scene.2

 突拍子もないジョークに面食らい、思わず声をあげて笑ってしまった。


「榊さんって、真顔でジョーク言うとこ、ありますよね」


 凛としているが、口を開けば軽やかに相手の懐に潜り込む人たらしで、話すと言葉の端々に知性を感じるせいか、人を安心させるのが抜群に上手い。

 真顔でジョークを言うのも、相手との距離を詰める手法の一つだとおれは分析している。


「だって、実体験でもないと書けないでしょう、あれは」

「おれは、ノンフィクション作家じゃありませんよ」


 榊さんには本当に恩義を感じている。物語を完成させるのは大変だったが、その日々は決して苦しいだけではなく、楽しかったのも事実だった。


「でもね、榊さんが何と言おうと、おれはもう小説は書きません。作家も引退します。あの物語を書くためにおれは小説家になったんです。おれの役目はもう終わりました」

「その話は何度も聞きました。亡くなったご兄弟のためにつくった物語なんですよね。いわば鎮魂歌レクイエムのようなものだと、先生そう仰いましたね」


 双子の兄弟が主役の物語で、不慮の事故に巻き込まれ死んでしまった弟の命を助けるために――もとい弟の死を阻止するために――片割れの兄が何度も同じ時間を繰り返すタイムリープものだ。


 元気で明るい兄と、控えめだが賢い弟。正直ありきたりな設定だと思ったが、これが意外と世間で大受けし、書店員のおすすめに選ばれ、SNSで話題となり、なんたら大賞にノミネートされ、瞬く間にベストセラー小説の仲間入りを果たした。新進気鋭な若手監督が映画化を引き受け、人気実力派イケメン双子俳優主演で実写化された。


 すべての仕掛け人はこの男。そして出版社だ。おれの才能が卓越していたわけではない。


「榊さん、おれ、ガキの頃、野球やってたんです」

 想像上のバットを両手で握り、右側の空間から正面に向かってスイングした。


「急に昔話ですか」

「はい。――で、今ではすっかり体が鈍ってしまったけど、足が速くて、持久走も得意でした。運動全般、まあ、ちょっと得意でした。甲子園出場やプロ野球選手を夢見た時期もあったけど、怪我をして中学生で野球は辞めました。勉強もそれなりにできたので、地元で一番偏差値の高い高校へ進学しました。といっても、田舎の自称進学校の公立高校ですが」


 榊さんの視線が一瞬鋭くなったが、すぐにいつもの絶妙に軽薄な雰囲気に戻り、「文武両道ってやつですね」とわざとらしく太鼓持ちをしてきたのでスルーした。


「それで? 先生は、それからどうしたんですか」

「高校は帰宅部で、いつもつるんでたダチとのびのび過ごし、地元の市立大学へ進学しました。将来の夢もやりたい仕事もなかったので、とりあえず進学できるところに進学したんです。大学一年生のときです。交通事故で弟が死んだのは」

「はい。弟は死んだと、先生は前にもそう仰ってましたね」

「弟はおれと正反対の性格でした。人付き合いが極端に苦手で友だちはいなかった。いじめられてはいなかったけれど、学校には馴染めなかった。運動が苦手だったかわりに特別に成績優秀という程でもなく。けど、本を読むのが好きで、生活のほとんどの時間を本を読んで過ごしていました。読書から得た知識は豊富で、難しい言葉をよく使っていて、まあ、そのせいもあって同い年の子とは話が合わなかったのかもしれません」


 コーヒーカップにスティックシュガーをドバドバと入れた。手持ち無沙汰にスプーンで液体をかき混ぜる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る