もう一度触れて久遠。

花白しろ

第1話 あなたに触れて


 優しくて、温かいように見えるけれど、実際は冷たくてなんの思いもこもっていない、光が窓から差した。


 どこを見ても殺風景で、白い砂に白い雲、白い空に白い光、全て濁った白がこの世界を作り上げている。

 まるで、この国に住む天使のような風景だ。


 今日もそんな憂鬱な世界に呆れを示しながら、今年で315歳になった天使のシュクレは身体を起こした。


 硬くて、寝心地の悪いベッドを睨みつけて、彼女がまず向かうのは、近くにある本棚だ。こんなちっぽな世界、楽しみといえば読書ぐらい。


 木でできた、座り心地の悪い椅子に腰掛けて、風に金髪が揺れる。ピンク色の透き通った瞳も、整った顔立ちも、華奢な身体も、何もかもが彼女の魅力だ。


 こだわりもなく本棚から取った本は、天使の国の歴史の本。



「……やっぱり、この本は面白くない」



 天使ばかりが神聖化された内容の、分厚くて古い本。こんなの、実際の歴史なんか見なくたって間違えているとすぐわかる。

 自分の見ている天使たちは、確かに優しい。だけれど、それはあくまで外面の話だ。きっと、みんな腹の底は黒くて、自分のことしか考えていない。


 ため息を溢しながら、本を棚に戻した。



「……おはよう、シュクレ」

「ルミエル。おはよう、今日はどうしたの?」


 部屋を出ようとすると、幼なじみのルミエルがいた。彼は完全無欠の、誰もが憧れてしまうような天使だ。容姿も、スペックも、何もかも、神様が作り上げたお手本のような――天使を表しているような人。



 そして……そんな男性と、シュクレは婚約をしているのだ。


 3年後、結婚をする。好きでもない、ただの幼なじみと。



「ううん、特別なにかあるわけじゃないんだ。ただ、君に会いたくて」

「そうなの?ふふっ、なんだか嬉しいわ」


 シュクレの髪に優しく触れるルミエル。だけど、彼女の瞳に光はない。

 微笑む彼女の口角は、まるで人形が最初から、にっこりした表情で作られたみたいだ。


「少し一緒に出かけないか?」

「……お誘いは嬉しいけれど、今日は家にいたい気分なの。ごめんなさい、これで許して」


 複雑そうな表情をするもすぐに満足したような微笑みを浮かべて、ルミエルは去っていった。



(お腹が空いた……ような気がする)


 ルミエルが外に出ていったのを窓から確認したら最後、ここは自分の自由な楽園だ。


 あまり大きくはないが、建物としては立派なこの場所。過保護な両親がくれた、プレゼントである。


 キッチンに向かい、大好物の林檎を探す。だけど視界にそれは入ってこない。


 天使は最低限食料を摂取すれば、生き延びていける。だから基本的に食にこだわりなんてないのだ。


 なのに、天使であるくせに、シュクレは偏食である。


 そんな彼女のために、頻繁に使用人が大量の林檎を持ってきてくれる。だけど、最近は特に食欲が増していたのかとっくに林檎は底をついていた。



(食べたい……今は林檎じゃないと、食べられない)


 ぐーとなってしまいそうなお腹を抑えながら、はっとして自分の部屋に戻り、本棚から本を取り出した。



(たしか、この本の隙間に地図が……)


 分厚い本を開き、その中から出てきたボロボロの紙切れ。ここら辺一体のざっくりとした地図だ。



 地図で位置を確認した。少し危険な地域ではあるものの、ここが1番近い。なら、そこまで走っていこう。



 荷物も関係なしに、異様なまでに惹かれる林檎を求めて、2階の窓から飛び降りた。

 その羽を器用に生かし、ふわりと地面に着地する。

 

 そのまま走り出す。



 (久しぶりに走ってる……!!お父様やお母様に見つかったら怒られちゃうけど、とっても気持ちがいいわ……!!)



