第2篇『頬色の情熱と青』第2部

前編

第1幕「キレる私」


「おい、お前。」


勢いよくドアを開け、私は偉そうに声をかけた。彼は椅子の背にもたれたまま、ちらりと振り返る。その視線が一瞬、私の胸元をかすめたのを見逃さなかった。


彼の名前は晴人。私たちが所属する天文部の副部長で、私の気持ちに気づいているのかいないのか、ずっと告白してこない男子。彼の切れ長の目に、私はいつもドキドキしていた。


「今日は天文部が休みなのに珍しいね。」


彼は教科書をパタンと閉じた。まるで私が来るのを予想していたかのような自然な動作だった。でも、その声にはどこか探るような響きがある。

私は腕を組み、堂々と返す。


「珍しくもないだろう。まぁなんだ、お前と話をしたかった。」


わたしも素直な気持ちを隠し、“偉そうな私”をいつも通り演じていた。


窓の外には冬の薄曇りの空。白く淡い光が教室に差し込み、いつもより少しだけ静けさを纏って見えた。


クリスマスは、もうすぐそこ。わたしは心の中でめちゃくちゃイラついていた。一年間も待ってるのに、なんで誘っても来ないの!?

……でも、そんなことを言って嫌われたくない。だからこそ、こうして声をかけたのだ。


「僕は椿さんの暇つぶしの相手じゃないんだけどな。」


にやりと笑って、彼が軽くからかうように言う。

──この態度。ほんっとうにムカつく!


でも、めげるわけにはいかない。あの糞顧問に媚びを売ってまで準備したのだ。


私は机の縁に腰をかけ、長い髪をふわりとかき上げながら、彼を少し見下ろすように言った。


「大丈夫だ。今日は暇つぶしじゃない。話したいことがある。」

「うーん、僕には話すことがないんだけどなぁ。」


彼は頬杖をつきながら、わざと気のないふり。


(うー、なんなのこの茶番……!)

内心で机をバン!と叩く。でも、顔には出さない。


「また、そんなこと言って。今回は重要な話だ。」


そう、彼と一緒にクリスマスを過ごすための大事な話なのだ。


「また何か企んでる?」


彼の目がわずかに細まる。冗談めかしているけれど、その視線は見透かしてくるような鋭さがあった。


「企んでるわけじゃない。お前、この部活の活気のなさ、嫌じゃないのか?」

「嫌じゃないってか、この活気のなさがいいんだよ。」


入学当初、彼は部活に入る気はなかったらしい。でも、全員が部活に入るという校風のせいで、あまり活動的でない天文部を選んだのだとか。学校の売りである天体観測室も、イメージは良かったらしい。


──その割には、いつも部室にいるな……。


「ふふふ、素直じゃないな。観望会にはいつも参加してるじゃないか。」

「まあ、せっかくだからね。」


この素直じゃない性格、ちょっと可愛げがあって、それがまたムカつく。……まぁ、話に乗ってきたから良しとするか。


私は机の縁から立ち上がり、教壇へと向かった。そこに立ち、大きく息を吸い込む。


「そこでだ。部活活性化と部員勧誘のため、クリスマスに観望会をやる。」


腕を広げ、まるで演説でも始めるかのように言い放つ。


「はぁ? クリスマスにそんな地味なイベントやっても誰も来ないでしょ。」


予想通りの反応。私はすぐに反撃する。


「そんなことないぞ。クリスマスに星を眺めるイベントだぞ? ロマンチックじゃないか。」

「でかい望遠鏡で星をのぞくだけでしょ?」


学校の屋上には売り文句の天体観測ドームがある。でも、夜間活動に消極的な学校の方針のせいで、ほとんど使われていなかった。彼が冷めた顔をするのも無理はない。


だが、私は負けない。


「そのでかい望遠鏡で星をじっくり観察して、二人でその感想を言い合うんだ。年に一度のチャンスだぞ?こんな体験、他にない。私はすごく興奮するぞ。」


教壇をトン、と降りると、スカートの裾を揺らしながら部室を歩いた。暗幕のそばを通ると、一緒に星座の話をしている自分たちの姿が想像できた。


「顧問が許さないんじゃない?」


彼はまた面倒くさそうに言う。


──それは織り込み済みよ。甘いわね。


私はにやりと笑い、胸元から一枚の書類を取り出した。観測ドームの使用許可証だ。


「それは、大丈夫だ。既に打診して仮の許可は得てある。お前、知ってるか?あの顧問、娘が中学生で絶賛反抗期中だ。そこで中学生に見えるわたしが目を潤ませて頼んだらいちころだった。まぁ、単純に家に居場所がないのかも知れないが」


「ホント、どんなやり方してるんですか」


「ふふふ、これも、わたしの魅力がなせる技だ。まぁ、別に脅しているわけでもないし、顧問も嬉しかったんじゃないか?」


そう、あのロリコン糞野郎は嬉しそうにしていた。このイベント、顧問の点数稼ぎにもなるから、媚びなくてもよかったかもしれない。

でも、奴の性格を考えると、ここまでやらなければ観望会の開催は20%くらいだったに違いない。


──なんでここまでしなくちゃいけないんだ。


私はさらに腹が立ってきた。


「それよりも、学校の近くにある港で恋愛にまつわる星座の話をして、その後に近くの山手の神社で星をみる方がロマンチックだと思うけどな」


地元の港は、明治時代に栄えたレトロな観光地だ。クリスマスにはイルミネーションで彩られ、美しい雰囲気が広がる。その近くの神社には、海峡を挟んで想いを寄せ合う恋人たちの伝説もある。


釣れた!!


