第16話:暁に記す、未来への系譜

 マシュクル本拠地、王の間。ウルクの未来を賭けた二つの死闘が、同時に始まった。


 カイ・キアグの前には、ラハム最強の側近、仮面の女戦士ヅァリアが立ちはだかる。


「ウルクの筆頭神官……貴様の首をラハム様に捧げ、我が忠誠の証とする!」


 ヅァリアの双剣は、予測不能な軌道を描き、嵐のようにカイに襲いかかる。カイは、ディンギル杖剣術を駆使し、不自由な左半身を支える杖と右手の剣で応戦するが、周囲のマシュクル兵も加勢し、絶望的な状況に追い込まれた。


(シャト、ゼルベ、ラヤ……お前たちのために、俺はここで倒れるわけにはいかないんだ!)


 カイは覚悟を決めた。自らを囮とし、敵兵を密集させた上で、最後の切り札を解き放つ。


「見せてやる……これが、俺の……俺だけのディンギルだッ!!」


『ジ・ムル・メラム』で練り上げた力を麻痺の残る左半身に強引に注ぎ込み、杖を軸にコマのように高速回転。右手の剣が死神の鎌のごとく周囲の敵兵をなぎ払う、捨て身の奥義。


「『メラム・ニギン・バド・メ(極光螺旋捨身乱舞きょっこうらせんしゃしんらんぶ)』ッ!!」


 荒れ狂う極光の嵐に、マシュクル兵は次々と血しぶきを上げて倒れていった。ヅァリアは辛うじて致命傷を避けるも、その身に深い傷を負う。力を使い果たしたカイだったが、その瞳の闘志は消えていなかった。彼は、残った全ての力を剣先の一点へと凝縮させ、よろめくヅァリアへと突き出した。しかし、その刹那、カイの脳裏に家族の笑顔がよぎる。彼が選んだのは、命を奪う一撃ではなかった。渾身の一撃は、彼女の右肩の関節と神経を焼き切り、その手から双剣を奪い去った。衝撃で仮面が砕け散り、その下から現れたのは、ラハムへの想いに涙したままの、美しい素顔だった。


「ラハム……様……の……愛……が……ほし、かった……」


 彼女はそうつぶやくと、静かに意識を失った。


 一方、ジド・クルガルは、全ての元凶、首領ラハムと対峙していた。ラハムは武器を持たず、タシュガル族の最高傑作である黒き隕鉄の全身鎧を纏い、その驚異的な予測能力と鍛え上げられた体術でジドを圧倒する。


「どうした、ジド・クルガル。お前の力は、その程度か?」


 ジドの渾身の一撃はことごとく見切られ、逆に的確な反撃によって、彼の体には無数の傷が刻まれていった。


(なぜだ……!? 俺の動きが……読まれているのか!?)


 ジドの体は既に限界を超えていた。薄れゆく意識の中、脳裏に浮かぶのは、愛する妻アーマと、子どもたちの笑顔。


(ここで……倒れるわけには……いかないんだ……!)


 その瞬間、ジドの魂の奥底で何かが弾けた。愛する者たちを守りたいという、ただひたすらに純粋な想い。その清らかな意志が、彼の体内で渦巻く力の質を変えた。拳の周りで散っていた火花が、静かで、しかし全てを貫くかのような、一筋の青白い光へと変貌を遂げる。それは、あの制御不能な破壊の奔流とは違う、ジドの強い意志の下に完全に制御された、純粋な力の輝きだった。


「その光は……あの時の……!? 馬鹿な、完全に制御しているというのか!?」


 ラハムの目に、初めて驚愕と畏怖の色が浮かんだ。


 ジドは、その青白い光を纏った拳を、静かにラハムの胸元へと突き出した。破壊音はない。ただ、ラハムの黒き隕鉄の鎧が、中心から静かに崩壊し、光の粒子となって霧散していく。


