言語化苦手な俺だけがこの世の理を知っている

城太郎

 

 百人は軽く収まりそうなほどの広い教室に、チョークの小気味よい音が響く。


「魔法を習得するには、理論的に考えることが何より重要です。魔素の理解、術式の解析、そして詠唱。どれ一つ欠けても立派な魔導士にはなれません」


 教授の説明に、生徒たちは真剣な表情で聞き入っている。そんな中、アルト・レイヴァースは最後列の隅で退屈そうに片肘をついた。


「基本の火炎魔法ひとつとっても奥深いのです。火の魔素を生成し、酸素を適切な比率で合成する。その割合は――」


 教授の言葉はまるで呪文のようだし、板書の文字も異世界の言語としか思えない。


 それに、とアルトは机の端にあったホコリをつまむと、窓の外に向かって指ではじいた。


「燃えろ」


 ホコリは小さく燃え上がり、塵となって消えた。理論なんて知らなくても、燃えるものは燃える。


 はぁ、と一つため息をつき、アルトは眠気に身を任せた。それから何分経っただろうか。ふと騒がしさを感じて、ゆっくりと顔を上げる。どうやら、いつの間にか講義は終わっていたらしい。


 教室の前方では、一部の熱心な生徒が教授を囲んで質問攻めにしている。そんな彼らが一切の実技もなしに、優等生として褒めたたえられるのがこの学校だ。


 アルトはその光景を一瞥すると、音を立てないようにそっと立ち上がった。このままここにいても、ただ胸の奥がざわつくだけだ。





 昼休みとあって、廊下は楽しげな笑い声で満ちていた。その喧騒から逃げるように校内をさまよい、やがて中庭にたどり着く。人の気配が薄れた途端、肩の力がふっと抜けた。ちょうど空いていた隅のベンチに腰を下ろす。


 暖かな春の日差しに、時折吹く風が心地よい。見上げる空には雲一つないが、アルトの心は晴れない。


 前回の試験は学年で最下位だった。おそらく次回もそうだろう。教師もクラスメートも、アルトが勉強できないのは努力をしていないからだ、と思っている節がある。その視線の冷たさが忘れられない。