 ずーっとずーっと走って、2時間が経った。天使は疲れなんて知らない。だけど、少し息を切らして、シュクレは目の前をよく見つめる。


 ちゃんと、そこには林檎の木があった。



「やったぁ……!!」


 ふと、カゴを持ってくるのを忘れてしまったことに気がつく。


 残念だった、せっかくなら少しの日にち持つように、ストックしておきたかったのに。


 だけど今は目の前の林檎が食べたくて仕方がない。

 ひとまず、小さめのリンゴを左右のワンピースのポケットに詰めた。


 羽で軽く飛んで、木の上に登る。すると、先の景色を見て彼女は目を丸くした。



(悪魔の、国だ……)


 先に広がるのは、生まれてから一度も見たことない悪魔の国。そこは天使の国とは全然違っていて、ひどく栄えているようだった。たくさんの立派な建物に、見たことのないものばかりが遠くに見える。


 林檎に夢中で気が付かなかったが、木のすぐ横には柵がある。いや、檻と言った方が正しいかもしれない。

 鋭い針が、悪魔の国に向かって怒りを叫んでいる。


 芝生の色が、青緑色で少し気色が悪かった。だけど、新鮮で。

 キョロキョロ辺りを見渡した。興味しかない、だってずっと悪魔の国は本の中にあったのだから。


 そんな中、目に入った人の姿……おそらく、悪魔だ。


 地面に倒れ込んでいる悪魔。



 (う、うそ……)



 まさかの光景に驚きと恐怖が隠せないのに、彼女の興味は止まらない。というか、目の前の悪魔が気になって仕方がないのだ、心配という意味も含んではいるが、人として。


 (どうしよう、助けを呼ぶ?叫んだら、他の悪魔が気がついてくれるのかしら……)


 そんなことしたら、自分の身が危ないということぐらいよくわかっていた。

 天使が悪魔の国に侵入する、もしくは悪魔が天使の国に侵入することは御法度。ここ13000年なかったことだ。

 決して、その罪を犯すことは許されない。ましてや、シュクレは伯爵家の娘。こんなことが国にバレたら、自分の命が終わるだけでは済まない。


 でも……だから、目の前にいる悪魔……いや、人の命を放置して、眠りの妨げになるぐらいだったら、その興味と共にこの柵を越えてしまいたいと思った。


 (私は……いつも、人の言うことを聞いてばかり)


 言いなりになっていれば、周りからもいい子だと思われて、楽で、だけど時々消えていく感情を繋ぎ止めておきたくて、本を読んだりもする。

 どんどん、自分が、意思が消えているようだった。

 婚約を大人しく飲み込んだのも、期待に応えたい、幻滅されたくないと思ったからだ。


 ふと、両親やルミエルの顔が脳裏によぎった。こんなことがバレてしまったら、自分はもうこの世界で生きていくことが叶わなくなるだろう。処刑されて、人生に幕を閉じる、だけど、そんな未来も悪くないと思った。

 最後の最後に、自分の意思を突き通せたのなら、今までの人生が多少は報われると信じたかったからだ。



 (いま、このひとときだけどうか、お許しください神様)


 そう、心の中で思い、シュクレは林檎の木をうまく利用して、羽を使って、柵を越えてしまった。


 少し硬い芝生に、足をつける。裸足のシュクレに直接伝わる感覚は、少し不思議だ。



「大丈夫ですか……!」


 色んな感触、匂い、音、景色に刺激を受けながらも、目の前の人に駆け寄っていった。


 ひどい傷があった。血が出ているわけではないので、おそらく最近できたものではない。だけど、その痛々しさに急いで治癒魔法を使おうと思ったが、昔本で読んだことを思い出した。悪魔にとって治癒魔法は、むしろ生きる気力を吸われてしまうものだと。


 じゃあ、一体どうしたらいいのか……。


(この人、結構痩せてるな……)



 十分に食事ができていないのか、同い年ぐらいに見える割に痩せた身体。

 ふと、ポケットから林檎が転がり落ちた。



(お腹空いてるなら、これ……あげようかな。確か、林檎は悪魔の国も天使の国も成分が変わらなかったはず)


 つまり、両国の身体に害はないということだ。



「っ……」


 林檎が落ちたからか、光がこちらを差したからか……悪魔は、ゆっくりと目をあけた。血のように真っ赤な瞳が、シュクレの視界に入る。

 その美しさに思わず息を呑んだシュクレは、反応に遅れてしまった。


「あっ……だ、大丈夫ですか?これ、林檎です、よかったら食べてください」


 そっと林檎を二つ差し出せば、目を丸くしてそれにがっついた悪魔。


(……!不思議、不思議不思議!!この人、顔も身体も傷だらけで、怖いはずなのに、優しそうな人だって、思っちゃう。温かいんだ、天使私たちと違って)