私は初めから平凡な案を出して彼を釣りあげるつもりだった。内心でガッツポーズ。口元がゆるむ。


「だめだな。港は人が多すぎるし、山手の神社は海峡の橋が明るすぎる。顧問の手前、高校のアピールも必要だ。まぁ、星座にまつわる恋愛の話はいいかもしれないな」


彼は腕を組みながら少し考え込み、やがてゆっくりとうなずいた。目線は窓の向こうを泳ぎ、口元には納得したような笑みが浮かんでいた。


──よし、今だ。


私は一歩前へ出て、勢いよく言葉を投げる。


「よし、準備をしよう。まず広報としてチラシを作る。担当はお前だ」

「えっ? 僕もやるの?」


彼は目を見開いて、思わず声を上ずらせた。私は得意げにうなずいた。


「そうだ。お前は副部長だろう? それに“観望会の改善案まで考えてくれた”んだから、参加させないわけにはいかない」


にっこりと笑い言い切ると、彼は肩を落とし、額を押さえた。しまった、という顔だ。あからさますぎて、笑える。


でも、私は真剣だった。この観望会は、彼のために企画したのだ。


私は心の奥で、去年の“あの日”の記憶に触れる。


「そ、それにな。どうせお前はクリスマス暇だろう?寂しく過ごすくらいなら、みんなで何かやったほうが楽しいと思わないか?」


わざと軽く言ってみたけど、彼の表情がほんの少し曇ったのを私は見逃さなかった。きっと、彼もあの日のことを思い出したのだろう。


「いやまぁ、暇だけどさ」


ぽつりと漏らす彼の声が、冬の教室に滲んでいく。


「よ、よし決まりだな。私はもう一度顧問と話をしてくる。また、明日部室で会おう」


彼が何か言いかけるより先に、私はくるりと背を向けて、足早に教室を出た。


よし、今回も上手くいった。今日は本当に緊張した。ガクガクと震える脚を見下ろしながら、私は胸をなでおろした。


窓の外では、冬の風が木々の枝をざわつかせていた。



顧問から正式な許可を得た私は、そのまま山手通りを歩いて帰路についた。街灯がぽつぽつと並ぶ坂道。吐く息は白く、制服のポケットに手を突っ込んだまま、私はひとり天文部のことを思い返していた。


晴人と私が天文部に入ったのは、ちょうど同じ春。切れ長の目と妙に整った坊っちゃん刈りの髪型が印象的だった。最初は地味なタイプかと思っていたけれど……気づいてしまった。


──何気に、めっちゃ顔整ってね?


これはチャンスかもしれない。隠れイケメンなら競争率も低い。幼く見える私でもいけるんじゃないか。


まぁ、あとで「中学から付き合ってる彼女がいる」と知って落胆するのだけど。


私自身はというと、学力的にはもう少し上の学校も狙えたが、天文部があるこの高校をあえて選んだ。本格的な観測施設があるのも魅力だった。


なのに、入ってみればこの有様だ。部員はやる気がないし、活動も形ばかり。私は、絶望した。人生なかなか上手くいかない。


でも、私は動いた。不定期だった活動を週一に変え、観望会を開き、講習会を主催して、必死で盛り上げようとした。


そんな私の熱意に反発したのか、同級生たちは一人、また一人と部室に来なくなっていった。


私は、まただ、と思った。


いつも私の情熱は空回りする。一生懸命になればなるほど、人が離れていく。


小学生の時の図書委員も、中学の英会話クラブもそうだった。真面目にやればやるほど、自分も周囲も傷つけて、最後には孤独だけが残る。


結局、今までに得たものといえば、自分も他人も傷つけないための、この偉そうな態度だけだった。


家に着く頃には、街の光がより際立っていた。夕暮れの山手通りは夜の表情に変わり、どこか心細かった。


帰宅するとすぐ夕食を取り、軽く風呂に入った後、自分の部屋に戻った。


パジャマ姿でベッドにごろりと横になる。天井を見つめながら、今日のやり取りを思い出す。


……ニヤニヤが止まらない。


さて、次はクリスマスプレゼントだ。


でも、何をあげればいいのか、さっぱり思いつかない。


私は流行りに疎いし、彼の趣味もよく分からない。うっかり聞けば、好意がバレて振られるかもしれない。


どうしよう。悩んでも堂々巡りだ。


結局、私は毛布を頭までかぶって、布団の中にこもった。


──上手く聞けるかな?


