次なる一皿

火星ピザの余韻が冷めやらぬ翌日、

基地内では早くも「次なる一皿」を模索する機運が自然と高まっていた。


誰が言い出したわけでもない。

けれど、料理を“食べた”という事実は、食べた者すべてに新たな問いを生む

――次は何を作ろうか、と。


「ピザは、火星文化の第一歩。でも……もっと違う調理法も試さないと」


エミリア・カーターはそう断言した。

彼女の前には新たに収穫されたミズナが並び、


同時にいくつかの加熱装置と試作用の簡易調理器具がセットされている。

湯煎器、フライパン、蒸し器。

そして、火星ではめったに使用されない“揚げ物用オイルポッド”も。


「ミズナの天ぷら、ですか」

ナタリアが半ば呆れたような目で言う。

「火星で、揚げ物?」


「ええ。高温・短時間加熱の代表格。

 火星仕様の低酸素環境下でも、密閉加熱装置を使えば理論上は可能」


「……油は、貴重品よ?」


「知ってるわ。でも、“試す価値があるか”を確かめるのが科学でしょう?」


エミリアは笑いながら、丁寧に天ぷら衣を練っていった。

使用する粉は、前回ピザに用いた火星小麦“MS-21”の微粉末。

水分量は通常より少なめ、低気圧下での膨張を考慮し、

炭酸ガスを発生させる重曹はごく微量に抑える。


「なあ、揚げ物の試作って、危険じゃないか?」

ショーンが装置を見つめながら眉をひそめる。


「加圧密閉式の簡易調理ポッドを使うから、問題ないわ。排気バルブも二重設計よ」

エミリアは装置に油を注ぎながら言った。

「むしろ問題なのは、温度制御ね。180度を維持するのが難しい」


ユウタがミズナの葉を水でさっと洗い、

キッチンペーパーで余分な水分を丁寧に拭き取っていく。


「この葉、天ぷらに合うと思う。薄くて軽いけど、火を入れると独特の香りが立つ。

 それに、今のミズナは葉肉がしっかりしてるから、加熱に耐えられるはず」


「副菜の王様が、主役になれるかしらね」

エミリアがにやりと笑い、ミズナを衣にくぐらせた。


密閉フライ装置が作動すると、内部から小さな気泡音とともに、

油の香ばしい匂いが立ち上った。

火星基地で、明確に“揚げ物”の匂いが漂うのは、これが初めてだった。


ナタリアが思わず鼻をひくつかせる。


「……まさか、こんな香りが恋しくなるとは」


数分後、揚げ終わったミズナがバットの上に置かれた。

やや淡い金色、ところどころ気泡が入り、葉の形がそのまま残っている。

油の量が限られていたため完璧な揚がりではないが、

それでも見た目には十分“天ぷら”と呼べる代物だった。


「それじゃあ、火星の“揚げ物文化”第一号……試食といきましょうか」


エミリアがひとつ摘まんでかじる。

パリッという音とともに、口の中に香ばしい油の風味と、ミズナ特有の青い香りが広がった。


「……これは、いいわ」


ユウタも試食し、うなずいた。


「加熱によって苦味がまろやかになってる。

 なのに香りは残ってる。……おもしろいな。ミズナってこんな味の幅があったのか」


「揚げ物の利点が生きてるわね」

ナタリアも同意した。

「油が素材の風味を閉じ込めるし、構造も壊れにくい」


「つまり、限られた食材でも“調理法の多様性”で文化が広がるってことだ」

カルロスがメモを取りながら言った。

「効率優先の食生活だけでは見えなかった面だな」


ショーンは録画装置を再起動しながら口を開いた。


「これも、ちゃんと記録して残すか。“調理方法別ミズナ実験”ってことで」


「“油による文化の拡張”も一章立てたいわね」

エミリアが冗談まじりに言った。


揚げたミズナは数分で冷めたが、口に残った風味と香りは、長く後を引いた。

それは、単なる実験の成果ではなかった。


料理は“素材”に宿るだけでなく、

その“調理法”にもまた、人の知恵と試行錯誤の痕跡が残る。


焼く、煮る、蒸す、炒める、揚げる――

火星という未踏の環境において、それらのひとつひとつを試していくことは、

文化の幅を広げ、未来の“味の地図”を描いていく作業なのだ。


そして今夜、その地図に新たなひと筆が加えられた。

一枚の、揚げられたミズナの葉の形で――

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