『浮かない顔してどうしたの?』


 突如、脳内に声が響き、ドキリと心臓が跳ねた。慌てて周囲を見回す。しかし、声の主の姿はない。


『アハハ! 慌てちゃって、かわいい!』


 まるで少年のような、幼さを感じる声だ。


「誰だっ!」


 アルトは思わず叫んだ。だが、耳を澄ませても返事は聞こえない。


『君の脳内に直接話しかけてるから、周りには聞こえないよ』


 えへへ、と楽しげな笑い声。こちらはそれどころではない。


 テレパシーの魔法なら知っている。ただし、子どもの頃に読んだおとぎ話で、だ。現実世界では見たことも聞いたこともない。


『ねえねえ、ボクだけ話すんじゃつまんないよ。君も返事してよー』


 近くにいた生徒たちは、いきなり大声を上げたアルトのことを怪訝な表情で見つめている。しかし、彼らの目を気にする余裕は今のアルトにはない。


『ねえ、簡単だってば。届け~って、念じてみなよ!』


 恐ろしく雑なアドバイスだった。それなのに、不思議なことにすんなりと頭に入ってくる。


『こ、こんな感じか……?』


『そうそう! 聞こえたよ!』


 喜びが爆発したような声が脳内を跳ね回る。状況がさっぱり分からない。思考もまとまらない。


『お前は何者だ? この魔法は? 目的はなんだ?』


『やっと喋ったと思ったら質問ばっかり。せっかくだから、答えられる範囲で教えてあげるけどね。フフフン』


 声の主は愉快そうに鼻を鳴らす。


『ボクの名前はミスト。この国から、ずっとずっと遠い世界に住む存在』


 アルトは首を傾げた。随分と曖昧な言い方だ。魔王軍の関係者か? それにしては、その口ぶりからは敵意が感じられない。


『情報が足りない。それじゃあ何も分からない』


『ちょっとくらい、ミステリアスな方が惹かれるかなって』


 ふざけているのだろうか。とはいえ、あまり刺激もしたくない。アルトは黙って耳を傾ける。


『今は訳あって旅の途中なんだ。ここは有名な魔法学校だっていうから覗いてみたら、驚いたよ。アルトを除いて、雑魚ばっかり!』


『俺を除いて? 冗談だろ。ただの劣等生だぞ、俺は』


『成績なんて関係ないよ。魔法を使うのにわざわざお勉強だなんて、ここの人たちは変わってるよね。そんなんだから弱いんだよ』


『そんなこと……』


『ない、って言い切れないでしょ? 魔法はもっと自由なもの。えいって適当にやって、発動すればそれでいいじゃん』


 言葉に詰まる。それはアルト自身、ずっと感じていたことだったからだ。この国では、魔法といえば言語化。言語化できる者こそが優秀。誰もがそう信じていた。


『確かに、俺は子どものころからなんとなくで魔法を使っていた』


『そうそう、それでいいのにさ』


『周りは理屈を理解しろ、言語化しろってうるさくて』


『困っちゃうよね。自由にやらせてくれれば、アルトが他の奴らなんかに負けるはずないのに』


『そう、フラストレーションばかり溜まっていた』


 なんだこれは。思わず意気投合してしまった自分に驚く。


『分かるよ。ボクならアルトを分かってあげられる』


『…………』


 唇を噛みしめる。顔も正体も知らない、意味不明な存在なのに、素直に拒絶できない。それほどまでに、ミストの言葉は心に響いた。


 その時、ふと違和感を覚えた。何気なく上方に視線を送ると、そこには無数の銀色の矢。真っすぐアルトに向かって落ちてくるそれは、わずか数メートル先に迫っていた。


 アルトは咄嗟に手を伸ばす。


 魔法と魔法がぶつかり合い、けたたましい衝撃音が響き渡った。地面は震え、真っ白な煙が立ち込めた。


『さすがだね、今の攻撃をこうもあっさり防ぐなんて』


 パチパチパチ、と手を叩く音とともにミストは声を弾ませた。


『いきなり不意打ちなんて、どういうつもりだ?』


『そんなこと言いながら余裕の表情じゃん。こんなの、ただの遊びだよ、遊び』


 相変わらずのお気楽な返答に、プツンと何かが切れた音がした。





 グッと右足に力を込め、思い切り地面を蹴った。一歩蹴り出しただけでアルトの身体はぐんぐんと上昇し、四階建ての校舎をあっという間に飛び越えた。勢いが弱まって空中で静止すると、今度は逆の足で虚空を蹴る。さらに上へ。


 ぴょんぴょんと空を翔け、十歩ほど進んだところで視線を下に落とす。高さおよそ500メートル。米粒のように小さくなった校舎を中心に、街全体を一望できるその光景は、アルトにとって見慣れたものだった。


 空を歩く魔法。この国で存在を耳にしたことは一度もなく、文献にも記録はない。それでもアルトは、物心ついたころからこの魔法を自在に操ってきた。理屈は分からない。ただ、使えるという事実がすべてだ。


 先ほどの会話で、ミストはたびたびアルトの表情や行動に触れていた。つまりは、そう遠くない場所でアルトのことを見ている。


 アルトは街全体を俯瞰し、目を細めた。テレパシーの理屈は分からないが、魔法である以上、どこかで魔力はつながっている。ふと、覚えのない魔力の"匂い"を感じた。これだ。


 おぼろげに見えた魔力の線を辿って、今度は空から降下する。一歩ごとに落下していくのに、アルトの身体は重力から解き放たれたように軽やかだった。そして、校舎の屋上に音もなく着地する。


「意外に近くにいたんだな」


 施錠されて使われていない屋上の中央に、黒いローブをまとった人影。フードを深くかぶり、素顔は見えない。風が吹くたびに裾がはためき、あたりは不気味な静けさに包まれている。