高鳴る鼓動に、わたしはなかなか寝付くことができなかった。


***


第2幕「怒る私」


次の日。部室の扉を開けると、やっぱり彼がいた。


晴人は窓際の椅子にふんぞり返って、のんびりしている。薄曇りの光が彼の輪郭をやさしく縁取り、どこか気だるげに見えた。


「今日も部活がないのに、珍しいね。」


彼は私の姿を見るなり、いつもの軽口を投げてきた。私はわざとらしく鼻で笑ってやる。


「お前は頭脳明晰な鳥のようだな。」


そう返すと、彼は「それって褒めてるの?」とでも言いたげな顔をした。


「こちらは、ちゃんと顧問の承諾を得てきた。まあ、事前の根回しもあって楽勝だな。それでお前の方はどうだ?」


私は教壇の前に立ち、片手に資料を持ちながら彼を見下ろすように言った。


「デザインは翔馬が美術部の知り合いに頼んでる。あいつ、大人しそうに見えて顔が広いから。文言はまだ考え中だけど、その辺のチラシと似たような感じでいけるでしょ。まず大事なのはデザインだからね。」


飄々とした返事に、私は思わず目を瞬かせる。


……めっちゃ意外。絶対、何も進めていないと思ってたのに。


けれど、すぐに平静を取り戻して、ゆっくり頷いた。


「流石だな。行動が早い。文言は明日の部活で皆の意見を聞くのがいいだろう。現時点ではその程度がちょうどいいな。お前はなかなかできる男だ。」


──ちょっとぎこちない褒め方だけど大丈夫かな? でも、まずは感謝を伝えないと。


「よし、目処はついた。いつもありがとうな。」

「お、おう。」


彼は照れくさそうに頭をかきながら答えた。


よし、ここからが本番だ。


私は小さく深呼吸し、緊張を紛らわせようとする。けれど手のひらはじんわり汗ばんで、唇がわずかに震えていた。


──でも、彼のためにも聞かないと。


「そ、それでだな。お前に、ちょっと質問がある。」


私は少し視線をそらして言った。彼はあくびをかみ殺しながら、「何か用?」と気の抜けた声で返す。


やっぱり、この性格ムカつく。


それでも私は言葉を続けた。


「お、お前はどういう人間だ?どんなことに興味がある。」


……これが、プレゼントのヒントを得るための、精いっぱいの質問だった。わたしの気持ちに気づいただろうか。不安と期待が交錯する。


でも彼は──そんな気持ちには気づかず。


「急に聞かれても困るなぁ。僕は椿さんみたいに優秀じゃなくて普通の人間だね。興味はこれってのはなくて色々。椿さんはホントにスゴいよねえ。頭も良いし、天文部の活動だっていつも情熱的で、学年一の才女ってもっぱらの噂だよ。」


……えっ?


なに?なんなのそのテキトーな答え! 一年間も待たせておいて、なんでそんな返し方するの!?


この観望会の企画も、この質問も、わたしがどれだけの想いでやっていると思ってるの!?


胸がぐっと熱くなる。


「お、お前の興味はそんなものか! ……ほんと、つまらない男だな。お前には情熱ってものがないんだ。」

 

気づいた時には、声が怒りに震えていた。言いたくなかった。でも、止まらなかった。


──なんで気づかないの!?


「そんなことないよ。僕も情熱を持って生きてるって。……どうしたの、急に?」


私は机の端をぎゅっと握った。指先が白くなる。


「本当にそうか? そうだといいな。だが、わたしにはお前の情熱が伝わってこない。」


まさに“返す言葉になんとやら”とはこのことだな……。そう思い始めた矢先──


「えっ、そうかな? どうすれば伝わると思う?」


……は?


「どうすればいいかだって?!」


目の奥が、カーッと熱を帯びる。


それはあんたが考えることでしょ! なんで他人事みたいに言うの!?


「そんなこと自分で考えるべきだ。お前が情熱を持っているとわかったら、わたしに教えるんだな。それで……これから話を続けられるかどうか決める。」


言い切ったあと、空気が静かになる。


彼の表情がわずかに強張ったのが見えた。


「……は、はい。わかりましたよ。情熱を持っていることがわかったら、ちゃんと伝えますよ。」


その言葉に、わたしはいたたまれなさを感じた。


でも、それ以上に彼を傷つけた罪悪感の方が強くて、目にじんわりと熱いものがこみ上げてくる。


「ふん。それじゃあ、今日はこれで切り上げる。また今度、時間があるときにでも話をしよう。」


私はそう簡単には揺れない前髪を揺らしながら、勢いよく部室を飛び出した。


階段を降りる途中、窓の外に目をやる。木々が冷たい風に吹かれ、小刻みに揺れていた。



その夜。

わたしは布団の中で、ものすっごく落ち込んでいた。


なんで、あんなこと言っちゃったんだろう。彼を傷つけたかもしれない。嫌われたかもしれない。


涙がじんわり浮かんで、枕に染み込んでいく。


こんなにずっと、好きだったのに──。


私は彼との思い出を振り返っていた。彼と親しくなったのは、いつからだっただろう。たぶん、去年の今ごろだったと思う。

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