語り継ぐ気持ち
あの戦いから――ちょうど一年の月日が流れた。
荒れ果てていた戦場の跡地は、今では花と草に覆われた静かな丘に姿を変えていた。
かつて“帝国”と呼ばれていた巨大な軍事国家は瓦解し、
その後、各地で住民による自治と連携を主とした“連邦体制”が生まれ始めていた。
民衆が国を動かす。そんな当たり前が、ようやく根を張り始めていた。
⸻
その日、丘の上に一つの石碑が建てられた。
《──ここに眠るのは、剣を掲げた者ではない。
声を届けた者の記憶である。
語り継がれた命こそが、我らの未来を灯す》
献花する人々の列の最後尾で、一人の少年が、埃をかぶった古びた本を抱えていた。
その表紙には、こう刻まれている。
『自由の火──エルレッタ・アーロンの記録』
記録を綴ったのは、セルジュだった。
記録の発行と保管を任されたのは、元情報部員として活動していたフレイ。
二人は戦場に戻ることはなかったが、それぞれの役目を果たした。
⸻
そして、ある静かな夕暮れ。
人けのない庭園の一角で、エルレッタと少佐は肩を並べていた。
少佐は、まだ少し無骨な軍服のまま、やけに真面目な顔をして口を開く。
「……もう、戦いも終わった。お前は、十分すぎるほど戦った。
だから、これからは……ただの“女”として生きてもいい」
エルレッタは、小さく笑った。
「“ただの女”って、なかなか難しい言葉ですね。
私はもう、どこかに戻る場所があるわけじゃない」
少佐は、懐から小さな黒い箱を取り出し、ゆっくり開いた。
中には、銀色の指輪。真ん中には、あの戦場の旗に似た白い石が埋め込まれていた。
「……だから、俺が作る。“帰る場所”を。
エルレッタ=アーロン。君と、一緒に人生を歩みたい」
エルレッタは、目を見開き、それから静かに目を伏せた。
「……私に、“愛”を教えてくれたのは、あなたです。
……はい。喜んで、お受けします」
そのとき、後ろから足音が近づいた。
「へえ、やっと言ったか」
振り返ると、アッシュが手をポケットに突っ込んだまま立っていた。
「もうちょっと遅かったら、俺が奪ってたかもしれないのにな」
少佐が少しだけ笑い、アッシュも肩をすくめた。
「……幸せにしろよ。じゃなきゃ――今度は、本当に俺がもらうからな」
それだけ言って、アッシュは静かに背を向け、夜の街へと歩き出していった。
⸻
月が空に浮かぶころ、エルレッタは指輪を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……綺麗な、指輪ですね」
少佐が隣で微笑む。
「いつか、あの記録を読んだ子供たちが、また違う火を灯す日が来るかもしれんな」
「その時まで、私は語り続けます。“命”の意味を、“戦う”ということを……」
⸻
そして、ページが一つ閉じられる。
記録の最後に記された言葉――それは、エルレッタ自身の筆によるものだった。
>「これは、戦争の記録ではない。
>これは、人が人であるために、抗い続けた証である。
>火は一つではない。
>誰かの命が、誰かの勇気となり、そして次の“光”になる。
>あなたがこれを読むその時にも、火は、燃えている――」
* * *
風は穏やかで、鳥たちの声が小さく響いていた。
その丘の上、小さな礼拝堂の扉が静かに開かれ、白いドレスに身を包んだエルレッタ=アーロンが現れた。
軍服姿の少佐――マクスウェル=グランツ少佐が、
彼女に右手を差し出す。
「……緊張してるか?」
「ええ。戦場よりずっと、怖いです」
二人は笑い合い、ゆっくりとバージンロードを歩き始めた。
礼拝堂の中には、反逆軍の生き残りの仲間たちが勢ぞろいしていた。
セルジュは義手に白いグローブを嵌め、フレイは淡いピンクのドレスに身を包んで座っている。
