第5話 新しい世界

大好きなthe GazettEのバラードをランダムで流しながら、真っ暗な世界をぼんやり眺める。時おり見える、どこの街かもわからない風景を横目に、私は夜行バスで東京へと向かっていた。


 もう戻れない――バラードの歌詞を自分の状況に重ねながら。

 眠るつもりなんてなかったのに、身体は正直だった。どこまでが夢で、どこからが現実かも分からないまま、私は深く眠りについた。



 カーテンの隙間から朝の光が差し込み、アナウンスが流れた瞬間、私は目を覚ました。

そこはもう、東京――新宿だった。


 新宿に着いた頃には、夜に感じていたモヤモヤとした感覚は消えて、代わりにドキドキとした期待に変わっていた。

降車した場所は、想像していた東京とは少し違っていた。卵型が印象的なビル、大きな道路、行き交う車と電車、そして人々のざわめき――そのすべてが、音となって私を包み込んだ。


 それから携帯の地図アプリを頼りに、新宿駅の西口へ向かった。

人混みの中に、不思議とすぐに目が合った人がいた。


「久しぶり!」

軽く手を振ってくれるその姿に、私は思わず笑ってしまう。


「姉さん! 久しぶり!」

緊張が、少しだけほぐれた気がした。


姉さんは、私より5歳年上のthe GazettEのファン友達で、高校時代からの仲だ。私がレズビアンであることも知っていて、ネットを通じて親しくなった。


「じゃあ、行きますか!」

突然の連絡だったのに、たまたま仕事が休みだった姉さんは、わざわざ迎えに来てくれた。


「連絡来た時はびっくりしたよ。何事かと思ったもん」

私より30cmほど小さい小柄な姉さんは、ケラケラと笑いながら肩を叩いてくる。


「ごめんね、突然……。本当に泊まっていいの?」

何も考えずに「しばらく泊めてほしい」とだけ送った自分が、今さらながら申し訳なく思えてきた。


「いいよいいよ、一人暮らしの手狭な家ですがね」

 趣味でコスプレもしている姉さんは「部屋、汚いよ」なんて笑いながら、突然泊めて欲しいと言った私に理由を深掘りしてくる事もなく、優しく受け入れてくれた。



 新宿から埼京線に乗り込み、姉さんの家がある埼玉県へと向かった――


「戸田公園、戸田公園――」

大きな橋を越えて着いた駅は、想像していたよりも静かだった。

駅前には大きなロータリーがあり、家族連れやお年寄りが行き交っている。

当たり前だけど、ここには“暮らしている人たち”がいる。


上京してからずっと、どこかフワフワとしたままだった私には、その当たり前の風景すら、不思議に感じられた。


「さて、歩きますよ!」

キョロキョロしている私に、姉さんは“早く来なさい”と言わんばかりの様子で、慣れた道をすたすたと先導してくれた。


 しばらく他愛もない話をしながら歩いていると、小さな、少し古びたアパートが見えてきた――


「はい! 到着!ここです!」

どうだ、驚いたか!と言わんばかりのドヤ顔で、姉さんはアパートを指差した。


「おお……」

正直、ここだとは思っていなかった私は、少しだけ驚いた。

けれど、屋根があるという安心感と、ようやくたどり着いたという安堵が、じんわりと胸に広がった。


「お邪魔します……」

 部屋に上がると、足の踏み場が無いほど物が散乱していた。服や鞄が落ちているのを見ると、片付ける暇もなく急いで出てきてくれたようにも見えた。


「ごめん!次のイベントの衣装とか、散らかってるけど荷物好きなとこに置いて!」

バタバタと片付けながら、こことか!と一生懸命私が座るスペースを空けてくれていた。


 想像とは少し違ったけれど、今の私には十分すぎる場所だった。

上京初日、ようやく肩の力が抜けた気がした。

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嘘つき きりんくま @kirin-kuma

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