契約論
午後の鐘が石壁を渡って三度鳴り、講義棟の吐き出す空気が朝より冷たく感じられた。窓ガラスに薄く陽が滲み、黒板は灰色の光を吸って鈍く光っている。円形の階段教室の最上段まで座席は埋まり、ざわめきが円の中心へ向かって吸い込まれていった。
黒いパンプスの音が一度だけ響いた。
中央の講壇に現れたのは、銀髪を後ろで束ね、白い研究外套の下に余白のない黒を纏った女教師。手には一本のチョーク。切っ先は針のように尖っている。
「契約論Ⅰ、始めるわ。私はこの授業を担当するベレミンよ。」
教室の端がくすっと揺れ、ベレミンの白衣と実験器具の山が脳裏をよぎる。
「人は“魔力を持つが魔法は起こせない”。——ということは午前中にあの”動物オタク”から聞かされたわね。では、どうやって魔法を使えるようになるか。結論だけ言う。君たちの心が、魔法動物と《共鳴》するから」
ぱん、とチョークが黒板を打つ。
最小限の線が走り、記号が置かれる。
M(人間)──R(共鳴)──A(魔法動物)=Φ(現象)
「野生の魔法動物に“炎を出せ”と念じても、石像に向かって笑えと言っているようなものだ。媒介がなければ、魔力は沈黙のまま」
最前列でフィオナがこくこくと頷く。
隣のゴライアスは緊張のあまりノートを逆さに開いている。
「“共鳴”——つまり心を通わせる必要がある。それも、“かなりの割合”で」
チョークがもう一本、黒板の端に数直線を引いた。
「たとえ話をしよう。一般的なペットと飼い主の関係を共鳴度10とする。けれど魔法を起動するのに必要なのは——100」
「十倍……」
最前列でフィオナがこくりと頷く。隣のゴライアスは緊張でノートを裏返しに開いていた。
「数字は便宜上だ。だが“桁が違う”という感覚は覚えておけ。そして人はしばしば間違える。人間本位の思考だ。『ペットが笑っている』『すねている』——素敵な思考だ。しかし問う。君たちには本当に、その動物の気持ちが分かるか? “餌が欲しいだけ”かもしれないし、その表情はその動物種において、まったく別の意味かもしれない」
黒板に大きく書く——擬人化(×)。
「
人間がそうだから動物もそう——とは限らない。彼らの世界観で、彼らの言葉で、彼らの沈黙で交わる。それが《契約》だ」
指が講壇を二度、軽く叩く。淡い魔光が立ち、講壇に小さな狐の幻が現れ、耳だけが動く。
「いまの耳の角度は警戒だ。『可愛い』と思って抱き上げれば、契約は遠のく」
「じゃあ、どうやって
フィオナが手を上げる。
「方法は地域によって異なる。ロマンシアでは
ディディの胸に、祭壇の眩しさが蘇る。光、卵、轟音——そして奪われたもの。呼吸が一拍、遅れた。
「だが、儀式が唯一ではない。森、砂漠、氷原、海——野生で結ぶ者もいる。
ただしそれは難度が高い。言語も文化も共有しない相手に、信頼をゼロから結ぶのだから。だから収穫祭のような儀式が広まった。相性の良い個体を、互いに見つけやすくするために」
「しかし近年、『儀式による契約は動物虐待だ』と主張する団体がある。私は一理あると思う。契約は必ず双方向でなければならない、儀式によって半ば強制するのはお互いにリスクがある。だが、正しく結ばれた契約は強固だ。彼らもまた、君たちを選ぶ。その選択を侮辱しないことだ」
静かにペン先が止まり、数人がうなずく。
「歴史の例を挙げよう。帝国正史において“救世主”と讃えられたフランク。記録上、彼は複数の魔法動物を従え、局面ごとに役割を分担させた。複数契約は危険だ。共鳴の歪みが生じやすく、魂を
“魂を蝕む”。その語が、ディディの皮膚の下を冷たく走る。
「——では実践だ。隣と向き合え。
① 呼吸を合わせる(四拍吸う・四拍止める・四拍吐く)。
② 目線は逸らさず、
③ 相手の“無言の合図”に合わせて、片手を机に同時に置く」
ざわつきながらも、教室中に各々の息遣いが満ちる。
ディディはゴライアスと組んだ。巨体の呼吸は最初ばらばら——だが、拍を刻むうちに揃っていく。
「……今」
二人の手が机に同時に置かれ、小さな音が一つ、きれいに鳴った。
「これは人間同士の練習だ。ズレが見えるだろう。
最後の一言に、教室が静まった。
女教師はチョークを箱に戻し、白衣の裾を返す。粉の匂いが、ひやりとした空気に溶けた。
DragonHearts~魂に応じて魔法生物〈魂獣〉を得る世界で、俺だけ卵だった件。――奪われた“魂”を取り戻すため、王立魔法動物学園に向かう~ 村正 @muramasa2312
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