 がぶがぶ林檎を食べるものだから、あっという間になくなってしまった。



「……助かった、例を言う」

「いえいえ」

「……は、おい待て……お前、天使か……?」


 目の前にちょこんと座り込む、美しすぎる天使に血の気がサーっと引いていった悪魔。なぜ、ここにいるのか。


「そ、そうですけど……」

「なんでここにいるんだよ!?死にてぇのか!!さっさと戻れ!!」

「……!!!」


 シュクレは興味津々だった。悪魔とは、会った瞬間に争いが始まり、どちらかが死ぬまで永遠に酷いことをすると、教わってきたからだ。


 恐怖はあったはずなのに、興味という麻酔がそれを鈍くさせていた。


「優しい……!あなたのこと、気になる!!」


 手を伸ばして、そっと古傷のある頬を、悪魔の頬を包み込んだ。


「はっ……な、何やって……俺に触るな!!」

「いや!!あなたとっても綺麗な顔してるの、きっとこれは運命だわ!!あなたのことが気になって仕方がない。声も、匂いも好き」

「は、はぁ……!?」

 (正気かこいつ!!)


 思いもしない天使の行動に、悪魔は戸惑うことしかできない。

 だけど、触れられたことに喜びを感じてしまいそうだった。今まで、幼い頃に虐げられできた古傷や、この赤い血のような瞳で恐れられ、愛されるどころか触れられることすらなかったからだ。

 だからこそ、恐怖を感じてしまった。自分に触れてくれた天使と、何かが始まってしまうのではないかと。


 愛されてこなかった、誰も触れてくれなかった事実、それを今初めて出会った天使が容易に触れて、自分のことを受け入れた。


 焦り戸惑いと、初めての感覚にとっくにキャパオーバーになっている。



「あなた名前は?教えて、全部、知りたいの!!こんな感情初めてなの」

(知りたい、全部全部!!こんな感情初めて、止められるわけがない、こんなに胸がいっぱいで、興味を持っているんだもの!)


 

 胸の奥が熱くて、何かが溢れてしまいそうだ。目の前の悪魔に、とても惹かれている。わくわくする、こんなの本を初めて読んだ時以来だ。



「……レヴィア」

「レヴィア?とってもいい名前ね、私はシュクレ!!」

「シュクレ……そうか、わかった。じゃあもう帰れ」



 目を逸らしながら、レヴィアはそう言った。ここにいて、人に目撃されたら危ないのはシュクレだ。髪質や肌艶、服装を見た限りいいところのお嬢様なのはわかる。



「なんで?まだあなたといたいの。それに、林檎を食べたからって全部回復するわけじゃないよ?」

「そりゃそうだ、でもだいぶ良くなった。天使の国の土地の方が、自然豊かだからな」

「たしかにそれは言えてるね。元気になったってことは、私ともっと一緒にいれるってことだよね」

「なんでそうなる」

「私がそうしたいから」


 はぁ……と頭を抱えるレヴィア。そう言ってくれる嬉しさと、恩人には生きていて欲しいという気持ちが交差しているのだ。

 おそらく、いつもの自分だったらいい機会だから死にたいと考えていた。だけど、最近は唯一の友人が辛そうにしていたことをきっかけにまだ死ねないと思っていた矢先、金がなくなり食べるものもなく倒れ込んでいた。


 不思議だった。周りを警戒して、気を許したことなんてなかったのに、この天使は違ったんだ。感覚が、全然違う。



「……危ないだろ、帰れよ」

「……わかった、そんな顔されたら帰らないと」


 自分がよほど辛そうな顔をしていたのだろうか、シュクレはさっきまでの勢いとは思えないほどあっさり帰ることを認めた。



「誰にも言うんじゃねえぞ、このこと。お前、処刑されることになるからな」

「言わないよ、絶対に。だけど、あなたにはまた会いたいから来るね、またね、レヴィア」


 バイバイと手を振ったシュクレは再び飛んで、軽々と柵を越えていった。




 なんだか満たされた気分で、お腹なんてもはや空いていなかったので、そのまま帰ることにした。


 再び、ずーっと走って行く。空っぽだった自分の心に、一つの光が見えたような気がした。その光は金色で、優しくて、温かいんだ。




 自分の家に着いてからも、ずっとその満たされた感覚は変わらない。


 胸の奥がいっぱいで、たまらなく、この世に執着してしまいそうだ。今まではいつ死んだって、どうなったっていいと思っていたのに……悪魔の国に足を入れたせいで、レヴィアと出会ったせいで、感情が出てきてしまった気がする。


