君のことが忘れられない。永遠に。
水鳥川倫理
第1話、始まりの終わりに。
物語は、あの残酷な報せの一週間前に遡る。私とあなたは、学校の屋上で、いつものように他愛ない会話を交わしていた。夕焼けが、空と街を鮮やかな赤色に染め上げていた。私たちは、よくこの場所にいた。放課後の静かな屋上は、私たちだけの秘密の場所だった。誰もいない屋上で、私たちは時間を忘れて語り合った。他愛ない話から、将来の夢まで、どんなことでも語り合った。隣にいるあなたの存在は、私にとって当たり前で、そして何よりも大切なものだった。あなたの隣にいるだけで、世界は輝き、あらゆる困難も乗り越えられると信じていた。
「ねえ、今度の休み、どこか行きたいところある?」
私が無邪気に尋ねると、あなたは少し考えてから、いたずらっぽい笑顔を向けた。その笑顔は、私にとって何よりも愛おしいものだった。
「そうだなあ。君と一緒なら、どこでも楽しいよ。でも、せっかくだから、前に行きたいって言ってたあのカフェに行ってみる?限定のパンケーキが美味しいんだって。」
その言葉に、私の心は温かくなった。私たちは本当に、どこへ行っても楽しかった。おしゃれなカフェで、向かい合っておしゃべりするだけでも、公園を散歩するだけでも、すべてが特別だった。あなたが隣にいるだけで、私の世界は色鮮やかに輝いた。私たちはよく、お互いの好きな音楽を教え合い、イヤホンを片耳ずつ分けて、一緒に口ずさんだりもした。時には、どちらが先に変顔をするか競ったり、意味のないことで大笑いしたりもした。ある時は、真剣な顔をして人生について語り合ったり、またある時は、くだらないことで延々と議論したりした。そうした一つ一つの瞬間が、私の人生を豊かに彩っていた。そんな日々が、永遠に続くのだと、私は疑いもしなかった。
その日も、私たちはたくさんの話をした。最近観た映画の話、クラスで起こった面白い出来事、そして、来年の卒業旅行の計画。たわいもない冗談で笑い合い、お互いの手のひらのしわを数えながら、どちらが長生きするか真剣に話し合ったりもした。温かく、穏やかな時間が流れていた。あなたの手の温かさ、隣で聞こえる規則正しい呼吸の音、それら全てが私を安心させた。だからこそ、次に口から出たあなたの言葉が、信じられなかった。
「ごめん。もう、一緒にいられない。」
その一言が、私の世界を瞬時に凍りつかせた。夕焼けの赤が、私には血の色のように見えた。私の全身から血の気が引いていくのが分かった。私は言葉を失い、ただ目の前のあなたの横顔を見つめることしかできなかった。夕日に照らされたあなたの表情は、いつもと変わらない、穏やかなものに見えた。しかし、その穏やかさが、私にとっては、残酷なほど遠く感じられた。私の心の奥底で、何かが音を立てて崩れていくのを感じた。
「どうして……?」
か細い声が、やっとのことで私の喉から絞り出された。声は震え、途切れ途切れだった。あなたは、私の視線から逃れるように、ゆっくりと顔を背けた。その仕草が、私の質問に対する答えを雄弁に物語っていた。理由なんて、ない。あるいは、理由を言いたくない。どちらにしても、私に残されたのは、ただ突き放されたという事実だけだった。
「ごめん。本当に、ごめん。」
あなたはそれだけを繰り返し、私の前から去っていった。その足取りは、いつもより少しだけ重く見えたが、私はそれ以上、何も言えなかった。ただ、呆然と、あなたの背中が小さくなっていくのを見送ることしかできなかった。残された私は、屋上に一人、夕焼けに照らされながら立ち尽くしていた。風が、私の髪を揺らし、頬を伝う涙を乾かしていく。心臓が、まるで置き去りにされたかのように、激しく痛んだ。あの日の夕焼けは、私の記憶に、最も鮮烈な痛みとして刻み込まれた。私の世界は、あの瞬間から、永遠に色を失った。