「……ぐ……ふっ……」


 ラハムの口からおびただしい量の血が溢れ出した。その瞳からは憎悪の炎は消え、底なしの虚無が浮かんでいた。


「フ……フフ……見事だ、ジド・クルガル……。お前もまた、守るもののために力を求め……全てを破壊するに至ったか……。かつての……私と同じようにな……」


 血を吐きながら、ラハムは自らの修羅の道を語り始めた。炎に焼かれた故郷、信じた者からの裏切り。愛する弟妹のためだけに、自らの心を殺して絶対的な力を求めた、血の誓いの記憶。


「この世界は、所詮、強者が弱者を食らう……。だが、それも……ここで終わり、か……。しかし、覚えておけ……ジド・クルガル。お前のような男がいる限り、私のような男もまた、必ず現れる……」


 不気味な予言を遺し、ラハムは静かに息絶えた。その亡骸からは、もはや何の脅威も感じられなかった。ただ、深い悲しみを湛えているように見えた。


 ラハムの死と共に、マシュクルとの長きにわたる戦いは、ついに終わりを告げた。しかし、ジドの心に勝利の喜びはなかった。ラハムが遺した言葉が、呪いのように重く突き刺さっていた。


 ウルクに帰還した英雄たちを迎えたのは、民衆の熱狂的な歓声と、そして失われた多くの命への深い悲しみだった。評議の間では、捕虜となったヅァリアの処遇を巡り、処刑を求める声が渦巻いた。だが、ジドは、ラハムの最期の瞳と、カイに敗れたヅァリアの涙を忘れることができなかった。


「彼女もまた、この世界の理不尽さに苦しんだ、犠牲者だったのかもしれない」


 ジドは、アーマの「憎しみの連鎖を断ち切るべき」という言葉を受け入れ、ヅァリアの命を奪わず、その心の傷を癒やす道を選んだ。


 戦いが終わり、ウルクに平和な日々が戻る中で、新たな絆が結ばれた。ザンガの息子ガルレイと、タシュガル族の女戦士ティリス。多くの困難を共に乗り越えた二人は、ウルクとタシュガルの民に祝福され、夫婦の誓いを交わした。軍師バルの遺志を継いだイエルムもまた、救出したタシュガル族の少女サーヤと心を通わせ、二人の間には温かい絆が芽生え始めていた。


 季節が巡り、ヅァリアの凍てついた心もまた、アーマやナンナ、そして子どもたちの無垢なる光に照らされ、少しずつ溶け始めていた。彼女が自らの意志で、マシュクルの残党に関する情報を提供したことで、ウルクは最後の脅威を打ち破ることができた。それは、彼女が自らの力を初めて「守るため」に使った、再生への小さな一歩だった。


 数年の歳月が流れた。ジドは、神官長としてウルクの平和を守りながら、妻アーマと共に、この壮絶な戦いの記録を、未来への道標として粘土板に刻み続けていた。ディンギル体術の理論、仲間たちとの絆、そしてあの「青白い閃光」の謎。


『力を求める者よ、常に問え。その力、何のために振るうのかを……』


 ある日の夕暮れ。ジドは、成長した息子ジャミンと共に、夕日に黄金色に染まるユーフラテス川のほとりに立っていた。


「父上! どうすれば、父上のようにもっと強くなれますか!」


 その真っ直ぐな問いに、ジドは遠い過去を懐かしむように目を細めた。


 ここに、若き英雄たちの黎明の物語は幕を閉じる。しかし、それは数千年にもわたる壮大なサーガの、ほんの序章に過ぎない。ディンギル体術という継承の炎は、やがて来るべき時代の大きなうねりの中で、再びその輝きを放つことになるだろう。


 ――そして、粘土板に記された「青白い閃光」の力が、ウルクの地で再び理解され、その正体が科学的に解き明かされるのは、遥か未来、二十世紀になってからのことであり、この時代、それを知る者は誰もいなかった――。


「ディンギル創世記~暁のメソポタミア~」総集編 完

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【総集編】ディンギル創世記~暁のメソポタミア~ やまのてりうむ @yamanoteriumu

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