第21話 一人だけ、生きていた
『これ…バリゲードなのか…』
彰宏はそう言うと、独りでバリゲードをどかし始めた。
ガタガタ、と重たい物音だけが遊戯室に響く。
『あれ?彰宏さん?』
『ちょっと…もう…今度はなんなんすか…?』
『……取り敢えず戻ろう』
裕太たち三人は、廊下の中程でその物音を聞きつけ、足早に遊戯室へと戻った。
『彰宏さん?もうそろそろ…』
入口から裕太が声をかける。
『あっ!裕太さん!ここにドアがあります!
これ、バリゲードなんじゃないですか!?』
彰宏は、ドアの前を塞ぐ大きなテーブルを押していた。
だが、上には椅子や備品が乗ったままで、びくともしない。
『!!!』
裕太はその言葉を聞いた瞬間、猟銃を床に置いて駆け寄った。
『えっ…バリゲード…?』
『そういうことか!!
直樹、お前はそこで外の様子見張ってろよ!』
『えぇ!?あぁー!ちょっと浩平さん!?』
浩平もすぐに裕太の後に続く。
直樹はあたふたしながらも窓際へ移動し、外を警戒しつつ、三人の様子を何度も振り返った。
『取り敢えずこの椅子下ろしましょう!
浩平、そっち持てるか?』
『おうよ!』
『すいません、ありがとうございます…!』
三人は手早くテーブルの上の荷物を下ろし、ドアの前からテーブルをどかした。
互いに一瞬だけ視線を交わし、ドアノブに手を掛ける。
キィィィィ……
ゆっくりと、音を立ててドアが開いた。
そこは、ステージ脇に備え付けられた物置部屋だった。
段ボール、体操マット、跳び箱、平均台。
その奥、はめ殺しの小窓の下。
十人ほどの子どもたちが、体操マットの上で身を寄せ合うように横たわっていた。
閉め切られた室内には、カビのような匂いと、排泄物が混じった異臭がこもっている。
『!!!大丈夫か!?おい!!!』
三人は、光景を目にした瞬間、なだれ込むように中へ入った。
『おい!!おい!!大丈夫か!?』
声を掛け、肩を揺らし、抱き起こす。
外傷はない。
だが、どの身体も白く、冷たかった。
手首に脈はなく、呼吸も感じられない。
『おい!おいって!!頼むから!!返事しろ!!!』
裕太と浩平は、次第に状況を理解し、その場に立ち尽くした。
そして残ったのは、彰宏の必死な声だけだった。
『…彰宏さん…』
浩平が、そっと肩に手を置く。
『…離してください…』
彰宏は肩を振り払い、別の子供を抱き上げて揺さぶった。
『…彰宏さん…』
再び、肩に手が置かれる。
『…やめてください…』
彰宏は片手でそれを払いのけた。
『…!…彰宏さん…もう…やめましょう…
………みんな…死んでます……』
浩平の声は震えていた。
『まだ分かんないじゃないですか!!
はやく連れて帰れば、医者に…千葉先生に診せれば、
まだ間に合うかもしれない!!!』
子供を抱えたまま、彰宏が立ち上がろうとした、その瞬間。
『彰宏さん!』
浩平が呼び止めたその直後、裕太が前に出た。
パァーン!
彰宏の頬を叩いた乾いた音が、狭い室内に響いた。
『お…おい裕太…』
浩平が戸惑う中、裕太は彰宏の胸ぐらを掴み、引き寄せる。
『……いい加減にしろ…!!
