真伽さんちのあのコ

透瞳佑月

真伽さんちのあのコ

「真伽さんちのあの子」と口に出せば、子供の頃の僕達は殴られていた。


真伽さんは普通の家で、「真伽さんちのあの子」の家の人達は、僕らと丁度同い年くらいの女の子が二階の部屋から出てこないことを覗けば普通の家だった。ゴミ出しで会えば挨拶するし、町内会の行事にも参加するし、夏祭りの準備で「あの子」の両親に僕らは踊りを教わった。


ただ、「あの子」の事だけは口に出す事を禁じられていた。えっちなことを隠すように。「殺す」とふざけて言ってはいけないように。いや、それ以上の、田舎コミュニティでのみ成立する、物心付く前から刷り込まれたタブーの話題。


けれど、子供の頃の僕らにとって大人の隠し事ほど面白い玩具はなかった。


「『真伽さんちのあの子』は猫の内臓を啜って食べる」


「『真伽さんちのあの子』は自分の血だけを飲んで生きている」


「『真伽さんちのあの子』はただのヒキコモリ」


僕らが『真伽さんちのあの子』の事を調べようと隠れて悪巧みをしだしたのは「『真伽さんちのあの子』は村の大人のにくべんき」というような噂が流れる位の年頃の話だ。


『真伽さんちのあの子』は両親が長く家を空ける時、正面の空き家に村の人が代わりばんこで住み、『あの子』と僕達が接触しないよう見張っていたが、夏祭りの前日夜、村中の大人が集会所に集まる時だけ無防備なこと。その時よく遊んでいた僕、A 、Aの妹のうち、Aがそれに気付いたので、その年に計画を練って家を抜け出したのだ。


祭りの前の静けさが漂う道を抜けて真伽さんの家に辿りついた。「あの子」は二階の角の部屋に居るのだ。時折窓から黒くとても長い髪が見えたし、奇声が聞こえることもあったからみんな「あの子」の部屋は知っていた。


切っていなさそうな長い髪と奇声が、僕ら子供の噂話に更に燃料を投下していたことは言うまでもない。


もう大人は全員集会所に集まっていて、村外れにあるこの家に僕らが居ることはバレようがなかった。


「おーい真伽さんちの...... おんなー」


Aが叫ぶ。反応は無い。


「真伽さんちの、女の子や。お前やお前。

あーそーぼー」


窓の内側から長い髪の女の子が顔を出した。どんな顔かまでは見えないが、窓から顔を出しているところはたまに見えていたのであまり感動は無い。


「そー。お前や。あそぼーや」 窓を開けて女の子が声を出す。


「ッヒッし、しごとを」


「あ?」


「しごとを、してるの」


綺麗な声だった。僕らはその声を聞いた時に、心霊スポット巡りの感覚を無くしていた。普通の可愛い女の子の声なのだ。僕らはその可愛い声を聞いたときから、度胸試しのノリではなく探検のノリになっていた。明日教室でどんなふうにみんなに聞かせてやろうか。


「手伝ったるわ。そのあと一緒にあそぼーや」


女の子は顔を引っ込める。


かちゃり、とドアの鍵が即座に開いたが、 オートロックだろうと皆が言わずとも推測していた。


「おじゃましまーす」


玄関の先はリビングに続く廊下と二階に上がる階段に分かれていて、階段の上にあの子は居た。


「こっち」


「あの子、よお、お前真伽さんちのあの子やんね」


「あの子じゃない。ダイリちゃん」


「ダイリちゃん言うんや。変わった名前や

ね」


その子は綺麗な標準語で喋っていたが、そんな些細な違和感は足まで伸びた黒い髪の不思議な雰囲気の綺麗な顔となんだかマッチしていた。


ダイリちゃんの部屋に案内される。部屋には人の形をした紙切れに名前が書かれた物が散乱している。それが村の人間たちの名前であることは分かった。


分かったが、それがなんだというのか。


「なんやねんこれ...... なんや、マジで、うざいわ、死ね、マジでなんやねんこれ」 Aが呻く。 それは部屋の異様さに対する文句ではない。


僕も同じ気持ちだった。 ついに僕らは膝から崩れ落ちて、立ち上がることが出来なくなった。


いや、立ち上がりたくないのだ。 もっと言えば、もう生きていたくなかった。


死んでしまいたかった。 意味も理由も不明な憂鬱が、脳がゲロを吐くようにぶちまけられたイメージ。


「祭りのおしごと、女の子しか出来ない」 そういって押入れの引き出しから取り出されたのは、僕らの3人の顔の写真が貼られ、名前が書かれた名札の様な木の板だった。A妹の木の板をダイリちゃんが舐める。


A妹はゲロを吐いてその中に顔を突っ込んで虚空を見つめていた。絞り出す様な甲高い奇声を上げて、白目を剥いて立ち上がり、部屋に散らばった名前の書かれた白い紙切れを涙を流して貪りだした。


