はぐれていく 外伝
鈴木 優
第1話
はぐれていく 外伝
鈴木 優
岸壁が、どんどん離れていく。
銅鑼の音が低く響き、錆びた鎖が軋む音がする。重々しいエンジンの振動が足元から伝わり、船体がゆっくりと、しかし確実に岸壁から離れていくのを感じた。故郷の港は、朝日に照らされながら、あっという間に手のひらほどのサイズになっていく。見慣れた防波堤の先端に立つ白い灯台も、やがて点のようだ。潮風が頬を撫で、どこか生臭く、そして少しだけ故郷の匂いがした。胸には、張り裂けそうな切なさと、東京という場所への漠然とした期待が、湿った空気のように絡みついていた。十九歳の春、私は東京行きのフェリーの甲板に立っていた。
隣に立つ翔太は、私より背が高く、しかしながら年齢は一回り以上下だ。
でも、うちに秘めた情熱や野心は私より群を抜いていた事と思う
遠ざかる港をじっと見つめてる
少し大きめのパーカー着て。こうして同じ船で東京へ向かうことになるとは、数ヶ月前には想像もしていなかった。
船は外洋に出ると、途端に大きな横揺れを始めた。胃のあたりがふわふわと浮き上がるような不快感に、思わず手すりをぎゅっと握りしめる。波しぶきが甲板まで飛んできて、顔に冷たい水滴がかかった。
「優さん、大丈夫っすか? 顔色悪いですよ
翔太が、少し心配そうに私の顔を覗き込んだ。彼の声には、いつもの元気なトーンが混じっている。
「ちょっとなァ〜。まさか、こんなに揺れるとは思わなかった」
私は苦笑いしながら答えた。東京への道のりも、船旅も、そして翔太と二人きりでの長距離移動も、私にとって二度目の経験だった。
翔太はポケットからスマートフォンを取り出し、ロック画面に映る写真を見つめた。そこには、幼い子供を抱いて楽しそうに笑う女性の姿があった。彼の妻と子だ。以前東京に行った際、彼は夢を追いかける中で、故郷に残した家族との間にすれ違いが生じ、一度は挫折して戻ってきたと聞いていた。そして今、彼は再び家族を故郷に残し、私と共に東京へ向かう船に乗っている。
「東京着いたら、まず、この子たちに電話します。今度こそ、いい報告ができるように」
翔太は、少し照れくさそうに、でもどこか誇らしげに言った。その声は、潮騒とエンジンの音に混じり、少しだけ遠くに聞こえた。彼の言葉は、私の心に、彼の揺るぎない覚悟と、それを支える家族の存在があることを明確に伝えた。
「私は、出版社とか、色んなところ回って、自分の作品見てもらうつもり。翔太が以前、読んでくれた、あの小説、今年は絶対獲るから」
私は翔太をじっと見つめて言った。彼こそが、私が小説を書くきっかけをくれた人物だ。
「優さんの文章、すごく好きです!」
と真っ直ぐな目で言ってくれたのが翔太だった。それ以来、私の最初の読者はいつも彼で、私が新作を書き上げるたびに感想を求めていた。私自身も、一度は東京で夢破れ、故郷に戻ってきた過去がある。だからこそ、今、翔太と共にこの船に乗っている。
翔太は、私の言葉を聞くと、真っ直ぐに私を見返した。彼の瞳の奥には、いつもの快活な表情とは裏腹に、強い光が宿っている。
「優さんの小説、本当に好きですよ。東京で、絶対売れっ子になってください。俺にできることがあったら、なんでも言ってくださいね。今度こそ、優さんの小説家としてのパートナーは、俺が一番だって思ってますから」
彼の言葉は、潮騒とエンジンの音に混じり、しかしはっきりと私の心に届いた。遠ざかる故郷を背に、隣に立つ翔太の存在は、この広大な海の上で、何よりも心強いものだった。私たちは、一度は諦めかけた夢をもう一度追いかけるために、そして故郷に残した大切な人たちのために、今、再び東京へ向かっている。不安よりも、彼と一緒ならきっと大丈夫だという、確かな希望が胸の中に大きく広がっていくのを感じた。
はぐれていく 外伝 鈴木 優 @Katsumi1209
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