「……無茶苦茶だね。こんな見つけられ方をするとは思わなかったな」


 ローブの人物が沈黙を破る。脳内で聞いたのと同じ、忘れようのないその声。ミストだ。


 小柄だ。背丈は150センチにも満たず、線も細い。本当に子どもなのか。その姿が、テレパシーや先ほどの攻撃魔法を操る凄腕魔導士のイメージと重ならない。


 アルトはさりげなく左右に視線を走らせた。屋上には誰もおらず、周囲にも高い建物はない。要は、遠慮なく暴れられる。


「女子供に手を出す趣味はないが、そっちから来るなら話は別だ」


 ミストは両手を後ろに回し、ゆらゆらと身体を揺らす。どう見ても隙だらけだ。


「そういうつもりじゃなかったんだけどな。でも、アルトとは一度戦ってみたいと思ってたし、ちょうどいいかもね」


 その言葉が終わるより早く、アルトは動いた。わざわざ会話に付き合ってやる義理もなければ、分かりやすい隙を見逃す道理もない。


 詠唱もなしに、アルトは左手で目の前を軽く払った。ミストがいた場所は瞬く間に暗闇に覆われ、ミストの姿が視認できなくなる。


「……目くらましか。よくある手だね」


 ミストの言葉に答えることなく、アルトはすかさず地面を蹴って跳躍した。先ほどと同じ要領で空を翔け、背後に回り込む。着地と同時に、暗闇が裂けるように晴れた。ニヤリと笑うミストと目が合う。


「その魔法はもう見たよ。便利だから使いたくなるのは分かるけど、その分読みやすい」


 少しでも意表が付ければと思ったが、やはりそう甘くはない。アルトはすぐさま右の手のひらを突き出し、用意していた魔力を解放する。


 純白の光弾が放射状に広がっていく。アルトが右手を握ると同時に、光弾は鋭いレーザーに姿を変え、一直線にミストへと殺到する。


 捉えた。そう思った瞬間、ミストの身体が横に滑った。レーザーは虚空を貫き、白煙を上げて消滅した。


「よく避けたな」


 わざと気を逸らすように笑いかける。


「えー、これくらいは当然でしょ」


 だが、本命は次だ。攻撃をかわして得意げなミストの背後に、もう一発の光弾がキラリと光った。こちら側に回り込む前に仕込んでおいた、時間差攻撃だ。


 これで終わりだ。そう思った瞬間、ミストはノールックで身体をわずかによじった。そのわずか数センチ横をレーザーが駆け抜け、アルトの足元に着弾した。唖然としかけた表情を、アルトは慌てて押し殺す。


「……気づいてたのか」


「そりゃあね。だってボクだよ? ここの学校の連中と一緒にされちゃ困るって」


 余裕を漂わせるミストに、アルトの手にじわりと汗がにじむ。強い。今まで戦った誰よりも。ドクン、と心臓が暴れ出す。まさか高揚しているのか、この俺が?


 ミストはミストで、ワクワクが抑えきれないとばかりに両腕で自分の身体を抱いていた。


「さすがだね、アルト。これほどとは思わなかった」


「嫌味かよ」


「いや、まさか」


 ミストはゆっくり首を振る。


「最初の煙幕みたいなの、あれ光の反射をいじってるんだよね? あんなの初めて見たよ。暗闇を作るだけなら、光を全部反射させて遮断すればいいだけ。やってることは単純だし、何もないところから煙幕を生み出すよりもずっと簡単」


「当然だろ。俺がそんな小難しい魔法を使えるわけがない」


「そう卑屈にならないでよ。次のレーザー光線の攻撃だってそう。ピカピカ光るだけで殺傷能力のない見せかけ。で、本当の本命はボクのいた位置にしかけた転移魔法だよね。攻撃魔法じゃないからシールドじゃ防げない、防御不能の一撃ってわけ」


「お前こそ、あっさり看破してガードじゃなく回避を選んだだろ」


「だってさあ。あれ、下手したら上半身だけ転移してボクの身体が真っ二つだよ? なかなかエグイことするじゃん」


「ここの学校の奴らみたいに座標計算で発動したら、場合によってはそうなるかもな。俺は対象指定で発動してるから、そんなミスはありえない」


 アルトはノーモーションで再び転移魔法を放つ。しかしミストは表情一つ変えず、今度はキッチリ一歩、最小限の動きで回避した。


「それにしても、ボクのを転移させようだなんて、器用なことで。それだけ、避けるのも簡単だから助かるんだけど」


 心を見透かしたように笑うミストに、アルトは舌打ちする。


「別にケガさせたいわけじゃない。仕返しにちょっと素顔を暴いてやれれば、俺としては十分だ」


 言葉とは裏腹に、冷や汗が背を伝う。目の前で種明かしまでされた。この状況で、どうすればミストを上回れる?