その夜から、私の世界は色を失った。鮮やかな日常は灰色に塗りつぶされ、楽しかった記憶も、痛みと後悔に歪んでいった。食事は喉を通らず、眠りも浅かった。夢の中でも、私はあなたの背中を追いかけ、手を伸ばすけれど、決して届かない。何をしていても、あなたの笑顔や声が、頭から離れなかった。私たちの絆は、誰よりも深く、堅固なものだと信じていたのに。互いに支え合い、喜びを分かち合ってきたはずだった。未来を共に描き、数えきれない約束を交わしたはずだった。週末にはあのカフェに行こう、夏休みには一緒に旅行しよう、卒業したら二人で暮らそう、そんなささやかな、けれど確かな夢が、たった一言で、全てが音を立てて崩れ去ってしまった。
「なんで……?なんで私を振ったの?私、何か悪いことした?」
何度も何度も、心の中でその言葉を繰り返した。理由も分からず、ただ突き放されたという事実が、私を深く深く、絶望の淵へと突き落とした。あなたの顔を思い出すと、胸が締め付けられるように苦しかった。楽しかった記憶が、一つ一つ、私を責め立てる棘のように感じられた。
三日後、信じられない報せが私のもとに届いた。あなたは、この世を去ったという。学校の友人からの電話だった。その声は震え、途切れ途切れで、何を言っているのか理解するのに時間がかかった。けれど、「あなたが、もういない」という言葉だけが、私の脳裏に焼き付いた。まさか、そんなことが。私の心は、完全に打ち砕かれた。別れを告げられた時の痛みとは比べ物にならない、底知れない絶望が私を襲った。全身の血が凍りつき、呼吸すら忘れてしまったかのように感じた。身体中の力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「嘘でしょう……?なんで、なんでよ……!」
声にならない叫びが、私の喉から絞り出された。あの時、なぜもっと食い下がれなかったのだろう。なぜ、あなたの言葉の裏に隠された真実に気づいてあげられなかったのだろう。あなたの表情に、あなたの声の震えに、何か異常を感じることはできなかったのだろうか。もし、あの時、私がもっとあなたのことを見ていたら、何か変わっていたかもしれない。後悔と自責の念が、私を苛み、私の心を蝕んでいった。私があなたを苦しめたのではないか、そう思うと、息をすることすら罪に感じられた。
あなたの葬儀は、静かに執り行われた。葬儀場には、あなたの家族と、数人の友人が集まっていた。誰もが悲しみに暮れ、沈痛な面持ちであなたの遺影を見つめていた。私もまた、ただ、あなたの遺影を見つめ続けた。写真の中のあなたは、あの屋上で見た時と同じ、穏やかな笑顔を浮かべていた。その笑顔が、私には、あまりにも悲しく、そして遠く感じられた。なぜ、あなたは私を置いて行ってしまったのか。その問いは、答えのないまま、私の心に重くのしかかった。ただ、ただ、あなたの温かい手に触れたかった。もう一度、あなたの声を聞きたかった。
葬儀の後、私はあなたの家族の許可を得て、あなたの部屋を訪れた。遺品を整理するためだ。部屋の中は、あなたの気配がまだ残っているようで、私をさらに苦しめた。あなたの私服がかけられたハンガー、使い込まれた参考書、そして、ベッドの脇に置かれたギター。すべてが、あなたとの思い出を呼び起こし、私の胸を締め付けた。机の上には、読みかけの本と、開かれたままのノートがあった。ノートには、あなたの筆跡で、びっしりと文字が書き込まれていた。私は、震える手で、恐る恐るそのノートを開いた。
そこに綴られていたのは、私が知らなかったあなたの苦悩の全てだった。あなたは、人知れず、重い病と闘っていたのだ。病は進行しており、あなたには、残された時間が少ないことを知っていた。ノートには、病と診断された時の衝撃、治療の苦しみ、そして未来を奪われていく絶望が、赤裸々に書き記されていた。読み進めるごとに、私の目から涙が溢れた。
「きみに、辛い思いをさせたくない。俺が先に逝くことで、きみが悲しむのは分かってる。でも、俺が病で苦しむ姿を見せる方が、もっときみを傷つけると思ったんだ。弱っていく俺を見て、きみが心を痛めるのは耐えられなかった。」
