第23話 君がいない日
この世界は、誰かが欠けても、当たり前のように回っていく。たとえば今日、澪がいない。だけど、いつもの人たちは、やっぱり今日も、同じ場所に集まっていた。そしてその中心にいたのは——今日、ここにいない彼だった。
「清瀬くん、今日休みなんだって。」
「えっ、めずらしい。風邪?家の用事?」
「そういえば、彼の家ってどんな家庭なんだろうね……誰か、聞いたことある?」
音羽は教室の窓の外を見たり、ときどき隣の空いた席に目をやったりしていた。
……やっぱり、昨日、林先生のところで見たあのバッグは、彼のものだったんだ。
清瀬くんは、たぶん、体の病気じゃない。午後は、林先生のところへ行く予定だった。聞いてもいいのか?
昼休み。音羽は、図書室に行こうか、それとも体育館の方に行ってみようかと考えていた。風見杏がいるかもしれないと思いながら——
そんなときだった。
「音羽ちゃん、お昼いっしょに食べよーっ!」
勢いよく教室に飛び込んできた杏は、まっすぐに音羽のところへ来て、なぜか当然のように澪の席にドカッと座った。
「こいつ、今日学校来られないんだって。『代わりに音羽の昼ごはん付き合っといて』ってメッセージきたから〜」
音羽はちょっとびっくりして、それから少しだけ恥ずかしそうにうなずいた。杏は満足そうに立ち上がり、手を差し出してくる。
「じゃ、ダンス教室行こ。もう誰にもジャマされないように確保済みっ。へへっ」
音羽がそっと手を出すと、杏はぐいっと引っ張って——
「音羽ちゃん、新しい髪型、めっちゃ似合ってる!」
そのまま思いきり抱きしめてきた。音羽の頬がほんのり赤く染まった。
「橘木〜、今日もいっしょに行く?」と杏がくるりと振り返って言うと、
「今日はパス。清瀬くんいないし、女子ふたりのランチには混ざらんよ!」
「そっか、じゃ行ってきまーす!」
杏が元気よくそう言って、ふたりで教室を出ていく。
その直後だった。教室がざわつきはじめたのは。
「……目障り。まじで自分のことをこのクラスの一員だと思ってんの?」
「だよねー。白鷺、今日の髪型見た?ダサすぎでしょ!」
「失声キャラ気取って、同情でも引くつもりなんじゃない?」
——もし去年だったら、橘木は何も言わなかっただろう。黙って聞き流して、自分は関わらない。ただそれだけの立場だった。
だけど今日の橘木は、少しだけ違った。
ペリッ、とノートの紙を一枚破って、くしゃっと丸める。そして、前の席の方向にそれをふわっと投げた。
「……あっ、ごめん。間違えて投げちゃった……」
そう言いながら立ち上がり、わざとらしく歩いていって、紙くずを拾う。そして小さな声で、ぽつりとひと言。
「……いない人の悪口って、あんまかっこよくないと思うけど。」
それだけ言って、何事もなかったように自分の席へ戻っていった。
世界は、誰かが欠けても、当たり前のように回っていく。
——でも、その「当たり前」って、いったい誰が決めたんだろう。
ダンス教室。
杏と音羽が入ると、床に座っていた夏目 空がひょいっと顔を上げて、にこにこと手を振った。
「おっ、来た来た!」
「……なんであんたがいるのよ。私、あんたに声かけた覚えないけど?」
「だって、音羽ちゃんに声かけてるの見えたからさ〜」
「てかさ、あんた前まで全然学校来なかったのに、最近めっちゃ来てない?」
「関係ないでしょ!」
「はいはい、関係ないね。じゃあ私たちのランチにも関係しないで。あー清瀬くんが『あいつには気をつけろ』って言ってたの、たぶんお前のことだわ!」
「えっ、ひどっ!」
二人の掛け合いがテンポよく続く。
音羽は近くでそのやりとりを見ながら、ふふっと笑ってしまった。スマホを開いて、ふと文字を打とうとする。
『二人って仲良いね』
——そう打とうとしたけど、すぐにやめて、また違うことを書こうとする。
『一緒に食べるの、私は気にしてないよ』
でも、それも途中でやめてしまった。
二人のやりとりが、早すぎて。
自分の指が、言葉に追いつかない。
音羽はそっとスマホを閉じた。
——やっぱり、自分の口で話せるようにならなきゃ、
