Act.5-1
その日は雨が降っていた。
さすがに蒼子からのLINEもなかった。下校の支度を始めている生徒たちに混ざって、晴海は机に軽く腰掛け、スマホの画面を見ていた。
「はぁ~る!」
クラスメイトのヨシが、背が高い晴海の首に力いっぱい腕を回してきた。晴海は思わず背中を丸めて屈んだ。
ヨシの隣には、彼のガールフレンドの真奈美と彼女の親友の
「お前、珍しいじゃん」
ヨシが、晴海の胃のあたりをぐりぐりと拳骨で押した。
「なにがだよ!」
晴海は腹を押されて「くの字」になりながらも、スマホを制服のポケットにしまい込んだ。
「いや、最近のはるって、終業の鐘が鳴った瞬間、消え失せてたじゃん。今日は珍しくゆっくりしてんのな」
「雨だから……」
晴海が蒼子と会えない理由は雨だったから、つい口に出してしまった。
「雨? 雨だと何かあるの?」
真奈美がじっと見上げて尋ねた。
「え? いや、その! 別に、何でもないよ」
晴海は耳まで赤くなって、しどろもどろになりながらも否定した。
「おや? はる。おまえ真っ赤だぞ? さてはぁ……、女か!」
ヨシがからかうように春海の首に回した腕をさらに強く絡めながら、顔を近付けてきた。
「ち……違うよ! なんでもないったら!」
晴海が否定すればするほど、沙也を残して2人がずいずいと近付いてきた。
「怪し―――! ぶっ飛んで学校から消えるって、別の高校の子?」
真奈美もさすがヨシの彼女だ。遠慮がない。
「だから! そんなんじゃないってば!」
晴海はクラスでは、人当たりは良いがあまり多くをしゃべらない、華奢で背が高く、ちょっと掴みどころがない男の子というイメージが成立していた。その情報は下級生にも伝播していて、水面下で女生徒たちにちょっと騒がれる存在だった。
しかし、少々「ぽよ――――ん」気味な彼自身は、全く気がついていないというおまけがついていた。
「んじゃぁさ、俺らこれからサ店でも行こうかって話してんだけど、男1人足りないっしょ? はる、混ざらない?」
ヨシの眼が沙也にほんの少し流れた。
晴海の脳裏に、目的地までじゃれ合う仔犬のように歩く真奈美と沙也、それに茶々を入れるヨシの声、他愛のない話をする彼らが、ストローでグラスに入った氷をカラカラとかき回す音とはしゃぐ姿が浮かんだ。
その世界が、自分と蒼子の世界とは、まるでかけ離れていて、異世界での出来事を傍観しているように思えた。
明るい笑い声が、まるでシャボン玉が連続して、パチンッ! パチンッ! と、楽しそうに弾けている音のように聞こえた。
一瞬で弾けて、もう次の時間を楽しんでいる。弾けた時間に心を遺すことはない。だって未来はまだ十分すぎるほどある。一秒に思い出を作る必要はない。どんなに急いで走っても、まだ永遠の時間が、彼らには遺されていた。
でも、蒼子とは、すごくゆうるりとした時間の流れの中で過ごしていると思った。 静寂の中で、大切な時間をゆっくりと噛みしめ、一挙手一投足でも、1分1秒でも、味わってから、絶対に忘れないように、心に刻印していた。
それほどに「今」が宝物だった。
「今」は2度とこないと知っているし、その数も、ヨシたちがこれから何十年もの永きに渡り体験する事柄から見たら、晴海と蒼子のそれは、手で握れるほど小さな砂時計の中の、ほんの1匙しかない砂の量くらいだと思った。
「この後、なんかあんのか? なかったら行こうぜ!」
ヨシがさらに強く誘った。
「行こうよぉ、はる君。次の休みにディズニーランドへ行く計画立てるの。はる君も一緒に行かない?」
真奈美が沙也の腕に自分の腕を絡めた。晴海はほんの数秒彼等を眺めただけで、鞄に手をかけた。
「ごめん。辞めとく」
ヨシの腕からすり抜けた。晴海は傘を広げながらM美術館へ行くことを諦め、とぼとぼと帰路に就いた。
それがひどく寂しかった。
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