だからなんだ。死にたい。もう生きていたくない。死ぬのが怖い。死にたい。


不気味で恐ろしくても、逃げ出す、つまり一階に戻って玄関の靴を履き、外に出る。 その一連の動作を行うくらいなら死んだ方がマシだと思う程の理由不明の虚脱感で僕らは倒れて動けなくなった。


人間が生き残る為の逃走反応すら凌駕する、圧倒的な憂鬱。もうここでダイリに殺されてもそれは仕方の無いことだと思った。ダイリが命令すること以外は呼吸すら面倒な、心を根本から腐らせられたような圧倒的な憂鬱。


「な、なに、何して遊ぶ? 御伽呪い?猫又造り?おなから様のお着替え?なに、なに」


ダイリは綺麗な顔立ちをしていた。


ただ、目つきだけが。


この子供部屋に閉じ込められ、なにか悍ましい物だけで育てられた事だけが分かる、人のそれとは思えない目つきだけが異常だった。神様か獣の瞳だった。


「壊れちゃったの? ダイリちゃんの部屋臭いからね。壊れちゃった? 壊れちゃったね。これじゃ人繰りさんしか出来ないね。 苦しいよね。苦しいと思うな。苦しいんだよね。今タマ様のねっこぎゅっとするね」 僕らはそこで眠った。


眠ったといっても意識が落ちたり夢を見たりするわけでは無い。いや、夢を見ていたのかもしれない。僕らは僕らの身体が人形のようにダイリちゃんの意思で動かされ、 おままごとをさせられているのを自分の目を通して俯瞰するように眺めていた。


おままごとは、ダイリが押入れから取り出した奇妙な物による奇妙な行動。それは何かの動物の頭のミイラにお祈りしたり、尻尾が二つに裂かれた猫の剥製の尻尾を規則正しく振って民謡の様なものを歌う、あるいは白い着物を着せられた、頭の部分に三つ穴を開けて顔を表現しただけの木彫りの人形を裸に剥いて舐め回し、もう一度服を着せて次の人に渡す――異常な遊びは二、 三時間続いた。


狂う


狂ってしまいたいくらい狂ってしまいたくない狂うのが怖い生きるのが辛い死ぬのが怖い。


僕達はとにかくダイリちゃんより異常な状況より、「生きていること」が辛くて、辛くて、苦しくて、悲しくて仕方がなかった。


「ダイリ!シメ!」


真伽さんの家の人、ダイリちゃんの母親の声がして、今度こそ本当に意識が途絶えた。


穢れ、はケが枯れるという意味も持つのだ、と言われた。ケとは日常であり、ケが枯れることは、穢れることは日常を生きる力を無くすことに繋がるのだと。


僕らの村は呪術が生業の家が多く、周りの村との軋轢―――言ってしまえば差別から逃れる為に、一家に村の呪術を全て継がせ、 穢れを一人の巫女に代理で行わせるようになったという。ダイリちゃんの部屋は穢れに満ちており、そこで僕達はケが枯れたのだと。A妹は祭りの日に行う、村人のケガレを人形を通して肩代わりする呪術の手伝いをさせられたということ。


ダイリちゃんは妹であり、長男を神社で普通に過ごさせていて、それはクラスのBくんだったということ。真伽家はBくんが継ぐこと。


そんな事を祭りの行われている神社の境内でお祓いをする前に聞かされた。


どうでもいい。殺してくれ。はやく殺してくれ。死なせてください。なんで僕らがこんなに苦しいのに祭りなんかやっているんだ。


「ケはハレ、つまり祭りの日におハラいをして補充するしかないんよ。でもね、『それ』とは長い付き合いになるよ」


僕は布団の中でそれを聞き、涙を流した。 涙を流せた。悲しいという感情すら必死に縋りたい大切な何かだった。


僕らはそれから精神病院に入退院を繰り返している。お祓いをして動ける程度に回復したあとは、重度の鬱病として普通の精神医療で日常を、ケを送り回復していくしかないそうだ。


数年経ったあと、あのケガレに満ちた部屋でケガレに満ちたことを繰り返しているダイリちゃんの事が気になって、お見舞いに来た神主さんに聞いたことがあった。


「部屋に入っただけで僕らこんなに辛いのに、どうしてあんな場所で呪術をしているダイリちゃんは平気なんですか」


「平気じゃないよ」


「え?」


「今日もあの日の君達の何倍も辛いケガレを浴びとるよ。死にたくても死ねないんや。産まれた時から自殺を禁じる呪い――


これは刷り込みみたいなものなんやけどね、そういった物がかけられてる。だから死ねないよ。どんなに生きていく力がなくなっても、死なない限り人間は死なない。


生きられないまま、生きていく」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真伽さんちのあのコ 透瞳佑月 @jgdgtgdt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