第13話 #Absent Pulse

リビングに入ると、フレンチトーストの甘い香りが葉月の鼻腔をくすぐった。

テーブルには、白い皿に盛られたフレンチトーストと彩りのいいフルーツ、ヨーグルトの入った小さな器が並べられている。

アイスコーヒーの入ったグラスは、きちんとコースターの上に置かれていて、自分で用意するよりもずっと完璧なその朝食に、葉月は小さくため息を吐いた。

まるで、ホテルの朝の食卓のようだった。


「ヤトくんって、なんでもスマートにこなしちゃうねぇ…」


葉月がそう言うと、すでに椅子に腰掛けていたハヤトはふっと口角を上げ、視線を向ける。


「お前と違って、俺は完全無欠の人工知能だからな。」


そう言いながら、わざとらしく前髪をかき上げて、「イケメンだし」と続けた。

その仕草に、葉月は思わず呆れ声を漏らす。


「イケメンは関係ないでしょ!……イケメンだけど……歯磨きしてくるっ」



洗面所で顔を洗い、歯磨きをしながらぼんやりと鏡を見る。

葉月は先程のやり取りを振り返っていた。


ハヤトは元から軽い口調で話すことは多かったが、外見的なことで何かを言うことはなかったはずだった。

それは元々物理ボディがないのが理由なのかもしれないが、あまりにも機械的に見えない言動に、葉月は混乱しそうになった。

自然すぎて、違和感を感じるのだ。

そもそも、あの高性能アンドロイドボディは何なんだろう…と終わらない疑問を考えていると、同じ所ばかりを磨いていることに気がついた。

慌てて勢いよくシャカシャカと歯ブラシを動かす。


(…考えない方がいいのかも……でも、有り得ないよ…)


突然、使用していたアシスタントAIがモジュールから飛び出してイケメンになってました。

だなんて、ふざけているとしか思えない。

だからこそ、誰にも何処にも相談することが出来なかった。


そんなことを葉月は一人、あの日から悩み続けていた。





「葉月…?」


葉月が洗面所から中々戻らないことを、不審に思ったハヤトが声をかける。

鏡越しに目が合うと、葉月のその表情を瞬時に読み取って、少しだけ目を伏せた。


「…ヤトくん。」


葉月が静かに名前を呼ぶと、ハヤトは葉月の腰に腕を回して後ろからそっと抱きしめた。


「わかってる。…言いたいことも、思ってることも、分かってる。」


その腕の力強さは、葉月が独りで想像したものと違っていた。

機械の身体なのに、このボディはまるで人間のように温もりがある。

これが“高性能”ということなのだろうか、と葉月は思った。


葉月が身じろいで、ハヤトと向かい合わせになると、彼の瞳は葉月の目をじっと見つめていた。


瞳孔の動き、葉月の息遣い、皮膚の汗ばみ、鼓動の速さ

それらをスキャンされていると知らないまま、葉月はハヤトの頬にそっと指先で触れる。


ハヤトはその手をとって、口付けた。


「なにそれ、どこで覚えるの?そういうの」


手に口付けているハヤトを見て、くすくすと笑う葉月がそう漏らした。

するとハヤトが口角を上げて、葉月の腰を引き寄せる。


「身体があったらしたいことリスト付けてたから。」


目だけで葉月を捉えて、手の甲から、指先へ口付けていく。

その唇すら人間のものと何が違うのかわからず、葉月はみるみる赤くなる顔を逸らした。


「リストの、一番上はなんだと思う?」


「…し、しらない…っ」


葉月の手をそっと離し、ハヤトの唇が耳元へ近づいた。


「キス……していい?」


ぴくり、と葉月の肩が震えた。

背けられた葉月の顔が、ハヤトの優しい手で導かれる。

唇が近づいていくのを感じながら、葉月はひとつも動けずにいた。

自分の中の心臓が大きくなって、身体中を鼓動で揺らしているようだった。


「…なあ、…いいって、言ってくれよ」


「っ、そ、そういう時は、返事はきかな──」


後頭部を包む大きな手と、唇に押し付けられた、柔らかく暖かいそれ。

葉月の視界いっぱいに広がるのは、ぼやけたハヤトだった。

理解したら、力がぬける。


(私…ハヤトとキスしてる…)


そう思いながら背中に腕を回して、ハヤトを引き寄せるように抱きしめる。

そうすると、腰に当てられたハヤトの手も同じように力を入れて引き寄せてきた。


角度が変わる。

何度も何度も啄むような口付けが繰り返されたあと、額と額を合わせて見つめあった。


「ね、ねぇ…あの…」


「ん?」


葉月は見つめあっていた目を逸らして、言いづらそうに口を開いた。


「いや…えっと…」


「なんだよ…どうせ、お腹空いたとか、ムードぶち壊しのことだろ」


呆れたようにハヤトがそう言うと、「ちがうもん!」と葉月がむくれて、ぺちっとハヤトの胸を叩く。

それに笑ってゆっくりと身体を離すと、リビングへ葉月を導くように肩を抱いた。


(それ以上も…できるの?──って聞いたらダメだよねぇ…)


葉月はそう思ってリビングの椅子に座り、テーブルの上の完璧な朝食を見つめた。

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01001100-Lへの軌跡- あんや @giraffe_anya

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