最終話 過去との決別、未来への祝杯
その日、街の入り口に、王家の紋章を掲げた豪奢な一団が到着した。先頭の白馬に跨るのは、私が忘れるはずもない、かつての婚約者――アラン王子その人だった。
辺境の地に突如として現れた、あらゆる種族が集い、栄える奇跡の街。そして、その中心にいる“梅酒の聖女”の噂は、風のように国中を駆け巡り、ついに王都で暮らす彼の耳にも入ったようだ。
数年ぶりに見る彼は、以前と変わらぬ美しい容姿をしていたが、その瞳には焦りと傲慢さが浮かんでいた。自分が捨てた女が、これほどの影響力を持つ存在になっている――その事実が、彼のプライドを酷く傷つけたのだろう。彼は街の活気と、そこにいる異種族たちの姿を不愉快そうに見渡すと、まっすぐに私の元へとやってきた。
「リディア、久しぶりだな」
王子は、馬の上から私を見下ろし、尊大な態度で口を開いた。
「君がこのような場所で、奇妙な者たちと戯れているという噂を聞いた。もう十分だろう。私の過ちを許し、王都へ戻るのだ。再び、私の妃として迎え入れてやろう」
それは謝罪では到底なく、願いですらない。ただの命令、目下のものに対する
街の人々の間に緊張が走り、隣に立つガイルの全身から静かな怒気が放たれるのが分かった。
しかし、私は穏やかだ。彼の言葉はもう、私の心を少しも揺さぶらない。
「お言葉ですが、アラン殿下」
私は静かに、だが全ての者に聞こえる、凛とした声で答えた。
「私の居場所は、王都にはございません。私の幸福は、この場所で、皆と共に生きることにあります」
私のきっぱりとした拒絶に、アラン王子の顔が怒りで赤く染まった。
「……面白い冗談だ。私が誰だか忘れたか! 衛兵、何をぼんやりしている! この女を捕らえよ!」
王子が激昂して命じると、彼が引き連れてきた衛兵たちが一斉に剣を抜き、私へと迫ってきた。
だが、彼らの剣が私に届くことはなかった。
「聖女様には、指一本触れさせん!」
一番に立ちはだかったのは、ガイルだった。彼の抜いた漆黒の剣が、衛兵たちの刃を容易く弾き返す。それを合図にしたかのように、街の住民たちが次々と私の前に壁を作った。農具を手にした人間、大槌を構えたドワーフ、弓を番えたエルフ――彼らは種族こそ違えど、皆、大切なものを守るという一つの意志で団結していた。
武装と技量で勝る王子の衛兵たちが、寄せ集めとは思えぬ街の人々の連携の前に、なすすべもなく打ち破られていく。
やがて、味方が全て倒された王子は、ガイルの剣を喉元に突きつけられ、馬から引きずり下ろされた。地に伏し、泥にまみれたその姿は、あまりにも哀れだ。己の無力さと傲慢さを、今、全身で突きつけられているのだ。
「くっ……、バカな、こんなことが――!」
歯噛みし、顔をゆがめて睨む王子の元に、私はゆっくりと歩み寄った。憎しみはない。あるのは、ただ、憐憫の想いだけだった。
私は持っていた銀杯に、琥珀色の梅酒を注ぐと、彼の前にそっと差し出した。
「殿下。どうぞ、これをお飲みください」
王子は、敗北と屈辱に歪んだ顔で私を睨みつけた。しかし、私の瞳に一切の悪意も嘲りもないことを見て取ると、やがて自嘲するようにそれを受け取り、一気に飲み干した。
ゴクリ――
王子の喉元を梅酒が通り抜けた瞬間、彼の瞳から、すうっと怒りと嫉妬の炎が消えていった。その表情から険が落ちる。
「私は…、なんという過ちを……」
王子は呆然と呟き、深く頭を垂れた。彼を縛り付けていた、ちっぽけなプライドが浄化された瞬間だった。
幻の梅酒の力で改心したアラン王子は、私と街の人々に心からの謝罪を述べると、静かに王都へと帰っていった。
その後、王都に戻った王子は人が変わったように政務に励み、民の声に耳を傾け、やがては“賢王アラン”として、誰からも尊敬される立派な王になったという。彼が私に、この地に、干渉することは二度となかった。
そして、私は――“梅酒の聖女”として、愛するこの街で、愛する人々と共に生き続けた。時には相談に乗り、時には病を癒し、時には皆で祝杯を挙げる。私の隣にはいつも、忠実な騎士であり、かけがえのないパートナーとなったガイルがいた。
精霊の森に輝く、あの黄金の梅の木――その一本の木から生まれた優しい奇跡は、傷心の令嬢を聖女へと変え、寂れた辺境を楽園へと変えた。その物語は、種族を越えて人々に愛され、後世まで永く、永く語り継がれていく――
おしまい
王子に婚約破棄された伯爵令嬢は、傷心のあまり辺境にひきこもるが、幻の梅酒を造って聖女と呼ばれるようになる よし ひろし @dai_dai_kichi
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