Brekky
B・輪太
Brekky
カララン、と玄関の方から音がした。寝起きの悪い目で、友人からもらった魚のぬいぐるみの不細工な顔を堪能している時だった。ポスティングかと思ったが紙が落ちる音ではなかったし、こんなに朝早くからするのだろうか。
確認しに行こうか。ああ、でも毛布から出たくない。此処まで億劫になるのは面倒臭さだけではない。寒い。とても寒い。こうなるともう動けないし、動けても動きたくない。
ただ、このまま終わる私ではない。私は立派な大人だから自制心があるんだ。このままダラダラしてちゃ駄目だってことくらいわかっている。これからはよりしっかりすると昨日誓ったばかりだ。
まず、ベッドから転げ落ちないように慎重かつ迅速に脱出。そのまま足を止めずに玄関に向かう。廊下は寝室とは比べ物にならないほど寒く、首の裏から電気が流れているみたいにブルブルと身体が震える。
ドアについた郵便受けを開けると、リボンが巻かれた、木製のスプーンが二つ入っていた。
「何故スプーン……」
綺麗に丸く削っていて、少し底が深い立派なスプーンだ。あまり目立たないが、それぞれ大きさや形が違うから手作りなんだろう。リボンは不慣れなのか、左右のバランスが悪く形が歪だった。
ふと、スプーンが裸で入っていたことが気になった。宅配じゃなくて直接入れたのか。お礼を言わなくては。玄関の壁に掛かったコートを羽織って外に出る。私の部屋は少しくたびれたアパートの二階にある。走ったり車に乗ったりしたら音でわかるから、スプーンの送り主はまだ近くにいるはずだ。
急いで下に降りて通りを左右見渡すが、早朝だからであろう、人の気配が微塵もしなかった。こんなにも人がいないと、なんだかうずうずしてくるな。
しばらく探し回っていると、ポツポツと頬や手の甲に冷たさを感じて足を止める。少しずつ雨が大粒になり、フードを浅めに被って少し歩くが、空を見るとどんよりと景気悪い雲ばかりだったため、諦めて引き返すことにした。
最初は小走りで帰ろうとしたが、知らぬ間に少し遠くまで出てきてしまったようで、小走りだと家まで十数分かかると悟り、寒さに身を震わせながら歩くことにした。
歩いていて気づいたが私は雨が好きなようで、雨の中を一人で歩いている自分に浸ってまたもやうずうずしている。その証拠に、カッコつけてコートの深いポケットに手を突っ込んで、中で二本のスプーンをカチカチと転がしている。
家まで半分くらい引き返して、雨も少しずつ元気になってきた。「このままだとまずい。やっぱり走ろう」と駆け出した時、後ろから「フーーン」とピッチの高い鳴き声が聞こえた。
振り返るが人っ子一人おらず、その代わりにリボンが巻かれた緑色の傘が道の端に落ちていた。これはもしやと思い、ポケットからスプーンを取り出して確認してみると同じリボンが巻かれていた。
道の奥に向かって「これもくれるの?」と問うと、さっきより短く「フン」と鳴いた。なんとなく了承の意味に感じたので、傘を手に拾って開く。想像以上に勢いよくパッと開いて、視界いっぱいに緑色が広がる。
全体は綺麗で鮮やかな深い緑で、その中を淡く明るい緑が脈のように走っていた。骨や持ち手は木でできていて、丈夫でしっかりとしているが、柔らかくて、軽くて、なんていうか魔法のような傘だった。そして何より大きめなのがうれしい。
「ありがとうございます。大事に使いますね」
傘をさすと同時に雨脚も強くなり、バスバスと音を立てて傘の上で撥ねているのを手に感じる。雨音で聞こえづらいが、その奥でまた「フーン」と鳴いている気がして、声がした方向にお辞儀をする。
傘をもらってから三分くらい歩いて、とうとうお腹が空いてきた。朝食はどうしようか。たしかお母さんから野菜が届いてたはずだ。スープなんていいんじゃないか。ニンジンにするかカボチャにするか、トウモロコシもあったな。
そういえばこの傘、なんていうか、心なしかカボチャに似てるな。小間が深緑で石突きが木でできてるから、上から見たらほとんどカボチャじゃないか。カボチャスープにするか。それがいい気がする。スプーンも使えるしそうしよう。
部屋に帰ると、ほんのちょっと現実を感じて安心する。でも、さっきまでを夢とするには、傘立ての緑の傘とポケットの木のスプーンは暖かすぎる。暖かいから夢なのか。わからないし、考えるのも何か違う気がする。とりあえずカボチャだ、カボチャカボチャ。
カボチャの呪文を唱えながら極寒の廊下を突き進み、寝室の前を通ってリビングにたどり着く。テレビ台の前に置かれたダンボール箱には、土まみれのジャガイモとタマネギが入ったビニール袋、新聞紙に包まれたトウモロコシ、そして圧倒的存在感を放つカボチャが詰まっていた。三玉で箱内の半分を占めるほど大きなカボチャに、思わずヘラヘラとしてしまう。