 今までいらないと蔑んでいたものが、宝物になったようだ。この宝物を、しまい込んで生きて行くなんてしたくない。

 レヴィアと、共有していたい。



「シュクレ!!今までどこ行っていたんだ……!!」



 夕暮れ時、シュクレが家に帰って少し経つとルミエルがそんな大声を放ちながらやってきた。



「ルミエル……!!」


 ああ、今日あったことを話したい、悪魔は悪い人なんかではない、むしろ温かいものだと、教えてあげたくなった。

 だけど、ぐっとそれを堪える。そんなことしたら、悪魔を嫌いに嫌っている彼は何をするかわからない。


「どうしたんだ、そんなキラキラした目をして……」

 (シュクレ……僕のシュクレ、一体どうしてしまったんだ。そんなに嬉しそうな、明るい顔をして)

 

 ルミエルは嫌な予感がしてやまなかった。長年、宿らなかった、輝きが今シュクレの目にあるからだ。


 どうせ、新しい本でも見つけて、喜んでいるだけ、そう心に言い聞かせて落ち着くことしかできない。


「そうかしら?少し……いや、だいぶいい本を見つけたからかもしれないわ……」

「ふふふっ、そうだったのか。ならよかった、今度新しい本をたくさん買ってきてあげるからね」

「ほんと?ありがとう、ルミエル」


 

 いつもなら、シュクレはお礼を言うとき、顔を隠すようにぎゅっと抱きついてくる。だけどそれがなくて、ただ偽りなく微笑んだ彼女に驚いてしまった。



 それからだろうか、シュクレの表情が、瞳が彩りを持ち出したのは――

 


 2回目、またこっそりと家を抜け出して、レヴィアの元へと向かった。柵を飛び越える時の重みもないまま、野原で昼寝をしているレヴィアに近づいた。



「レヴィア」

「っ、なんだよ……近いな」

「ごめんごめん、会えたのが嬉しくて!不思議だね、レヴィアのこと考えるとキラキラして、わくわくして、わぁー!ってなるんだ」

「なんだそれ」


 あははと微笑んでくれたレヴィアに、またシュクレの瞳に光が宿る。



「少しだけなら、お話できる?」

「……ああ、ここら辺に悪魔は基本来ないからな」

「ふふっ、こっちも一緒。じゃあ、1時間だけ」

「わかった」



 優しい、温かい、そんなあなたに惹かれてしまう。



「レヴィアは好きな食べ物ある?」

「ないな、特にこだわりねえし」

「そうなんだ」

「シュクレは林檎ってところだろ」

「えっ、よくわかったね」


 信じられないほど表情豊かにシュクレは驚く。



「こんな危ないところまで来て、林檎持ってたらそりゃ好きだろ」

「確かに……ふふっ、よく見てくれてるんだね」

「はは、どうかな」


 そよそよと温かい風が吹く中で、寝転がるレヴィアと座り、レヴィアの表情を覗き込むシュクレ。



「レヴィアって悪魔なのに羽ないんだね」

「まぁな、死神っていう種族だから」

 (まあ……俺は、少し変わってるけど)

「へぇ、死神なんだ」


 著しく違う天使と死神に、少し切なさを感じた。だけど、それすらも運命だと思ってしまうのだ。

 人を好きになったことなんてないけれど、直感的に彼に惹かれてしまっていることが自分でよくわかる。



「だから、いつも大きい鎌が近くにあるの?」

「まあな」

「ふふっ、そっか」

「怖がらねえのか?」

「当たり前じゃん、天使の方がよっぽと怖いよ」

「……そうか」


 お互い、普通になれないような気がした。だからこそ、種族は違えど感覚が似ているんだな、と納得いくことが多々あった。


 余計にあなたといる時間は心地が良くて。

 このまま、ずっとずーっと、こうしていられれば、一緒にいられればいいのにななんて、シュクレは1人で思っている。



(……ほんとに、綺麗だな)



 風に揺れる彼女の髪の毛や羽。何より……その、自分にはない純粋さにとても美しさを感じた。シュクレはきっと、優しいから自分を取り繕うのが得意な人な気がする。


 でも、自分の前ではシュクレは取り繕っているとは考えられなかった。彼女の純粋な瞳が、何よりもの証拠だ。


 (まぁ……天使との出会いも、きっともうすぐ終わるんだろうけど。こんな時間が、俺に幸せが続くことなんて、ないんだから)

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もう一度触れて久遠。 花白しろ @nanona48

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