読了したので書きます。
今回は戦上手な亡国の英雄であるのに広くは知られていない張須陀の話です。恥ずかしながら、私めは読むまでは詳しく知りませんでした。
悲劇の英雄は、歴史を紐解けば多く存在します。個人的には国士無双韓信(自業自得なところあり)、明末の名将袁崇煥(讒言で死亡)、最後のローマ人スティリコ(左に同じ)が印象に強いです。
しかし、彼らにとって「報われる」ということは大事であったのか。少なくとも、大半は「否」と答えて「士として当然のことをしている」と答えるのではないかと思います。勿論、私は彼ら自身ではないので推察することしかできませんが。
誰も助けてくれない、もう満足に戦えるだけの力も残っていない……。
そんな状況の中でも、彼らは諦めなかった。張須陀を信じた。
最後の最後まで、筋を通して前へ進んだ漢の背をご覧ください。
歴史・戦記もの大得意の四谷軒さんの最新作です。
「士は己を知る者のために死す」と言います。武士に限らず、戦乱の世に生きる男は、これと決めた君主に巡り合ったならば、命を賭して尽くす、ということです。
しかし、隋の世の最後の皇帝、煬帝は遊興の限りを尽くし、戦場のことなど顧みず、酒と女にうつつを抜かすばかり。当然、兵力や兵糧の補充も滞りがちです。そんな煬帝でも、誠心誠意尽くす、大将軍張須陀。寡兵ながらも、二将軍の羅士信と秦叔宝をフル活用し、なんとか踏みとどまります。
それでも、煬帝は張須陀に報いることなく、羅士信と秦叔宝は不満を募らせていきます。
そして、張須陀がついに死した後、二人は。。
隋の末期、唐の始期に活躍した武将たちの物語。組織のトップの素養とはなにか、また、忠義を貫くことの意味を考えさせられる良作でした。
歴史小説好きの方は、是非どうぞ。
今回四谷氏が参加された自主企画の三題噺は「宝」「話」「記念」がお題。前回の「雨」「口」「理由」はニッチ過ぎて予想が困難でしたが、今回は逆に広すぎて予想困難でした。もっとも私がこのお題で思い浮かぶのは、宝塚記念くらいですが。
そして四谷氏が近況ノートで予告された題材は、隋の張須陀(ちょう すだ)。
……えーっと、どちら様でしょう?
やむなくWiki先生に相談します。日本語記事中、彼の生涯を説明した文章の末尾は、「撃破した」が5回、「破った」1回、「敗走させた」「撃退した」「殺した」はそれぞれ1回ずつ。もちろん敵軍を、です。……ちょっと強すぎない?
そもそも隋という時代自体が日本ではメジャーとは言い難いだけに、今回四谷氏の短編で取り上げられなければ、こんな傑出した才の持ち主がいたことに気付かないままだったでしょう。その意味でも、自主企画と四谷氏に感謝です。
世界史には、しばしば「報われない名将」が登場します。その多くは「戦功を妬んだ王の側近に讒言されて処刑される(蒙恬、袁崇煥)、もしくは王その人に疎まれる(伍子胥、ベリサリウス)」「『狡兎死して走狗煮らる』を地で行って処刑(文種、韓信)」というパターンですが、本作の主人公・張須陀は少し異なるタイプの「報われなさ」と言えます。詳細は、是非本作をお読みください。
しかし、当の本人は「報われるかどうか」で戦っていたのでしょうか?
三つのお題のうちの「宝」。登場人物の名前にもこの字が使われてはいますが、主人公・張須陀が示した彼の信念、生き方こそが「宝」だったのではないでしょうか。
ひとりの名将が、その部下たちに示した「宝」。胸を打つ読後感を、是非ご堪能ください。
四谷軒先生による本作は、「歴史に忘れられた忠義の将・張須陀」を主人公に描かれた短編掌編です📖✨。
隋の暴政が国を蝕み、李世民や李密が頭角を現す中でも、張須陀は最後まで隋のために戦い抜いた武人でした⚔️🔥。
物語はわずか5話・約5000字という限られた字数ながら、人物の信念と友情、そして時代に呑まれる戦乱の構図を鮮やかに、そして端正に切り取っています📜🌌。
この作品が描く張須陀は、強さと愚直さのはざまで揺れながらも、何よりも「己の筋を通すこと」に誇りを見いだす男でした🎯✨。
歴史の陰に置き去りにされた忠義の将を描く、静かで力強い掌編――その矢のような生き様に、きっとあなたの胸も撃たれます!📖⚔️