再現か創造か

火星の昼。人工照明の下で育ったミズナが、ユウタの手によって丁寧に収穫されていた。

細かく切り揃えられた葉は、水気を含んでわずかに光り、どこか儚げな美しさを湛えていた。


「こうやって見ると、地球と変わらないんだけどな」


彼は葉の一枚を手に取り、ひらひらと指先で揺らした。

けれど実際には、重力も、水も、光も、すべてが違っていた。


火星で生まれ、火星で育ったこのミズナは、

もはや“地球の植物”とは言い切れない存在になっていた。


その頃、調理モジュールではエミリアがクロレラ粉末を手のひらで擦りながら、

じっとソースの試作品を見つめていた。


緑のペーストは、見た目こそ馴染まないものの、

熱を加えることでややナッツのような香ばしさが出ることが分かってきた。

トマトとのバランスも悪くない。


しかし、何かがまだ足りない――


「ねえ」


エミリアはふいに言った。

作業台にいたナタリアとショーンが顔を上げる。


「私たち、これって“火星料理”を作ろうとしてるの?

 それとも、“地球料理の火星版”を作ってるの?」


ナタリアは眉をひそめた。「……どういう意味?」


「たとえば“ピザ”って名前がついてるだけで、

 私たち無意識に“地球の味”を追いかけてない?

 トマトの甘さとか、ミズナの苦味とか、クロレラを“隠す”ような工夫もそう。

 ……それって、“再現”になってないかしら」


ショーンが頷いた。


「確かに……俺も、“それっぽい味”を目指してる気がしてた。

 あの、子供の頃に食べたチーズピザの味が、脳のどこかに貼り付いててさ」


「でも、それは悪いことじゃない」

ナタリアは静かに言った。

「“記憶の味”を火星に持ち込むことで、心が安らぐ。食文化ってそういうものじゃないの?」


「……だけど、“ここ”で作る以上、それは新しい何かであるべきじゃない?」


エミリアの言葉に、短い沈黙が落ちた。


やがてユウタがミズナのトレイを持って入ってきた。会話の内容を察して、ふと呟いた。


「“再現”か、“創造”か……」


彼はプラントで何度も試験を繰り返してきた。

「地球の植物を、火星でどう“再現”するか」が当初の課題だった。


だが、今目の前にある作物たちは、もう“再現品”ではない。

火星の気圧、火星の光、火星の水を受けて育った、唯一無二の存在だ。


「じゃあ、逆に聞こうか」

ショーンが腰を上げ、声のトーンを落とす。


「“再現しなければ文化じゃない”って思ってないか?

 伝統があって、名前があって、レシピがあって

 ……それが文化の条件だって。でもさ、違うかも」


彼はトマトピューレの鍋をかき混ぜながら続けた。


「火星では、誰もレシピを教えてくれない。

 祖母の味も、母の味も、ここにはない。

 でも、俺たちが今やってるのは、まさに“味のはじまり”だ。

 それを文化と呼ばずして、何を文化と呼ぶんだ?」


エミリアは黙ってクロレラペーストを一さじすくい、ミズナにのせて口に運んだ。


青臭さ。苦味。そして――わずかな、未知の風味。


それは、どこにも似ていない味だった。

地球のものではなく、火星のものでもまだない。だが確かに“ここ”にしかない味。


「……再現でも、創造でもなく、“交差点”なのかもしれないわね」


エミリアが静かに呟いた。


「記憶と現在が交差して、新しい輪郭ができる場所。

 それが“火星の食文化”になるなら、私はそこに立ち会いたい」


「それでいい」

ユウタが頷く。


「ピザでも、なんでも名前は後から付ければいい。

 “何を再現するか”じゃなくて、“何が生まれるか”を楽しむべきなんだ」


調理室に、柔らかな沈黙が満ちた。


味とは、過去を追う行為でありながら、未来を予感させる。

火星で作られるその一皿が、“地球の記憶”を引きずりながらも、新たな風景を指し示すなら

――それはもう、“火星料理”と呼ぶに値するだろう。


そして今、まさにその始まりがここにある。

再現か、創造か。

その問いの答えは――彼ら自身が“食べる”そのときに、きっと見えてくる。

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