その後方、柱にもたれかかるように立っているのは、いつものように無口なアッシュだった。
神父役は情報部の老人だった。
「では、新郎マクスウェル=グランツ。あなたは、新婦エルレッタ=アーロンを生涯、愛し、支え、共に歩みますか?」
「はい」
「新婦エルレッタ=アーロン。あなたは、新郎マクスウェル=グランツを生涯、愛し、信じ、共に生きますか?」
エルレッタはゆっくりと頷いた。
「はい」
「では、誓いのキスを――」
キスの直前、フレイが小さく叫んだ。
「ちょっとー! アッシュが顔そむけた! カメラ写ってない!」
「うるさい。俺はキスシーンに耐性がないだけだ」
セルジュがニヤニヤと肘でアッシュを小突いた。
「なーにが“俺がもらうからな”だよ、なあフレイ?」
「ねー。あのセリフ、ちょっとドキッとしたのにー!」
「黙れ。いいからその場面忘れろ」
アッシュが真っ赤な顔で顔を背ける。
それでも、その目には微かに笑みが浮かんでいた。
挙式のあとは、軍全体での披露宴が始まった。
旧情報部の地下ホールが花で飾られ、簡素ながら温かみのある空間となっている。
料理は、かつて軍の炊事班だった男たちが総出で用意した。
「新婦の入場だー!」
フレイの掛け声と共に、白いドレスのままエルレッタが入場。
その隣に立つのは、真面目な顔をして緊張気味の少佐。
「……なあ、あの人、いつもと違って顔が固くないか?」
「そりゃ緊張もするさ。天下のマクスウェル少佐が、今や“旦那さん”だぞ?」
「アッシュ、ちゃんと泣くなよ?」
「泣かねえよ」
「さっき、ちょっと目こすってた」
「花粉だ。黙れセルジュ」
乾杯の音頭が終わると、場は一気に賑やかになった。
エルレッタがフレイやセルジュと写真を撮り、兵士たちと握手を交わし、笑顔で過ごす姿を見ながら、アッシュは一歩下がった位置でそれを見守っていた。
そこへ、少佐が静かにやってきた。
「……アッシュ」
「何だよ。今夜くらいは、幸せに浸ってろ」
少佐は、ほんの少し口元を緩めた。
「ありがとう。お前がいたから、俺はここまで来られた」
アッシュはその言葉に、ふっと目を細めた。
「……エルレッタが泣いたら、ぶっ飛ばすからな」
「承知した。泣かせない」
その言葉を背に、マクスウェル少佐がエルレッタのもとへ戻っていく。
その背を見つめながら、アッシュはぽつりと呟いた。
「……くそ。……おめでとう」
披露宴も終わりに近づいたころ、セルジュがマイクを取り、無理やりアッシュを壇上へ連れて行った。
「じゃ、最後にこの男から祝辞をどうぞー!」
「ふざけんなセルジュ、俺に振るなって……!」
フレイと兵士たちの拍手に押され、アッシュはしぶしぶ前に出た。
「……えー……と。
エルレッタ。マクスウェル少佐。
……お前ら、正直、どっちも真っすぐすぎて面倒くせぇけど……」
場に笑いが起こる。
「でも、だからこそ……ちゃんと幸せになれると思う。
お前たちが守ったこの国を、どうか、これからの子供たちの未来につなげてやってくれ。
……そういうのが、俺たちの“勝利”だ」
言い終えると、アッシュはすぐにマイクを返し、照れ隠しのように会場を後にした。
夜。披露宴が終わった後の礼拝堂。
エルレッタとマクスウェル少佐は、誰もいない静かな空間で寄り添っていた。
「マクスウェル……私は、もう戦うことはしません。
でも、語り継ぎます。あの戦場で見たものを」
「俺もだ。お前と共に、生きると誓った。
そしてこの世界を、二人で見ていこう」
エルレッタは彼の手を握りしめ、静かに微笑んだ。
最後のエルレッタ 祇斬 戀 @__neko0624
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