うそつきのしんじつ

「世界で一番好きっていうから、付き合ったのに」


 ジョッキのビールを飲みほして、ぼやく。聞いていた友人は苦笑いして「まあまあ」と特段思いのこもっていない声色で宥めてくる。


 友人は、私と彼氏の共通の友人だった。だから、彼氏のほうの事情も知っていると思って、愚痴の相手に選んだ。


「嘘じゃないでしょ。あいつ、付き合う前から君のこと世界一好きだってうるさかったよ」


 友人はそういうが、私は首を振って、その意見を否定する。そうして、今日あった出来事を説明する。

 今日は飲みに行く、と言っていた割に早い帰宅だった彼は、ずいぶん酔っていた。悪酔いしていないか心配だったのに。

 ソファにつっぷした彼が、小さく零した。


「はるこさん、すきだ」


 酒でぼんやりとした雰囲気とは違い、彼はその言葉をはっきりと口にした。


 はるこって、誰。


 私の名前にいっさいかすっていない女の名前に、思わず顔がこわばる。

 すきだ、すき、好きだ?


「……世界一?」


 よせばいいのに、そう問いかけてしまった。彼が私によくささやく、世界一好きだって言葉が、耳に残っていたから。


「うん……」


 そうして眠ってしまったのだ。幸せそうな顔をして。


「しんじらんないでしょ」


 だから、こうして飲みにでてきた。そうじゃないとやってられないと思った。

 いつもだったら酔いつぶれた彼にあたたかい毛布をかけてあげて、ゆっくりおやすみと電気を消してあげるけど、ぜんぶ放って家を出てきた。


「もうお別れかな……」


 鼻をすする。突然のことで、心は混乱したままだけど。他に好きな相手がいる彼と、未来の約束事なんてできないから。


「いや、待って待って、待ってあげて」


 友人が焦ったように両の手を顔の前でぶんぶんとふった。


「教えてあげるから、その判断はあとでもいいと思うんだ」

「教えるって、なに?」

「実はあいつさあ、最初、君の名前誤解してたんだよね」

「……どういうこと?」


 友人の言葉を飲み込むのに、多少時間が必要だった。


「あいつが君に惚れたきっかけ知ってる?」

「うーん、最初は私のバイト先のカフェでみかけたって聞いたような」


 彼は照れるから、なんて言って詳細は教えてくれなかった。


「うん、そんでそのとき、思い切って君の同僚に君の名前を尋ねたんだって」


 それは知らない話だった。同僚からも聞いたことがない。


「で、その同僚は君は『はるこ』だって言ったんだって」

「はるこじゃないけど」

「あのころのあいつ、舞い上がって挙動がおかしかったから、同僚も個人情報を教えるのためらったんじゃないかな」

「え、ええ……」

「だから考え直してやって」


 友人の言葉を聞きながら、私の思考は酒と一緒に脳をぐるぐるとかき混ぜられていく。毛布をかけずに残してきた、彼は風邪をひいていないだろうか。それだけが確かな感情だった。

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【掌編集】あなたといるよ 一途彩士 @beniaya

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