第4話 名前のない棚

「ねえ、これ、見て」


カウンターの奥。

あの“棚”の前に立った少女が、小さな箱を抱えていた。

手のひらに乗るくらいの、古びた木箱。表面には、うっすらと焦げたような跡がある。


「ここにあったの……開けてもいい?」


「うん。気をつけてね」


そう言うと、少女はそっと蓋を開けた。

中には、折り畳まれた古い手紙と、煤けた鍵がひとつ──。


 


「なんか……手紙、読んじゃいけない気がする」


「そうだね。読まなくても、わかるかもしれない」


「うん……」


少女は箱を静かに閉じると、棚に戻した。

そのとき、小さな“音”が響いた。ちりん、と、どこかで風鈴が鳴ったような。


 


「……あれ?」


「聞こえた?」


「うん。風、吹いてないのに……」


店内は、今日も相変わらず静まり返っている。

外の音は一切届かず、店の中はまるで時間が止まっているかのような空間。

それなのに、たしかに“何か”が、少しだけ動いた気がした。


少女はふと、棚の奥に視線をやった。


「さっきまでなかった……絵?」


 


そこには、小さな額に入った絵が立てかけてあった。

柔らかい筆のタッチで描かれた風景。

──古びたベンチに座る、ふたりの人影。

顔も服もはっきりしない、けれど確かに“誰かを待っている”ような絵だった。


 


「……この絵、すきかも」


「いいね。きっと、この店が君の記憶に応えたんだよ」


「記憶に……?」


少女は、すこし考えるように首を傾げた。

やがて、ふと、ぽつりとつぶやいた。


 


「──昔、おじいちゃんと、似た場所に行った気がする。ベンチに、よく座った。お弁当食べながら、笑ってた」


その言葉を聞いて、僕は軽くうなずいた。


 


「思い出って、不思議だよね。

全部は思い出せなくても、心に残る景色がある。

忘れたと思っていたものが、ふとした瞬間に、そばに戻ってくることがある」


 


少女は、しばらく絵を見つめていた。


そして、ふと笑った。


「ここ、なんだか好きかも」


「また来る?」


「うん。たぶん……また思い出したくなる気がする」


 


少女が帰ったあと、店の棚にもう一度目をやった。


そこにはもう、絵はなかった。


だけど、たしかに“誰か”の記憶が、この店を通り抜けていった。

名前のない箱。読まれなかった手紙。煤けた鍵。

それらは、“思い出すことさえなかった大切な記憶”の欠片だったのだろう。


 


僕はそっと、棚に手を添えた。


──今日もまた、ひとつ、記憶が風に揺れた。


 


──つづく

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