信じぬ者に、神は降る

@tomori_0x2a

第1話 鳥居の向こうに

神なんて、いるわけがない。


 それが、俺の立場だった。


 願えば報われる? 信じれば救われる?

 ――そんな綺麗事で回るほど、この世界は親切じゃない。

 運が悪ければ、誰だって簡単に転がり落ちる。ただ、それだけの話だ。


「おい照真〜! 早く来いって! 神様にお願いして、パチ勝って焼肉だろ?」


 友人の圭吾が、コンビニ裏の駐車場から手を振っている。

 その背後――そこに、場違いな光景があった。


 赤いペンキの剥がれた鳥居。

 注連縄は風化し、草の侵食すら受けている。

 石段の奥には、小さな社のようなものが見えるが、もはや廃墟と呼ぶのがふさわしいほどに朽ちていた。


「こんな場所に、神社なんかあったか?」


「地元じゃ“逆転の稲荷”って呼ばれてるんだよ。有名だぜ? マジで当たるらしい」


「またネットの噂か」


「“神頼みで人生爆勝ち”ってまとめ、バズってたんだって。すげーぞ」


 根拠ゼロ。

 そもそも“爆勝ち”なんて単語を真顔で使う時点で、信用に足る話ではない。


 ただ、どうせ暇だった。

 それに、こういうバカなノリに付き合うのも嫌いじゃない。


 俺はため息をひとつついて、鳥居の前に立った。


(くだらねぇ……)


 一歩、石段を踏みしめた瞬間――空気が変わった。


 風が、止んだ。


「……邪な願いの匂いがするのぉ」


 誰の声だ?


 耳ではない。頭の奥、感覚そのものに直接、言葉が差し込まれてきた。


 ぞくりと背筋が粟立つ。反射的に周囲を見渡す。

 社の奥――杉の木が、風もないのに揺れた。


 そこに、“それ”はいた。


 銀白の髪、金の瞳。

 夜明けの空を思わせる色の着物。

 九本の尾を揺らしながら、静かにこちらを見つめている。


 狐。だが人でもある。不確かな境界を持つ存在。

 それは、まるで“神”そのもののように、そこに立っていた。


 俺の足が、無意識に一歩、後ずさる。


「……圭吾。あそこに、誰か……」


「は? どこ?」


「あの木の下……狐みたいな……変なのが――」


「何言ってんだお前。そんなもんいないって」


 圭吾は呆れたように笑った。

 その顔に、嘘の気配はない。

 ――見えていない。本気で。


 だが、あの存在は、俺をまっすぐ見ていた。


「……ほう。見えるか」


 今度は、確かに“耳”で聞こえた。

 だが、同時に脳を揺さぶられるような響きも残っていた。


「お前、“信じぬ者”じゃな?」


「……あ? いや、だから誰……」


「名乗ろうかの。我が名は――宇賀ノ狐神・明月」


 ゆっくりと、そいつは歩み寄ってくる。

 足音はないのに、こちらに近づくたび、空気の密度が変わっていくのがわかる。

 目の奥に直接、存在を刻みつけられるような感覚だった。


「忘れ去られし神よ。……そして、お前は、“見る者”じゃ」


 意味はわからなかった。

 でも、わかってはいけないものに触れてしまった、そんな直感があった。


 息が詰まり、喉の奥が焼けるように熱くなる。

 体温が落ちていく感覚。いや、世界の温度そのものが変化していたのかもしれない。


 そのとき、再び風が吹いた。

 だが鳥居の向こう――社の敷地内だけは、まるで時間が止まったかのように、静寂に包まれていた。


 圭吾の声が、遠くから届く。

 けれど、それはもう、別の世界からの残響のようにしか聞こえなかった。


 


 信じてはいない。

 今も、そう思っている。


 けれど――“見えてしまった”。


 それだけで、もう戻れない気がしていた。

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