第50話 主の覚悟
その不思議な壁を調べてみると、壁の向こうから謎の隠し扉が現れた。
俺たちが見つけた謎の隠し扉。
その向こうに現れたのは、息をのむような美しい遺跡などではなかった。
ごう、と。
まるで次元そのものが叫び声を上げているかのような、禍々しい魔力の奔流が、俺たち三人に叩きつけられる。
扉の奥に見えるのは、渦を巻く、混沌とした光。その先に、さらに深く、暗く、不気味なダンジョンが続いているのが見えた。
そこから漏れ出してくる空気は、これまでのダンジョンとは比較にならないほど、剥き出しの敵意と、原始的な混沌に満ちていた。
「……なんだ、これは……」
郁美が、スキャナーを構えたまま、その知的な顔を驚愕に歪ませた。
「この魔力パターンは、既存のどのダンジョンシステムにも属さない。まるで、異次元への裂け目……。危険すぎる。一度戻って、態勢を立て直すべきだ」
俺とAYAYAも、その判断に異論はなかった。
これは、今の俺たちが、準備もなく足を踏み入れていい領域ではない。
俺たちは、応急処置として簡易的な魔力バリアを扉の前に張り、すぐさま旅館へと引き返した。
◆
ラウンジでは、氷室さんと椿さんを交えた緊急の作戦会議が始まっていた。
緊迫した空気の中、郁美さんがモニターに表示されたデータを元に報告を続けている。
◆
その、すぐ外の庭では――。
宿泊中の、棟川様ご夫妻が、穏やかな午後のひとときを過ごしていた。
「本当に良いお宿ねぇ、あなた」
「ああ。また抽選に当たるといいんだが」
そんな、どこにでもある、平和な会話。
ご主人が、美しい庭を背景に、奥さんの記念写真を撮ろうとスマホを構えた、まさにその時だった。
ダンジョンの入り口、その暗闇から、一体の異形が、ぬるり、と這い出てきた。
カマキリと蜘蛛を合わせたような、複数の赤い複眼を持つ、見るからに禍々しいモンスター。
それは、これまでのモンスターを縛っていた「ダンジョンの外には出られない」という法則を、いとも簡単に無視していた。
異形は、庭にいる棟川様ご夫妻に気づく。
キィィィィィィ!
甲高い、耳障りな叫び声を上げると、その鋭い鎌のような前足で、猛然と襲いかかった。
「ひゃあああああっ!」
奥さんの悲鳴が、旅館の中にまで響き渡る。
◆
俺の反応は、誰よりも速かった。
玄関へ向かう、数秒の時間すら惜しい。
俺は、ラウンジの障子を、内側から蹴破った。
バリバリ! という派手な音と共に、木っ端みじんになった木枠と紙片を突き抜け、一直線に庭へと飛び出す。
モンスターの鋭い爪が、恐怖で動けなくなっているご夫妻に振り下ろされる、まさにそのコンマ数秒前。
俺は、二人の前に、音もなく立ちはだかっていた。
振り向くこともない。
ただ、背後にいるモンスターに向かって、無造作に、右の拳を振るう。
ゴッ、という肉を打つ音すらなかった。
俺の拳がモンスターに触れた瞬間、その異形の身体は、まるで幻だったかのように、一瞬で砂塵となって、風に掻き消えた。
圧倒的な力の差による、完全な「消滅」だった。
驚きと恐怖で固まっているご夫妻に、俺は、氷のように冷徹だった表情から一転、いつもの穏やかな笑顔で振り返った。
「お怪我は? ……大変申し訳ありません、お客様。私の管理不行き届きです。すぐに安全な場所へ」
ラウンジでは、全員が、ただ呆然と立ち尽くしていた。
郁美が、モンスターが消えた後の、僅かな魔力の残滓をスキャンする。
「……間違いない。この魔力……さっきの扉の向こうのものだ」
AYAYAは、顔面蒼白で呟いた。
「ダンジョンの外に出てこられるモンスター……。そんなの、ルール違反よ。S級ギルドでも壊滅しかねない、カタストロフィ級の脅威だわ……」
椿さんと氷室さんから、政府とブリザード本部に緊急連絡が入る。
しかし、返ってくるのは、「未知の次元への干渉は時期尚早」「データ収集と分析に数週間を要する」といった、あまりに悠長で、官僚的な返答ばかりだった。
俺は、そのやり取りを黙って聞いていた。
視線の先には、まだ恐怖で震えているお客さんの姿と、不安そうな小町の顔がある。
大事なお客様を何日もこの恐怖の中で過ごさせるわけには、いかない。
会議が、長期的な籠城戦の様相を呈する中。
これまで静かだった俺が、口を開いた。
「……待ってくれ」
全員の視線が、俺に集まる。
「封鎖も、警備も必要だ。それは、やってもらいたい。でも、それだけじゃダメだ。根本的な解決にはならない。……俺の庭に、俺の家に、得体の知れない『穴』が空いたままなんて、俺は絶対に我慢できない」
俺は、自分の足元で、不安そうに、しかし、どこか懐かしそうにダンジョンの方を見つめて震えているニジに、そっと視線を落とした。
(ニジ……。もしかしてお前も、あの扉から来たのか……? だとしたら、あの先には、お前の故郷が……お前のことがわかる何かが、あるのかもしれないな)
顔を上げ、仲間たちに、もう一つの理由を告げる。
「それに、ニジの故郷が、この先にあるのかもしれない。あの子が、どうして俺のところに来たのか、その答えも、俺が見つけなきゃならないんだ」
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
その瞳には、この場所の全てを背負う「主」としての、そして、一匹のかけがえのない家族を守る「保護者」としての、燃えるような覚悟の光が灯っていた。
「俺が行く。……俺が、この隠しダンジョンをクリアする。そして、厄災の扉を、この手で完全に閉じる。それが、この家の、この聖域の『主』としての、俺の仕事だ」
俺の、二つの強い決意に満ちた宣言に、その場にいた誰もが息をのんだ。
沈黙を破ったのは、AYAYAだった。
彼女は、目の前の俺が見せた覚悟に、不敵な、そしてどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「……フッ。言ってくれるじゃない、オーナー。面白くなってきたわ。その『仕事』、従業員として、私も手伝わせてもらうわよ」
続いて、郁美が、カチャリ、と眼鏡の位置を直す。
彼女の目もまた、俺が見せた、新たな変化に、興奮を隠しきれない。
「……合理的だ。現状、この問題を根本的に解決できる可能性があるのは、お前と、そして、そのスライムだけだ。私も同行する。お前らだけじゃ、どんな初歩的な罠にハマるか、分かったものじゃないからな」
俺の覚悟が、二人の天才を動かした。
義務的な調査任務ではなく、「主の決意」に、二人が自らの意志でついていく。
俺は、自分の肩に乗ったニジを連れ、二人の仲間と共に、物々しく封鎖されていくダンジョンの入り口へと、静かに歩き出す。
その三人と一匹の背中を、小町たちが、祈るように見送っていた。
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田舎暮らしのダンジョン配信者~元社畜おっさん、田舎でのんびり旅館経営したいだけなのに、勝手に最強認定されて世界に見つかってしまった~ みんと @MintoTsukino
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