夏のおはなし

菜の花のおしたし

第1話 入道雲のようになれ

「たっだいまぁ〜。あれれ、ママさん荷物取ってどこかへ売られて行くんですか?ついに借金でマグロ漁船ですか?」


「ロクちゃん、あたしが売られていくなら、アラブの石油王のところに決まってるでしょう!なーんで、マグロの一本釣りしなきゃなんないのよ!」


「アラブ石油王も災難ですな。同情します。」


「違うの、ロクちゃん!あたしゃ、今から汽車に乗ってさ、お悔やみに行くんだよ。」


「ママさん誰かをやっちゃったんですか??逃亡ですね!!警察には嘘言っときます!」


「だーかーらー、ちーがーうーとーいーつーてーいーるーだーろー。あんまりふざけてるとデコピン10回すーるーぞーーー。」


「ぎゃあーー!やめてください!」


「ロクちゃん、はい、あんたも一緒に行くのよ。用心棒としてね。」


「ママさん、用心棒なんて要らないでしょ。ママさんながらの悪さなら誰も近寄ってきませんから、安心してください。」


「あのね、ロクちゃん、荷物持ちがいるの!あんたはそれなの!!普段無駄飯食ってんだからそれくらいやりなさい!

はい、これね、それもこれとお土産に赤マムシ酒の壺でしょ、、。」


「ママさーん、重たいですよ赤マシ酒の壺。」


「そうなの、そうそう。だから背負うのよ。さっ、汽車の時間に間に合わないから

走るわよーっ。」


駅に着いたふたり。

「ママさん、どこへ?行くんです?」


「大阪よ。夜汽車で行くからね。」


「新幹線じゃないんですか?ちぇ。駅弁は買って下さいよ。」


「仕方ないわねぇ。一番安いのだからね!!あたしゃビールと竹輪を買おうっと。」


「ねぇ、ロクちゃん、ガタンゴトンって汽車はいいわね。星は見えるし、あちこちで家の灯りがさ。平和でいいわねぇ。」


「どしたんです?ママさん、恵比寿ビールなんて高いの飲んで頭がおかしくなったんですか?」


「違うでしょーに。お悔やみに行く丹波太郎さんの事を思い出してたのよ。」


「え?ママさんあの有名なGメン75の俳優さんと知り合いだったんですか?」


「それは、丹波哲郎さん!あたしがは話してるのは丹波太郎さんでしょ?

耳くそ詰まりきってんじゃないの?」


「耳くそは毎日、店の爪楊枝でボジってますから、スースーです。風通し抜群ですよ。ところで丹波太郎さんってどんな人なんですか?」


「そうねぇ。脳みそちっさいから右から左へ風が流れてんでしょうよ。ちっ。

丹波太郎さんってのは、ほんとの名前かどうかわかんないの。

80年前にね、丹波太さんはヒロシマで産まれたのよ。お母さんが盾になって守ってくれたのね。3歳だったそうよ。お母さんの亡き骸にすがって泣いていたんだって。

たまたま、お母さんって人は似島の出身だったからね。似島から救護班が出てだそうでね。お母さんの知り合いがいて似島に連れて帰ってくれたんだそう。

似島に着いたらね、空が真っ青で入道雲がもくもくと大きくて圧倒されたって。

ヒロシマにいた時は空を見上げるのは空の綺麗さとかじゃない、飛行機が飛んでこやしないか大人もみんなそればかり気にしてたからね。

丹波さんはお爺さんとお婆さんに育てられらることになったけどね。精神的にキツすぎたんだね、3歳の子供には。話すことができなくなったんだって。緘黙症って言うんだってよ。

ずいぶん、いじめられたって。病気がうつる、ピカがうつるってね。そんな時にお爺さんがね、彼に空を指差してあの堂々とした入道雲を見ろ、お前はあんな風になれ。今日からお前は丹波太郎だって。」


