1-「深い夜の入り口」
「もう!私だって大人なんだから!!いつまでも子ども扱いしないでよ!!」
20代くらいの女性がドスドスと足音を立てて歩いていた。
彼女の顔には怒りの色が浮かんでいる。
きっと、親と口げんかでもしたのだろう。
家から飛び出した彼女は避難場所を探していた。
夜までやっている店がほぼないここで唯一遅くまでやっているのがコンビニだ。
彼女は感情のままに足を進め、気がつけばバス乗り場まで来ていた。
「…え、そんなに歩いてきちゃってたの」
コンビニは家の前を通らないとたどり着けない
それを思うと、ため息がこぼれる。
すでに怒りの熱は冷めていて、代わりに残っていたのは
少しの疲れと後味の悪さだった。
「帰って今日は寝て、明日もう一回話し合いますかね」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、引き返そうとしたその時―
視界の端に何か光るものが見えた。
彼女は光のさすほうへ導かれるように歩き出す。
「…月詠堂?え、こんなところに本屋さんなんてあったっけ」
かすかに「月詠堂」と読める手書きの看板を小さなランプが照らしていた。
建物は古いレンガ造りで看板もだいぶ年季が入っている。
しかし、まるでそこだけ誰かが最近付け替えたかのように扉だけは妙に新しかった。
“見れば見るほど、ドアの新しさが浮いて見えるな”
“少し不気味だけど店内が気になってしょうがない”
“ええい!女は度胸だ”
彼女は意を決してドアノブに手をかけた。
その瞬間、夜の町に響いていた虫の声がパタッとやんだ。
まるで世界が息を止めたような感覚だった。
何とも言えない居心地の悪さに彼女の心臓はどんどん早く鼓動する。
握る手は震え、首筋を伝った汗が空気に触れて静かに冷えていくのを感じた。
彼女は深く息を吐くと静かにドアノブをひねった。
ドアが開くと、かすかにホコリのにおいが立ち込めた。最初に目に入ったのは
暖かいランプの光で照らされた机で本に目を落とす男性だった。
足音に気が付いたのか彼は顔を上げて灯を見た。
「やあ。いらっしゃい」
静かな店内に低くて心地のいい声が響く。その声は彼女に妙な安心感を与えた。
「あ。どうも、おじゃまします」
声をかけてきたのは50代くらいの男性だった。
私の顔を見るとにこっと微笑んだ。
“あれ?なんか一瞬もっと若い人のように見えた気がする”
「待っていたよ」
「…どういうことですか?」
「僕の手元にある“この本”が教えてくれていたんだ。
月明かりのきれいな夜に女性の来訪者あり、とね」
「え?本が、ですか?」
「そうさ。変な話だと思うかもしれないけれど君もそのうち分かるさ」
「はあ」
“本当に、ここは普通の本屋なんだろうか。”
“私の本能が普通ではないと言っている…でも考えすぎか”
頭の中ではいろいろな考えが浮かんでは消えた。
でも、それでもやっぱり——気になってしまったのだ。
見たことのない本たちに、触れてみたいという気持ちが。
根っからの本好きとして、この“見たことのない本の森”に
心躍らずにはいられなかったのだ。
「立っているのも疲れるでしょう」
灯は目の前の椅子に視線を落とした。少し迷ったあと、そっと腰を下ろす。
「改めまして。ようこそ月詠堂へ私が店主の都羽李(とばり)。基本は一人でここを切り盛りしているよ。君の名前は…」
「灯です。星南灯といいます」
「灯ちゃんね。よろしく」
「…はい。よろしくお願いします」
初対面の人間を「ちゃん」づけで呼ぶ距離の詰め方に少し戸惑った。
けれど、無言の時間を作りたくなかった灯は、さっきまでの会話を頭の中で巻き戻しながら話題を探そうとした。
すると、そのやり取りの中に、一つだけ引っかかる疑問があった。
「一つ聞いてもいいですか?」
「なんなりと!私にわかることであれば」
「都羽李さんが今手に持っている本は、どういう日に誰々が来るよって
教えてくれるのに名前までは教えてくれないんですか?」
「そうだね。この本にとって名を求めることは不要ってところかな」
「…どういうことですか?」
「そういうこと」
「また、そのうち分かるよってやつですか?」
「アハハ。ご名答!それと、灯ちゃん。
話しにくければ堅苦しい話し方はやめていいからね」
「あ、はい。慣れてくれば自然に崩れてくるかもしれないです」
頭の片隅に残る違和感を振り払うように、椅子から立ち上がった。
改めて周囲を見渡すと、灯を取り囲むように隙間なく本が詰まった背の高い本棚が
そびえたっていた。
それだけで、どこか息苦しさすら感じられた。
“なんか異様な窮屈感を感じるんだよね”
“本棚が高いからなのかな?いや。狭いスペースに本がいっぱいあるからか?”
灯は視線の先にあった棚へ無意識に足が向いた。
特に深くは考えず、直感で一冊の本を手に取ってみた。
開くと少しほこりが舞った。しかし、何の変哲もないただの古本のようだった。
ほかの棚も見たくなった彼女はどんどん奥へと足を踏み入れた。
“あれ?こんなに奥行きがあるような場所だったっけ?”
本を手に取っては棚に戻す——その動きを何度か繰り返していると
ひとつの気になる棚が目に留まった。
並んでいたのは、どれも静かに色づいた青空のような装丁の本たち。
派手さはない。でも、どこか懐かしさのような温かみが漂っていた。
一冊を手に取り、そっとページを開くと一枚のしおりが落ちた。
慌てて拾うと名前が書いてあった
―千歳
「あの…すみません。このしおりが本に挟まっていたんですけど」
「ああ、それは千歳のだね」
「なんで店主さんは、このしおりを見ただけで持ち主がわかったんですか?」
「今、君の目の前にあるその棚は千歳がよく見てるからね」
「……千歳?」
「ああ、うちのもうひとりの“常連”さ」
真夜中の徐店(しょてん) ほむら涼來(すずな) @2006suzu
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