第33話 エピローグ ~平穏の裏で、魔は嗤う~(後半)

 ――後日。

 千弥は一人、雑踏に揉まれながら、帝鉄の駅改札を抜けようとしていた。

 

(あれ、いつもここに入れてるはずのパスがない? おっかしいな)


 学生鞄のサイドポケットを探るが、見当たらない。

 わちゃわちゃと慌てて、鞄の中身をぶちまけん勢いで探していると、背後から声をかけられた。


「おや、おにいさん。もしかして、これを探していませんか?」


 そこにいたのは、息をのむほど整った顔立ちの美少年だった。さらりとした黒髪に、吸い込まれそうなほど大きな瞳。人懐っこい笑み。


(……あれ? この感じどこかで)


 そう、何故か――あの村で会った健気な少女『由良』を彷彿とさせた。似ても似つかないはずなのに。


「あーっ!? ありがとう。そうそう、これ探してたんだ。いやー、助かったよ!」


 差し出されたパスを受け取ろうとして、千弥はふと、少年の耳にある、あまりにも異様な違和感に気づいた。


「あれ、きみ、その耳……」


 少年の左耳には、鋭利な刃物で一息に削ぎ落されたかのような、生々しい傷跡があったのだ。耳たぶそのものが、綺麗さっぱり存在しない。


 視線に気づいた少年は、悪戯が見つかった子供のように笑い、傷跡に愛おしげに触れた。


「ああ、これですか。ふふ、ちょっと、ボク、色々事情がありまして」


 少年は、どこか誇らしげに、うっとりと恍惚の表情で続けた。


「――尊敬する御方と、お揃いなんです」


 千弥の喉が、ひゅっと鳴った。

 ――片耳削がれ、追放された八面大王の配下たち。忘れかけていた、血生臭い逸話。


(そうだ。八面大王は私刑リンチで殺された。だけど……彼らが助命を願った配下たちは? その後、どうなったんだ……?)

 

 悲劇の、見ようとしなかった“もう一つの側面”に――気付いてしまった。

 美少年は、そんな心を見透かしたように、くすり笑う。


「ふふ、おにいさんは本当にお優しい人なんですねぇ。まだ悲しんでくださってるなんて」

「きみは……いったい……?」

「さあて? ただの通りすがりですよ。……じゃあ、ボクはこれで」


 少年はひらりと手を振ると、雑踏へと消えていこうとする。

 その、去り際に。振り返ってこう、口にした。


「また、お会いしましょうね、優しいおにいさん」


 ふわり、花が綻ぶように。無垢に微笑む。


「たぶん、そう遠くないうちに」


 千弥は、ただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。雑踏も、行き交う人々も、何もかもが遠くに感じられる。

 足元が蜘蛛の糸に絡められていく、不吉な感覚。


 ポケットの中で、スマホが震えた。画面には、壱武からの簡潔なメッセージ。


『陰陽省から最終報告だ。例の安曇の洞窟、奥の縦穴から、一体の白骨死体が発見された』


 メッセージは、続く。


『死後数年は経過している、十代の少女。僅かに残った所持品と、歯の治療痕から、身元は倉科 由良本人で、間違いないだろうと』


 冷たい汗が、千弥の首筋を、つうっと伝い落ちていった。

 ならば、自分たちが出会った、あの『倉科由良』は……一体誰だった?


 ――また、お会いしましょうね。

 ――そう、遠くないうちに。


 暗黒に浮かぶ、“歓喜”。

 悲しみが隠された、“笑い”が……どこからか聞こえてくる。


 汝、帝国の魔を退けよ。鬼たちが諳んじる奇譚からは、決して逃げられない。

 この先の未来にも、鬼門きっと待ち構えている。


 ゴオォォ、と。地下駆ける列車の轟音が、次なる厄災の到着を告げるように響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

帝国退魔鬼譚 ~我が宿敵に口付けを~ 裃左右 @kamsimo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