[短編]終わった世界が肌に合う

ゆらゆら

第1話 世界が終わって始まった

 退屈な世界が終わった。新鮮な世界が始まった。



 いつも通りに目を覚まし、郵便物の確認の為に玄関へ向かう。何も無い事を確認したら昨日干した洗濯物を取り込みに行く。


 寝惚けた足でふらふらとしながら廊下を歩き、机と椅子とソファーが置かれた簡素なリビングへと入る。


 跳ねた髪を揺らしながらこの後の事を考える。

 パンをトースターに入れて、お湯を沸かしてコーヒーの用意をする。

 テレビは使わなくなったのでスマホで今日のニュースを確認しながら食事をして歯磨き。

 スーツに着替えたらいつも通りの道で出社。


 はぁ。今日もいつも通り。何年も過ごして来た毎日を送る。一日のサイクルそのものがルーティーン。ルーティーンを終えるとルーティーンが始まるので終わらない。


 くだらない思考をしている俺の目はきっと死んだ魚の様な目をしているんだろうな。


 リビングの閉じ切られたカーテンを開け放つと、灰色の空、灰色の街並み、全てが壊れた世界が目に映った。



 その瞬間——ルーティーンが崩れた。毎日が壊れた。俺の知らない世界が始まった。


 焦点を手前に持ってくれば、窓に映る俺の顔が見える。

 瞳が輝いている。見開かれている。ただそれだけなのに、とても生き生きとして見えた。


「俺は……こんな顔が出来たのか」


 世界が色付いて行く。灰色だった世界が、灰色の世界へと変わっていく。

 決して美しい光景では無かったが、胸が高鳴った。心が弾んだ。早鐘を打つ鼓動が好奇心を急かす。


 これが希望から来たものなのか、絶望から来たものなのかは分からない。でも、今はとにかく窓を開け放って新たな世界の息吹を感じたかった。


 窓のロックを外し、カラカラと音を立てながら横に引く。嗅いだ事のない匂いが鼻を抜け、生ぬるい風が肌をくすぐる。

 細かく震える手で網戸を開けると、サンダルを履いて洗濯物を除けながら手すりへと手を掛ける。


 俺は年甲斐も無く手摺に体重を掛ける様にして世界を覗き込んだ。


 倒れて鉄筋が見えるビル。

 屋根が地上にある一軒家。

 盛り上がってヒビ割れたアスファルトや、ポッキリと折れた電柱。

 電気はどこも付いておらず、人の生活感がまるで感じられない。


 それに人は愚か動物の影すら見えず、まるで世界に一人になってしまったかの様。


 とても不思議な感覚。何故か落ち着きを覚えてしまう。

 崩壊した街並みを見てこんな感想を抱く俺と言う人間は、やはりどこか壊れているのだろう。


 寝癖も寝巻きもそのままに、玄関から家を出て、階段を降りてマンションからも出る。


 振り返れば至る所にヒビの入った新築だったマンションが映る。崩れずに居たことが不思議なくらいにボロボロだ。


 俺はその光景を理解した上で、知らない世界を探索する。


 倒壊した家が道にまではみ出し、その道も陥没していたり隆起していたりで非常に歩きにくい。

 電柱が倒れた事で漏電し続ける電線も垂れ下がっている為、思った以上に危険だった。


 危険だったが、足は止まらなかった。


 瓦礫に足を掛けて登り、知らない家の塀の上を歩く。

 道が崩れて千切れた白線の上を跳ねながら踏んで行き、路地を抜けて大通りにまで出てみた。


 吹き抜ける埃っぽい風が髪を後ろへ撫で付け寝巻きの裾をはためかせる。


 片側二車線の大通りは見るも無惨な姿を晒し、街路樹は根こそぎ倒れ、空を這う電線は一本も無く、灰色の広大な空を邪魔する物は無く、街は荒廃し切っていた。


 俺は歩いた。障害物だらけの道を歩き、車道の真ん中を歩き、鮮やかな灰色の空を見上げながら歩いた。


 ふと喉が渇いてコンビニを探す。店の中はぐちゃぐちゃで、窓も全て割れている。電気が付いていない事から生ものは食べられ無さそう。水やお茶は大丈夫だろうしまあ良いか。


 コンビニの自動ドアを手動でこじ開けて通るが来店音は鳴らない。日常にはあった物が無いと言う非日常にときめきながら、飲料コーナーへと向かう。


 多種多様な商品が棚から落ちて通路に散乱しているが、それらを退けて進んでいく。

 水などが入っている冷蔵棚のドアを引っ張り開けると、既に壊れ掛かっていたのかドアごと取れてしまった。


 重過ぎて持てないドアをその場に落として水を一本拝借する。

 人も居ない、電気も無い、壊れ掛かった店。そんな店の商品を無断で持って行くのは犯罪なのだろうか? もしこの非日常から救助された場合に俺は罪に問われるのだろうか?


 思考が日常へと切り替わろうとすると世界が灰色に塗り潰されていく。


 それが嫌で、怖くて、俺は手に持っていたペットボトルのキャップをその場で開けた。


 世界はまたも鮮やかな灰色へと変わった。


 いけない事をした。やってはいけない事。店で、店の物を、金を払わずに開封してしまった。

 俺は恐る恐る口を付け、温くなった水を口に含んで————飲み込んだ。


「…………美味い」


 コンビニを出る。

 きっと必要に駆られていつかまたここに来てしまうのだろうが、その時はこのコンビニに世話になろう。


 ある種の感動を覚えはしたが、あの緊張感は苦手だ。心臓に悪い。


 大通りに戻って車道のど真ん中で寝転ぶ。


「新鮮だ。あぁ……楽しい」


 誰も居ない終わった世界が、ただただ心地良かった。


 眠たくなった俺は、車道の真ん中に寝転がったまま眠った。





 目が覚めるとベッドの上に居た。

 寝室から出て郵便を確認し、リビングへと向かう。


 締め切られたカーテンを開ければ——そこには見慣れた灰色の日常が広がっている。


 トーストを食べてコーヒーを飲み、ニュースを確認したら歯を磨き、着替えて出社する。そんな日々が待ち受けている。


 ……俺は、職場に休む旨を連絡した。

 読んでいなかった漫画を手に取り、ソファに寝転びながら日常の雑踏を耳にする。


 体調なんて悪く無い。心配の連絡が飛んで来ているがそれも無視して、多くの人が動き始める中で俺はソファで漫画を読む。


 ……少しだけ、鮮やかな世界が見えた気がした。


 今日はこの後何をしようか。

 少し高鳴る鼓動を心地良く感じながら、取り敢えずコンビニに水を買いに行こうと思った。

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