ばたきながらこちらを見ている。……しまった。
「ナズ、アマノネ使いなの?」
「アマノネに反応してる感じがしたから、まさかとは思ったけどー」
そうだ。ミオはさっき、アマノネとツチノネに敏感だと言っていた。セッカはどうかわからないけれど。
あわてて、顔の前で両手を振る。
「う、ううん。そんな大げさなものじゃなくて。時々『音』が聞こえて、運が良かったら光を灯せるっていうだけ」
「『聞こえる人』か。ツチノネの方は結構いるけど、アマノネでは珍しいね」
「アマノネ使いも数が少ないからねー」
顎に手を当てたセッカの隣で、ミオがせわしなくくちばしを動かす。
「でも、『聞こえる人』なら、力を抑えたり使いこなしたりするための訓練を受けてるんじゃないのー?」
「訓練なんて受けてない。町にアマノネ使いはいないし……私は中途半端なせいで、みんなから避けられてるから」
ミオが、ぴるる、と鳴き声を漏らす。セッカも眉を上げた。
「そりゃおかしいよ。『音』が聞こえるってだけでも崇められるものじゃんか。やれ神の使いだなんだって」
そういうものなんだ。確かに、ツチノネ使いの人がみんなから慕われているところは見たことがある。けれど、自分がその立場になるのはちょっと想像できない。
「私は……あんなふうにできないからなあ。今のところ、ただの不審者だし」
笑ってごまかすと、セッカが首をかしげた。
「もしかして、ご家族との関係もあまりよくないの?」
「そういうわけじゃない。ただ……」
つい、ふたりから目をそらす。
「お母さんは、アマノネがあんまり好きじゃないみたいで。アマノネの話をすると、嫌そうな顔をするんだ。だから、私がアマノネを聞けることは知ってるけど、細かい話はあんまりできてない」
――そのことに気づいたのは、五歳のとき。お父さんが亡くなってから時は流れていたけれど、まだお母さんはときどき悲しそうな顔をしていた、そんな時期だった。アマノネを聞いた私は、ウキウキとお母さんに報告した。ふしぎですてきな体験を知ってほしかったから。
そうしたら、お母さんはすごく驚いた後、顔をくしゃくしゃにして、怒鳴った。
『そんなもの聞いちゃだめ!』
ずいぶん昔のことなのに、この表情と言葉は、はっきりと覚えている。
『なんで? なんでだめなの?』
『なんでもよ! お願いだから――アマノネの話なんてしないで』
思えば、アマノネという言葉を知ったのもこのときだった。
私はそのとき、わけもわからず泣いてしまったと思う。その後どういう空気になって、いつ「普通」に戻れたかは、もうあんまり覚えていない。
頭ではわかっている。あのときのお母さんはまだ悲しみが薄れてなくて、余裕がなかったんだって。
でも、どれだけ自分に言い聞かせても、あのときの感情は消えてくれない。あれ以来、お母さんにアマノネの話ができなくなってしまった。話そうと思っても、泣きそうな怒り顔がちらついて、声が出なくなってしまうのだ。
セッカとミオには、詳しくは話さなかったけれど、何かを察したらしい。ミオは気まずそうに銀色の頭にとまっている。セッカは何か考えこんでいるようだったけれど、私の視線に気づいたのか、顔を上げた。
「何か事情があるんだね」
穏やかに言った彼は、歩きながら続けた。
「でも、やっぱりアマノネとのつきあい方は学んだ方がいいと思う。『音』が聞こえる以上、それを上手に制御できないと、とんでもないことになるからね」
「とんでもないこと……?」
詳しく教えてくれたのは、ミオの方だった。
「変に『音』を聞きすぎて五感がおかしくなったり、アマノネの力を暴発させて建物や人を傷つけちゃったりするんだよねー」
「ひえっ」
私は思わず体を抱く。鼻歌に呼び起こされた光を思い出して、ぞっとした。今までがいかに幸運だったかを実感する。
「それは、なんとかしないと……でも、教えてくれそうな人、いたかな……?」
さっきミオも言っていた。アマノネ使いは少ないって。
セッカも悩んでいるみたいで、足音にまぎれて小さなうなり声が聞こえた。私の問題に巻きこんでいるようで申し訳ない。
青白い光が満ちる森に、気まずい沈黙が広がる。それを払ったのは、羽ばたきと高い声だった。
「セッカが教えればいいんじゃない?」
あっけらかんとした言葉に誘われて、私とセッカは鳥を見上げた。その後、お互いを見る。セッカは両目をみはって、口を半開きにしていた。たぶん、私も似たような表情なんだろう。
私より早く我に返ったセッカが、軽く頭を振った。
「僕は、どちらかというとツチノネの方が得意だから、ナズの参考にはならないんじゃないかな?」
「でも、基礎は一緒でしょ? ここで教えちゃえば、ナズも戦力になるかもだし」
「待って待って。戦力にするのはだめだよ。何のためについてきてもらってると思って――」
ふたりのやり取りを聞いていた私は、そこで身を乗り出した。戦力、という言葉が、満月の光くらい魅力的だった。
「迷惑じゃなければ、教えてほしい……! セッカみたいな戦いはできないけど、少しくらい役に立てるかもしれないし!」
「おっ。やる気満々でいいねー」
ミオがぴるぴるとさえずる。人間だったら口笛を吹いているところだろう。対するセッカは唖然としていた。私とミオを見比べた彼は、前髪をかき混ぜて顔をそらした。
「…………ちょっと、考えさせて」
彼は、うめくように言う。
あっ。無理を言ってしまったかな。身構えた私を見て、セッカは手を挙げた。
「あなたに教えるのが嫌ってわけじゃないんだ。ただ、人に教えた記憶も経験もないから……やり方を考えさせてほしい」
彼の言葉は、どこまでもまっすぐで、透明だ。
「あ、ありがとう! よろしくお願いします!」
肩の力が抜けた私は、今日何度目かのお礼を言って、頭を下げた。
小さくうなずいたセッカが、ふと遠くを見る。私も、低い笛のようなアマノネに気づいて後ずさりした。
立ち並ぶ木々の間から、きらきら輝く狼が出てくる。しかも、一頭じゃない。見えるだけでも三頭はいたし、それ以上の気配もある。私は息をのんでしまったけれど、そばのふたりはひるんでいない。
「――まずは、この子たちにお帰りいただこうか」
セッカが低くささやいて、ゆっくりと剣を抜いた。
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