「ママさん、なんで入道雲で丹波太郎なんです?」


「入道雲の別名みたいね。関東は坂東太郎で西は丹波太郎らしいわよ。」


「ママさん、ヒロシマの人なのになーんで大阪なんです?」


「それはね、運良く生き残った人達もね、白血病でどんどん亡くなってね、、、。

似島は避難所にも遺体を焼く場所でもあったからね。

居心地は良く無かったんだと思うわ。中学を卒業する頃には緘黙症も治ってたから

大阪に集団就職したんだって。幸い、ヒロシマは役所も焼けてたからお爺さんは将来を考えて産まれは似島に戸籍を作り直して届けたんだって。

丹波さんは絶対にヒロヒマの話はしなかった、どこにいてもヒロヒマだとわかると結婚は出来なかったからね。」


「どうしてですか?」


「ピカの子供が産まれるって信じられてたからね。確かに、何年も経ってからも病気になったり、子供もそうだったりしてたから。

それで、国になんとかしろって皆んなで声を上げたのね。被爆者手帳が交付されて

わずがだけどお金ももらえて治療費も要らなくなったそう。」


「それは良かったですね。」


「うん、、。ところがね、丹波さんは戸籍を似島にしたからね、当時ヒロヒマにいなかったんじゃないかって事ならなっちゃたのよ。認定って簡単じゃなくてね、その日にヒロシマにいたと証言してくれる人が複数人必要とかね。そんなもん、わからんやろーがー!」


「ママさん、落ち着いてくださいよ。他の乗客さんは寝てますからね。どうどう、ママさんどうどう〜。」


「良かれとしてくれた事なのにね。丹波さんはそんな時には空の入道雲を見るようにしたの。負けてたまるか、絶対に幸せになってやる、皆んなの分までって。

結婚して子供さんも産まれてね。その頃かなぁ、名古屋支店が出来てね。

うちにふらりと来るようになったのよ。あたしゃ油ノリノリの30代だからね、

まあ、あたしの色香にやれたんだろうねぇ。」


「おぇ、、。想像したら胸焼けしてきました。」


「駅弁を三つも食べるからでしように!

丹波さんや幸せそうだったわ。子供は三人。奥さんもママさんみたいな美人じゃないけど働き者で安月給をやりくりしてくれるってね。

そんな時だったわ。三人目の子供さんが白血病になったのは、、。

辛かったのね、お酒が増えてね。今みたいに骨髄移植も無いからね、亡くなったの。自分のせいだって泣いてた。どうしてなんだろねぇ。丹波さんはちーとも悪い事なんかしてこなかったのにね。

その後かなぁ、本社の大阪なら戻ったのは。それからは出張の時は店に来てくれてね。バカ話で懐かしんでねぇ。」


「ウッウッ、、、。」


「やだわロクちゃん泣いてるの?」


「だって、あんまりじゃ無いですか!丹波さん、、。」


「そうよね。あたしゃ戦後生まれだからね。丹波さんの本当の辛さわからないけどね。戦争なんてもんは何にもいい事ないんだって事だけはわかるよ。

ロクちゃんみたいになーんも考えてない方が平和は続くのかもしれないわね。

さっ少し寝よう。明日にの朝は大阪よ。」


「ママさん、大阪は食い倒れですよ。何か食べさせてくださいね。」


「あー。はいはい。西成あたりでね。」


ママさんとロクちゃんは丹波太郎さんのお葬式で赤マムシ酒を皆んなに振る舞い

飲んだ人は興奮のるつぼ、阿鼻叫喚のお葬式となりました。

丹波太郎さんはそれを空から見て「ママさん、ありがとうさーん!湿っぽいの嫌やねーん。呼んだいて良かったわぁ。」

と亡くなった子供を抱っこして笑っておりました。




似島はヒロシマ近くの小島です。

似島から救護班が結成されて、あの日のヒロシマの惨状の中、遺体の処理、生きてる人の救護をしました。

そのせいで、被曝した人達はなかなか被爆者援護法の対象として認められませんでした。

精神的にもその体験がトラウマになった方もいました。


八月九日に間に合いませんでしたが追悼の意味を込めて。

誤字脱字、お許しください。



















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏のおはなし 菜の花のおしたし @kumi4920

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る