「きみと出会ってから、俺の人生は本当に幸せだった。きみとの思い出は、俺の宝物だ。きみと過ごした日々は、どんな薬よりも俺を強くしてくれた。きみといる時だけは、病のことなんて忘れられた。きみの笑顔が、俺の唯一の光だった。」
そして、私に別れを告げた理由が、はっきりと書かれていた。私を悲しませたくなかったから。私を、自分がいなくなった後の深い悲しみから守りたかったから。私が、自分が生きる時間の短さを知って、悲しみに暮れる姿を、あなたは想像するだけで苦しかったと綴っていた。私への深い愛情と、最後の優しさが、その文字の羅列からひしひしと伝わってきた。
「ごめんね。きみに、もっと苦しい思いをさせたくなかったんだ。でも、最後にきみに会えて、本当に嬉しかった。屋上からの夕焼け、きみの笑顔。あの瞬間を、ずっと忘れないよ。だから、きみも、俺のこと、忘れないでいてくれると嬉しいな。」
ノートの最後のページには、そう書かれていた。あなたの想いを知り、私の胸は張り裂けそうになった。あの時、あなたが抱えていた痛みを、私は何も知らなかった。私は、あなたの言葉の裏にある真実を見抜くことができなかった。私は、そのノートを抱きしめ、声を上げて泣いた。涙が止まらなかった。嗚咽が漏れ、呼吸が苦しくなるほどだった。あなたの優しさが、私にはあまりにも辛かった。あなたは、私を守るために、一人で全てを抱え込んでいたのだ。その重さに、私は気づけなかった。
悲しみと希望の狭間で
それから、数週間、私は深い喪失感の中にいた。毎日、あなたのことを考え、涙を流した。しかし、同時に、あなたの残したノートを何度も読み返した。そこには、私への深い愛情と、未来への希望が綴られていた。あなたは、私に、前を向いて生きてほしいと願っていた。あなたの言葉は、まるで暗闇の中で輝く一筋の光のように、私の心に差し込んだ。
ある日、私はあなたのノートに挟まれていた一枚の小さな紙切れを見つけた。そこには、あなたが好きな詩の一節が、丁寧に書き写されていた。
「人生は、美しい。たとえ、どんなに辛いことがあっても、希望を失ってはいけない。夜がどんなに長くても、必ず朝は来る。」
その詩を読んだ時、私はハッとした。あなたは、私に、希望を持って生きてほしいと願っていたのだ。あなたとの楽しかった日々、そしてあなたが私に残してくれた愛。それらが、私を支える力になると、あなたは信じていたのだ。私は、あなたの残した想いを無駄にしてはいけないと思った。
私は、ゆっくりと立ち上がった。あなたの死は、私にとって、決して癒えることのない傷となった。痛みは消えないだろう。けれど、あなたは、私に、生きる意味を与えてくれた。あなたの分まで、私は生きていこう。あなたの分まで、私は幸せになろう。あなたが願ってくれたように、私は前を向く。
私は、あなたの部屋を出て、空を見上げた。青い空には、白い雲がゆっくりと流れていた。風が、私の頬を優しく撫でた。それは、まるであなたが私に触れているかのように感じられた。私は、深く息を吸い込んだ。あなたの想いを胸に、私は、この残酷な世界で、あなたが生きた証を刻んでいく。あなたの笑顔を忘れずに、あなたとの思い出を胸に、私は強く生きていく。そしていつか、あなたが私に残してくれた希望の光が、私の人生を明るく照らすことを信じている。あなたのいない世界は寂しいけれど、あなたが生きていた証を胸に、私はこれからも歩み続ける。あなたがいなくても、あなたの愛は私の中にずっと生き続けるだろう。
この物語を読んで、あなたが感じたこと、考えたことを教えてください。
君のことが忘れられない。永遠に。 水鳥川倫理 @mitorikawarinri
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