「転移魔法を攻撃に使う、みたいな発想力はアルトのいいところだけど、焦ると手が単調になるのが弱点だね。さっきから、おんなじ魔法しか使ってないよ?」


 ミストは先ほどから回避に徹していて、息一つ乱れない。楽しんでいるようにさえ見える。


 これほどの実力差。さて、どうする?


 そうは言いつつも、アルトの腹は決まっていた。どうせ自分には言語化なんてできない。どうするかなんて、考えたところで意味はない。だったら出来ることは一つだけ。


「そろそろ時間切れだね。終わらせようか」


 ミストはクスリと笑うと、そのまま全速力で突進してくる。アルトは焦ったように攻撃を繰り出すが、すべてかわされる。避けながら距離を詰めるのは至難のはずなのに、ミストは涼しい顔で迫ってくる。


 アルトは最後の切り札とばかりに、計38発のレーザーを一斉に放つ。だが、その先にはすでにミストの姿はない。何もない空間で光弾同士がぶつかり、閃光が爆ぜた。


 視界を覆う白光。反射的に目を背けた次の瞬間、ミストはアルトの目の前に潜り込んでいた。鼻先と鼻先が触れそうなほどの距離だ。


「はい、おしまい」


 人差し指がアルトの胸に触れる。途端に強烈な眠気が押し寄せる。催眠魔法だ。


 アルトはかすかに笑みを浮かべた。ミストの目が見開かれる。


 今までの会話から、ミストはアルトを傷つけない決着を望むであろうことは想像ができた。であれば、ミストの攻撃を喰らうこと自体は大した問題じゃない。


 突然、屋上全体に風が吹きつけた。立っているのがやっとな強風。明らかに自然のものではない。これは、アルトが意図して発動したものではなかった。だからこそ、防ぐ必要がないし、防げない。


 ミストのローブが強風にあおられ、バタバタと音を立てる。ミストはローブの端を掴んで引き寄せようとするが、その隙をつくようにフードがふわりと浮き上がった。


 ウェーブのかかった金色の髪がこぼれ落ち、現れたのは――見知らぬ少女の顔。


「えっ?」


 予想外の素顔に身体が硬直する。耳に届いたのは、囁くようなぼやきだった。


「まったく、これじゃどっちが勝ったんだか分からないな」


 全身から力が抜けていく。倒れかける身体をミストが両手で抱き支えた。


「今回は引き分けってことにするしかないかぁ」


 その言葉を最後に、アルトの意識は闇に飲まれた。





 リンゴ―ン。リンゴ―ン。


 昼休みの終わりを告げる鐘の音で、アルトは目を覚ました。ぼんやりと瞬きをしてから、弾かれたように飛び起きる。校舎の屋上だ。慌ててあたりを見回すが、アルトを除いて人影はない。


 その時、アルトの身体から何かがはらりと足元に落ちた。二つ折りになった紙だ。服に引っ掛かっていたのだろうか? 見覚えのない手紙だった。しゃがみこんでそれを拾い上げ、中を見る。


『また遊ぼうね☆』


 送り主の名前はない。だが、こんなものを寄越すような奴は一人しか知らない。


 結構、かわいかったな。ふと頭に浮かんだ感想を慌てて打ち消す。素顔を暴くことには成功したが、勝負としては完全にアルトの負けだ。胸の奥に悔しさが込み上げる。


「もう勘弁してくれよ」


 そう呟いたアルトは空を見上げ、ふっと口元をゆるめた。その表情はつきものが落ちたかのように晴れやかだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

言語化苦手な俺だけがこの世の理を知っている 城太郎 @jota1111

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