「よくぞ育ってくれたな。美味しくいただかせてもらうぞ」
そう言って、コートを脱いで近くのソファーに放り投げ、カボチャを一玉取り出してキッチンに向かう。
一拍おいてカボチャに目をやると、その圧迫感に息をのむ。どうしてこんなにでかいのか。なんとなくまな板に置いてみるが、どこから手を付けたらいいのかわからない。
とりあえず電子レンジに入れてみることにした。チンしてからのほうが調理しやすい、って前に誰かが言ってた気がする。心配になるくらいギチギチに詰められたカボチャに敬意を込めて扉を閉め、六百ワット五分であたためスタートのボタンを押した。
待っている間に鍋に水とコンソメを入れて火を点けると、急にやることが無くなってしまった。ふと暇な数分ができ、ぼうっと窓の外を見る。
あの鳴き声は何だったのだろう。よくよく思い返してみると聞いたことがある鳴き声だ。子猫みたいでどこか違う、すごく愛嬌のある鳴き方。
チン、と元気よく電子レンジが鳴いて我に返る。最近買ったばかりのこの子は実家のものと違って、大きな音で知らせてくれるから毎回びっくりさせられる。
扉を開けると、熱気の奥から心なしか甘い匂いが流れてくる。カボチャは入れる前より少し艶が出ており、まだダンボールの中にいる兄弟よりも健康的に見えた。
何者も寄せ付けんとするアツアツのカボチャに怯むこともなく、腕を少し縮めて、余ったトレーナーの袖を駆使しながらまな板まで運ぶ。
たしか、まずはヘタを取るはずだ。でも、一人暮らしを始めるまでろくに料理をしたことがない私にはどうすればいいのかわからないし、そもそもカボチャはめちゃくちゃに熱いし。こんなのほとんどモンスターじゃないか。
サルみたいな包丁捌きでヘタをくりぬいた後、半分に割って種を取り出し、四分の一を適当な大きさに切って、あとちょっとで沸騰しそうなお湯に放り込む。
またやることが無くなって、あの鳴き声のことを考える。ずっと昔に聞いてた気がするのに、もうちょっとで思い出せそうなのに。ここまで思い出せないということはペットになるような動物じゃないだろうし、聞いたのが昔だから山の動物だと思う。
だんだんボワボワと沸騰してきたので、弱火にしてお玉でカボチャを潰す。お玉の腹に押され、カボチャがポクッとはじけて鍋に黄色が広がった。
「あ、タヌキか」
急に頭が澄んだ感覚がした。そうだタヌキだ。あの「フーン」っていう高い声。耳に残ったその面影になんだか安心する。なんでだろう。
ポクッ。ああ、私タヌキと友だちだった。まだ幼稚園くらいの頃に、家の裏の山からあの子がケガして降りてきて、お世話してたら仲良くなったんだ。田舎すぎて近くに同年代がいなかったからずっと遊んでたなあ。
ポクッ。あの子、いっつも私のまねっこをしてたなあ。スプーンと傘についてたリボンも、昔私があげたプレゼントにつけてたからかな。そういえばいつから会わなくなったんだっけか。
ポクッ。そうだ、中学に入ってからだ。通学用に電動自転車を買ってもらって、隣町まで出かけられるようになったんだ。それからいつの間にかあの子を見なくなった。でもなんで忘れてたんだろう。
ポクッ。たぶんあの子は化けダヌキで、あの子に化かされてたんだ。そして、私にあの子以外の友だちができたから、少し遠くから見守ってくれてたんだ。
気づけばカボチャがすべて潰れていて、ドロドロに溶けたカボチャがポコポコと呼吸していた。火を止めて牛乳を入れ、全体に行きわたるように軽く混ぜる。
ソファーに放ったコートからスプーンを取り出して軽く洗い、食器棚から底の深いスープカップを取って、完成したカボチャスープを注ぎ、リビングのソファー前にある丸机に運ぶ。換気扇の調子が悪いせいか、家中にカボチャの甘ったるい匂いが立ち込めている。
ソファーを背もたれにして地べたに座り、手を合わせる。あの子にお礼を言いながらいただきますをしようと思ったが、あの子の名前を思い出せない。もう少し多くカボチャを使えばよかった。
「ありがとうタヌキちゃん。いただきます」
あの子にもらったスプーンがグングンと潜っていき、私のお腹がカボチャスープを歓迎するように低く鳴った。吹いて冷ましながら口に運ぶと、とんでもない甘さに顔がニヤつく。具が無くシンプルすぎて、少し物足りなさを感じる。
そういえば、なんでこんな真冬に来たんだろうか。あの子は早起きだな。まだ他の動物は冬眠中だろうに。化けダヌキには関係ないのかな。
残り三口くらいになって窓の方を見ると、雨が止んで日が出てきており、結露が光を反射していた。どこかで「フーン」って鳴いた気がして、ご機嫌にしっぽを振り回すあの子が目に浮かぶ。昼からは暖かくなりそうだ。
Brekky B・輪太 @bommrinta
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