このスピードには、きっとずっと追いつけない。
「音羽ちゃん、今なに考えてたの〜?」杏が振り返る。
「音羽、ごめんね、ひとりで立たせちゃって退屈だったよね?」空も続ける。
音羽は、笑って首を横に振った。
……清瀬くん、いま、なにしてるのかな。ちゃんと、お昼食べてるといいな。
放課後。音羽はチャイムが鳴ると同時に、急ぎ足で校舎を出た。
向かった先は、林先生のメンタルクリニック。呼吸を整える間もなく、彼女はドアをノックした。
「どうしたの、そんなに息切らせて……慌てなくて大丈夫だよ、はい、お茶。」
林先生は笑いながらむぎ茶を注ぎ、紙コップを差し出した。
音羽はそれを受け取りながら、スマホを取り出す。
数秒ほど迷ったあと、スマホにメッセージを打ち込み、それを先生に見せた。
『ありがとうございます、先生。ひとつ、お聞きしたいことがあります。』
「どうぞ、なんでも聞いて。」
『失礼かもしれません。でも、昨日わたしが来たときに、相談室にいたのは——
……わたしの同級生の清瀬 澪くん、でしたか?』
その名を見た瞬間、林先生の指先が一瞬止まる。
そして、持っていたペンをくるくると回しながら、ゆっくりと答えた。
「うーん、ごめんね。それは、他の患者さんに関することだから、お答えできません。」
音羽は目線を落とす。
「でもね、白鷺さん。もしそのことがどうしても気になるなら——本人に聞いてごらん。」
彼女は顔を上げると、先生と目が合った。
真っ直ぐなまなざしに、一瞬だけ息が詰まる。
「今日、君がここに来たのは、発声リハビリの相談をするためだよね? 私としては、もちろん全力で応援したいし、『いつか自分の声で直接聞いてみて』って、そう言ってあげたいと思ってる。でもね、現実的に言えば、回復にかかる時間は人それぞれで、早ければ一ヶ月、でも、長ければ一年、十年かかることだって珍しくない。だから、後悔しないように。『聞きたい』と思ったそのときに、たとえ声じゃなくても、今の君の方法で、ちゃんと伝えてごらん。」
胸の奥に、何かがじんとしみてきた。
十年——そんな時間、彼のとなりにいられるのかな。
……でも、それ以上に気になったのは、
「後悔しないように」って言葉だった。
林先生がふっと息をつきながら、言葉を続けた。
「白鷺さん、ひとつ聞いてもいい?今、君の頭の中にあるのは『彼に聞きたい』って気持ち?それとも、『発声の話をしよう』って気持ち? ……どっちでも構わないよ。でも、もしリハビリを進めたいなら、そのときはちゃんと集中してほしいな。今日は、どうしたい?」
音羽は数秒、黙っていた。
やがて立ち上がり、ぺこりと頭を下げると、部屋を飛び出していった。
閉まったドアの向こうで、林先生がひとりつぶやく。
「……あ〜、青春だなぁ〜」
息を切らせて、走って、走って——気がつけば、公園のベンチに座っていた。
自分でも、どうしてこんな場所に来たのか分からない。
もっと分からなかったのは、スマホを取り出して、清瀬くんに電話をかけていたことだった。
——わたし、話せないのに。
「……もしもし?」
……通話が繋がった。
「あ……音羽?えっ、音羽だよね?どうしたの?大丈夫?何かあったの?今、どこにいるの?」
……どうしよう。どうすればいい?わたし、言葉が出せないのに。
「あっ、ごめん。少し取り乱してしまった。今、音羽は……話せないんだったよね。」
——謝らないで。謝るのは、わたしのほうなのに。
「そっか、じゃあ……音羽、ゆっくりでいいから、落ち着いて。今ね、この電話を切ったら、君のいる場所をメッセージで送って。私、すぐにそっちに行くから。大丈夫、絶対に大丈夫だから。」
……清瀬くん。優しい。彼の声を聞くだけで、少しだけ安心してしまう自分がいた。
「まだ切れてないね。じゃあ、私のほうから切るよ。ちゃんと送ってね、絶対。すぐに会いに行くから。」
——どうしよう。清瀬くんのことが、好きだ。
この世界。
私の世界。
清瀬くんの欠席だけは、
どうしても、欲しくないんだ。
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