第2話 母乳は要らぬ、魔物を食べるからな
──あれから一日と十時間が過ぎた。
俺がこの世界に生まれ落ちたのは真夜中だった。
だから今は昼。
昼といえば、もちろん―――
「……昼飯の時間か」
そう呟いた瞬間、母さんが俺を抱きかかえてきた。優しく、そして強引に。
「コラ、リュカ!ちゃんと飲みなさい!」
ぐいっと押し付けられる柔らかさ。けど俺は首をぶんぶん振って拒否する。
(おいおい……冗談じゃねぇ。母乳だと?そんな“弱者の糧”で満足できるか!)
流動食なんざ、顎も筋肉も育たない。当たり前の話だ。
──なら俺は何を食うのか?答えは一つ。
「決まってるだろ。魔物の肉だ」
この世界には魔力があふれている。
空気に、土に、草花に、そして人間にすら。
そして──人間以外で魔力を持つ存在を、人は総じてこう呼ぶ。
──魔物と。
魔物の肉を喰えば、身体能力は跳ね上がる。
だが当然、危険は伴う。
魔力が強すぎれば肉体は崩壊し、食えば全身を切り裂くような激痛──いわゆる成長痛に苛まれる。
だから普通、人は魔物なんて食べない。
食べない、はずだ。
(……だが、俺は“普通”じゃない)
強くなるためなら、そんな代償は知ったことか。
痛みだろうがリスクだろうが──全部飲み干してやる!
「あっ?あっ?リュカちゃん?何処へ──あっ?!コラ待ちなさい!!」
母さんの声を背に、俺は高速ハイハイで布団を飛び出した。
床を叩き割る勢いで手足を動かし、驚異のスピードで玄関へ突進。
「母さん、自分の食事は……自分で決めます!!」
赤子離れしたハッキリした発声に、母さんが絶叫した。
「はあああああ!?!?!?」
けれど俺は止まらない。部屋の扉を押し開け、陽の光が照らす廊下に飛び出した。
目指すは森。そこには魔物がいる。
そしてその肉こそが、俺を世界一へと押し上げる踏み台だ。
(待ってろよ、世界ランク一位──俺の最初の一口は、魔物の血肉だ!)
後ろで母さんの怒号が響く。
──だが、俺の心臓は高鳴るばかりだった。
家は、どうやらちょっとした貴族らしい。
だからこそ出産にも助産師が付き、今も大事に、過保護に育てられている。
「坊ちゃまー! お待ちくださいませーっ!」
背後から、執事シルバリアの声と足音が迫る。
だが──無駄だ。
(俺の高速ハイハイを侮るなよ?)
絨毯を蹴り、廊下を滑るように走る。赤子の体を傾け、華麗にコーナリング。
窓際の茂みに身を投げ込み、葉の陰で息を潜めた。
「……坊ちゃま?」
シルバリアの影がすぐそばを通り過ぎていく。
──よし、撒いた。
音が遠ざかるのを待ち、そっと茂みから身を起こす。
まだこの赤子の体では持久力に限界がある。逃げ切るのは不可能。だからこそ、こうして頭を使う必要があるのだ。
(さて……魔物を、どうやって捕まえるかだ)
この世界では、森や庭園にすら小型の魔物が潜む。
俺が狙うのは、弱い魔物──野兎に似た「マナラビット」。
魔力を帯びた草を食べる、序盤の獲物にちょうどいい。
俺は小さな手で土を掘り、枝を折り、蔓を巻きつけていく。
赤子の身体能力では大したことはできない。だが、罠の仕組みは単純でいい。
魔力のにおいが強い草を撒き、枝の輪に足を取らせる。それだけだ。
「……来たな」
マナラビットが跳ねながら近づく。
鼻をひくひくさせ、草を食む──その瞬間。
パチン、と蔓がはじけた。
ラビットの足が宙に吊られる。
「よし……っ!」
俺は必死に小さな身体を躍らせ、魔物に噛みついた。
牙も生えていない赤子の歯が、皮膚を破るには足りない。
だから俺は、手で、爪で、泥を掴むように肉を裂いた。
「ぐぅっ……がぁあああああ!」
口内に流れ込む、生温い血。
鉄の味が舌を灼く。喉を焼く。
同時に、全身の骨と筋肉が悲鳴を上げた。
──これが“成長痛”。
『【
魔物の魔力が血肉に流れ込み、俺の肉体を無理やり変化させる。
皮膚が裂ける。筋が引きちぎれる。骨が軋む。
(はぁ、はぁ……っ! だが……これでいい!)
痛みで視界が揺れ、意識が飛びそうになる。
それでも俺は、魔物の肉を噛みちぎり、血をすすり続けた。
「……う、まい」
血だらけになりながら笑う。
痛みと快感がないまぜになり、頭の奥が痺れていく。
(これだ……! これこそが、俺が最強に至る道のりだ……!!)
こうしてリュカ・アークライト、1日と十時間の赤子は──
“世界で初めて魔物を捕食した赤子”という伝説を刻んだのであった。
****
その日の午後。
アークライト家の執務室に、血の気を失った使用人が駆け込んできた。
「……ガルス様、大変な報告が……!」
広い机に両手を突き、必死の形相で言葉を絞り出す。
アークライト家当主、ガルス・アークライトは重厚な椅子にもたれ、鋭い眼光を向けた。
「ふん……慌てた顔だな。何があった」
「はっ……し、信じ難いのですが……!」
「要点だけ言え」
「は、はい! 屋敷近くを通りかかった領民が目撃したそうで……」
「目撃?何をだ?」
「──齢一年にも満たぬ赤子が……口から血を滴らせながら、魔物の肉を喰らっていたと……!しかも……口元を狂気の笑みに染めながら……!」
「…………」
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。
ガルスは腕を組み、額に手を当てる。
「……くだらん。そんな事があるか」
低く唸るような声が、石壁を震わせた。
「第一、人間が魔物を食すだと? あり得ん。魔力を帯びた肉を口にすれば、体は崩壊する。過去、挑んだ者は皆……破裂して死んでいるのだ」
「し、しかし領民は確かに見たと……!」
「ならば──考えられるのは、新種の魔物だろう」
ガルスの目が鋭く光る。
荒唐無稽な報告を、一刀両断するその姿は、まさに領主としての威厳に満ちていた。
「念のため、屋敷の警戒を強めろ。妙な魔物が近づいたのかもしれん。世継ぎも生まれたばかりの時に……なんとも、厄介な話だ」
「はっ……!」
執事が頭を下げ、足早に部屋を出ていく。
──その頃。
廊下の影から、血で汚れた口を拭いながらハイハイする小さな赤子の姿があった。
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最強への至り方 アラクネ @arakune1113
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