…まだ…分かんないのか…!!』
『………うわぁぁぁ!ああぁぁぁぁぁ!!』
彰宏は崩れ落ち、子供を抱いたまま床に膝をついた。
『ごめん…ごめんな…うぅ……
ごめんなぁ!!許してくれぇぇぇ!!』
名前も顔も知らない子供の頭を撫で、強く抱きしめる。
『………っ!』
浩平も感情を抑えきれず、袖で涙を拭った。
『もう…俺たちは十分役目を果たした…
あとは…生きて帰るだけです…!!』
裕太は涙を浮かべながら、彰宏の肩を強く握った。
『……はい……』
彰宏は、絞り出すように答えた。
物置部屋には、空のペットボトルも、食べ物の袋さえも残ってはいなかった。
突然押し入った羆。
大人たちは必死に子供を守り、この部屋へ押し込んで入口を塞いだのだろう。
だが、水も食料も用意する時間はなかった。
悲鳴と唸り声の中で、
大きい子は小さい子の口を塞ぎ、耳を塞ぎ、抱きしめた。
ただ、静かになるのを待ち続けた。
助けが来るのを、ひたすら待ちながら。
そして寒さと飢えと渇きの中で、寄り添うように眠った。
三人は見ていない。
ただ、残された状況から、そう想像しただけだ。
それでも、心を砕くには十分すぎた。
『行こう…』
裕太の声に、浩平と彰宏は無言で頷いた。
物置部屋を出ると、直樹が猟銃を抱え、心細そうに立っていた。
『ど…どうでした…?』
『…子供たちがいた。でも、全員ダメだった…』
『…中には水も食料もなかったんだ…』
『え………それって…………餓死ってことですか…?』
『………』
三人は無言で頷いた。
『そんな……
じゃ、じゃぁ…もう少し来るのが早ければ……?』
『……そうだな…』
裕太は伏目がちに答えた。
『…どうする…ここ…?』
『…元に戻そう…
命を賭けて守った場所だ…
この子たちだけは、絶対に渡してはいけない…』
『…そうだな…』
『…はい…』
三人は、最後にもう一度だけ中を覗いた。
時間が止まったように、子供たちは寄り添ったまま動かない。
『ごめんな…』
彰宏が呟き、ドアを閉める。
キィィィィ……
───その時。
『…ケホッ…』
小さな、微かな咳が、部屋の奥に確かに聞こえた。
『え……?』
『いま……』
『……!!』
三人は一瞬固まり、次の瞬間にはドアを開け放っていた。
『生きてる!聞こえた!生きてる!!!』
『誰だ!?どの子だ!?』
『直接胸に耳当てろ!!』
一人ずつ、心臓の音を探す。
『…ちがう』
『こっちも…』
『……静かに…!』
彰宏は、一番幼い男の子の胸に耳を押し当てた。
……
…クン…
…トクン…トクン…
『生きてる!!!』
『……っしゃああああああ!!』
三人は思わず抱き合った。
絶望の底に唯一残された、今にも消えそうな僅かな希望。
彰宏は男の子を慎重に抱き上げた。
小さな身体は軽く、力なく、ぐったりとしている。
『大丈夫か!?聞こえるか!?』
彰宏は歩きながら、何度も声をかける。
返事はない。
だが、先ほど確かに感じた鼓動が、まだ腕の中にある気がした。
『直樹くん!そこに落ちてる毛布とって!!』
『え!?あぁはい!』
彰宏は男の子を抱えて遊戯室に出ると、大声で直樹を呼んだ。
直樹は慌てて猟銃を床に置き、遊戯室の隅に落ちていた毛布を掴んで駆け寄る。
彰宏はその場にしゃがみ込み、男の子を床に寝かせると、
震える手を必死で抑えながら、毛布で包み込んだ。
毛布を重ねるたびに、
「まだ生きている」という事実が、
逆に壊れやすいものとして突きつけられる。
『……よし……』
彰宏は再び男の子を抱き上げる。
『マジで…マジで生きてるんすか、この子!?』
直樹の声は裏返っていた。
『あぁ…!
この子だけは、絶対に助ける!!』
『は…はい!!』
裕太と浩平は、その間にも遊戯室へ戻っていた。
『急げ、元に戻すぞ!』
『分かってる!』
二人は無言で役割を分担し、
さっきどかしたテーブルを再び引きずり戻す。
ギギ……ガタン……
床を擦る音が、やけに大きく響く。
椅子を乗せ、備品を戻し、
元の形をできる限り再現する。
『……よし』
裕太は一瞬だけ物置部屋の方を振り返った。
ドアの向こうに残した子供たち。
そこに、もう時間は流れていない。
『………行くぞ!』
『あぁ…!』
彰宏は、男の子を抱えたまま、遊戯室の中央で立っていた。
『……準備できました!』
『よし、このまま玄関から出る』
『軽トラまで一気に行くぞ!』
四人はそれぞれの装備を片手に、男の子を囲みながら玄関へと走った。
裕太が鍵に手をかける。
ガチャン……!
鍵の音が、異様なほど大きく感じられた。
『……開いた!行くぞ!』
ドアを開けると、冷たい外気が一気に流れ込んでくる。
四人は園庭へ飛び出した。
軽トラまでの距離は、およそ二十メートル。
だが、その二十メートルが、
異様に遠く感じられた。
――その時。
ガシャアアアアン!!
『…!?』
『なんだ!?』
突然、園庭に響く金属音。
全員が反射的に立ち止まる。
フェンスが、大きく揺れていた。
『フェンス…!?』
浩平が困惑した声を上げる。
『しっ……!』
裕太が、男の子を抱えた彰宏の前に手を出し、制した。
……静寂。
風の音すら、聞こえない。
……ジャリ……
……ジャリ……ジャリ……
砂利を踏みしめる、重たい足音。
一歩。
また一歩と、
確実に、こちらへ近づいてくる。
ドクンドクン……
ドクンドクン……
直樹は、自分の心臓の音が耳の奥で反響しているのを感じていた。
呼吸が浅く、速くなる。
手足の感覚が、少しずつ遠のいていく。
園庭に停めてある車の向こう。
その隙間から、
黒い影が、ゆっくりと姿を現したその時、
『……羆……』
直樹が、かすれた声で呟いた。
まだ名もない物語 GERO @geromadanamonai
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