味の評価
火星基地内の照明が、いつもより微かに温かく感じられたのは、気のせいではなかった。
調理モジュールに用意された長テーブルの中央には、
銀色の断熱トレイに載った“火星ピザ”が鎮座していた。
黄金色の焼き上がり、赤みの残るトマトソース、焦げのついたラディッシュ、
散りばめられたミズナの緑――どれもが、明確な“料理の姿”を成している。
そしてその傍らでは、NASA本部提出用の公式映像記録が始まろうとしていた。
「録画開始。映像記録モード、ミッションアーカイブ:C-3、ラベル“First Martian Dish”。
音声、映像、全チャンネル同期中」
カルロスが淡々と告げる。
複数のカメラが天井からアームで降り、調理台とテーブルの全景を捉える。
ショーンは事前に設計しておいた記録用台本を手に、
少し緊張した様子でピザカッターを取り出した。
「じゃあ……切るぞ」
ピザは、5等分にされることが決まっていた。
5人のクルー。それぞれに等しく、偏りなく、最初の一切れを分け合う。
この選択は単なる数学的判断ではなかった――象徴的な意味を含んでいた。
「こういうとき、ピザって便利だよな。均等に割れるし、“分ける”ことそのものが文化的だ」
ショーンが、緊張を和らげるように笑いながら言った。
「誰かが取り分け、他の人に渡す。そういう動作そのものが、人間の社会性を表してる」
ユウタが頷く。
「個人のための栄養摂取じゃなく、“共に食べる”っていう儀式が生まれる」
ナタリアがそれに静かに加えた。
「ピザの中央から放射状に切ると、自然と全員が同じ方向を向く。
……それって、象徴的よね。“円卓”と同じ意味を持つ」
「なるほど、まるでアーサー王の晩餐ね」
エミリアが微笑む。「火星の“円卓”がこれとは、悪くない」
ショーンが慎重に、放射状にナイフを入れる。
手首の動きは静かでありながら、どこか儀式めいていた。
「5等分、完了。温度は最適。各ピースの大きさ、誤差4mm未満」
「それじゃ……評価に入ろう」
カルロスが音声記録ボタンをタップした。
一人ひとりにピースが渡される。
手のひらに収まるほどのサイズ。まだ温かく、ほのかに香ばしい香りが立ち上る。
クロレラとトマトのソースが混ざり合った香気、
焦げたラディッシュの甘味、焼き上がったミズナの青味
――それらが混然一体となって、火星の空気を新しい“匂い”に塗り替えていく。
「じゃあ……いただきます」
誰からともなく発せられたその言葉が、全員の動きを揃えた。
まず一口目。
沈黙。
クロレラのクセがほのかに残るものの、それをトマトの酸味が包み、
ラディッシュの歯ごたえがアクセントとなっている。
小麦の生地は香ばしく、やや硬めだが咀嚼に満足感があり、噛むたびに味が深くなる。
ミズナの苦味が、全体を引き締めている。
それは不思議と“家庭的”な印象すら与えた。
地球では決して再現できない、火星の食材でしか出せない味――だが、懐かしさすらあった。
「……うまい」
最初に声を漏らしたのはショーンだった。
「思ってたより、ずっと食べやすい。クロレラ、いけるじゃないか」
「甘さと酸味のバランスがいい。ラディッシュが加熱で化けたわね」
エミリアも感心したように言う。
「私は……この“温度”が好き」
ナタリアは目を閉じたまま言った。
「火星の設備でこれだけの火入れができたなら、他の料理も可能性がある」
「栄養バランスも完璧。これ一枚で、今日の摂取目標の3割を満たせる」
カルロスが技術的評価を加えた。
ユウタは最後まで何も言わず、口の中で何度も咀嚼を繰り返していた。
やがて、彼はそっと呟いた。
「……これが、“火星の味”だ」
誰も否定しなかった。
カメラが回る中、5人のクルーが火星の赤い大地の下で、1枚のピザを5等分して分け合う
――その姿は、やがて地球の研究所や学校、
ドキュメンタリー番組で何度も再生されることになるだろう。
だがその瞬間、彼らが感じていたのは、
“歴史”ではなく、“日常”だった。
そしてその日常が、火星に根を下ろし始めていた。
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