第26話:聖女の帰還、そして新たな日常へ(エピローグ)

 鉱山都市ラピスを覆っていた呪いが解かれ、数日が経過した。

 黒く変質していた鉱石は元の美しい輝きを取り戻し、瘴気しょうきに侵されていた鉱夫たちも、まるで長い悪夢から覚めたかのように、一人、また一人と正気を取り戻していった。後遺症もなく、ただひどく疲弊しているだけだった彼らは、家族や仲間たちと涙ながらに再会を喜び合った。

 街には活気が戻り、絶望に沈んでいた人々の顔には、明るい笑顔が咲き誇っていた。


 その中心には、常に聖女セシリア・ルミエールの姿があった。

 彼女は「ラピスの英雄」として、市長をはじめとする都市の住民たちから、熱烈な歓迎と心からの感謝を受けた。数日間にわたり、祝賀会に招かれたり、復興作業を健気に手伝ったり(もちろん、時折おっちょこちょいな失敗をしては周囲を和ませたりしながら)と、忙しくも充実した日々を送っていた。


 そして、彼女の頭上には、あの戦いで再び光を失いかけたティアラが、今は穏やかな輝きを取り戻して鎮座していた。

 ティアラ(優)は、前回の無理が祟り、高度な機能――特に《クロノ・ブースト》のような切り札は、依然として使用制限がかかったままで、完全回復にはまだ時間がかかりそうだった。しかし、日常的な会話や簡単なセンサー機能、そしてセシリアへの的確な(そして相変わらず毒舌な)アドバイス程度なら、問題なく行える状態まで回復していた。

 優は、セシリアの目覚ましい成長を喜びつつも、自身の機能がいつ完全に元通りになるのか、そしてあの奇跡的な一時回復が何を意味するのか、内心では少しの不安と多くの謎を抱えていた。


 やがて、セシリアはラピスでの事件の顛末を王都の聖教会に報告するため、そしてティアラの本格的なメンテナンス(と優自身の情報収集)のため、住民たちに惜しまれながらも鉱山都市を後にした。


 王都に戻ったセシリアは、真っ先に大司教ザラキアの元を訪れた。

 ザラキアは、セシリアの報告――鉱山都市の呪いの原因が、古代の呪詛が込められた「汚染源(コア)」であり、それを守護する強大な魔物を打ち破り、コアを浄化したこと、そしてその過程でティアラ(プロトゼロ)が再び奇跡的な力を発揮したこと――を、驚きと、そしてどこか納得したような表情で聞いていた。

「聖女セシリアよ、そなたの働き、誠に見事であった。ミストラル村に続き、ラピスをも救うとは……まさに聖女の鑑じゃ。その功績は、聖教会としても最大限に称賛せねばなるまい」

 そして、ザラキアは、ティアラ(プロトゼロ)について、以前よりも少しだけ踏み込んだ言葉を口にした。

「その聖装顕現装置は、いにしえの時代に、世界のバランスを調整するために試作された『対なる守り手』の一つと伝え聞く。強大な力を秘めているが故に、その制御もまた難しい。だが、そなたはその力を、見事に正しき道へと導いたようだ。……あるいは、そのティアラが、そなたを選んだのかもしれんな」

 その言葉は、どこか意味深長だったが、優は、ザラキアがこれ以上何かを語るつもりはないことを察した。彼が何かを知っている上で、あえて自分たちを泳がせている――そんな印象は変わらなかった。


 ザラキアは、セシリアに、しばらくは王都の聖教会でゆっくりと休養しつつ、聖女としてのさらなる研鑽を積むよう命じた。それは、彼女の功績を称えると共に、その特異な力を持つティアラを聖教会の管理下に置きたいという思惑も含まれているのかもしれないと、優は密かに分析していた。


 こうして、セシリアの新たな日常が始まった。

 王都の聖教会の一室を与えられ、彼女は穏やかながらも充実した日々を送っていた。午前中は聖女としての教義や歴史を学び、午後は祈りを捧げたり、時には王都の孤児院を訪れて子供たちの世話をしたりした。

 彼女の不器用さやおっちょこちょいなところは相変わらずで、勉強中にインク瓶をひっくり返したり、祈りの途中で居眠りしそうになったり、孤児院の子供たちと遊んでいて自分が一番泥だらけになったりすることもあった。

 その度に、ティアラ(優)からは容赦ないツッコミが飛んでくる。

「おいセシリア、その教科書の持ち方、逆さまだぞ。まさか鏡文字で読んでるのか?」

「祈りの最中に寝落ちとか、前代未聞の聖女だな、お前は。神様も呆れてるぞ」

「子供たちよりお前の方が汚れてどうするんだ。少しは聖女としての威厳をだな……まぁ、無理か」


 しかし、そんな優の毒舌も、セシリアにとっては心地よいBGMのようなものだった。彼の声が聞こえる、ただそれだけで、彼女は安心して、そして前向きな気持ちになれるのだ。

 ミストラル村での経験、そしてラピスでの死闘を経て、セシリアの心は確実に成長していた。以前のような自信のなさや過度な卑屈さは薄れ、その瞳には、困難に立ち向かう勇気と、人々を救いたいという強い意志が、常に宿るようになっていた。


 優もまた、そんなセシリアの変化を、憎まれ口を叩きながらも、どこか温かい目で見守っていた。

 ティアラの機能は、セシリアの聖なる力と、シルフィードの祝福、そして王都の聖教会が持つ高度なメンテナンス技術(ザラキアが特別に手配したらしい)のおかげで、少しずつではあるが確実に回復の兆しを見せていた。優の欠落していた記憶も、ふとした瞬間に、まるでパズルのピースがはまるように、断片的に蘇ることがあった。

 例えば、セシリアがキッチンで(サラに教わったレシピで)不器用ながらも一生懸命に蜂蜜パイを焼いているのを見た時、生前の好物だったモンブランケーキの濃厚なマロンクリームの味と、それを開発室で徹夜明けに頬張った時の幸福感を、鮮明に思い出したのだ。


 ある晴れた日の午後。

 セシリアは、聖教会の静かな中庭で、一人魔法の練習に励んでいた。その頭上では、ティアラの蒼穹石そうきゅうせきが、以前のような力強い輝きを取り戻しつつあった。宝石の表面に入っていたかすかな亀裂も、いつの間にか完全に消えていた。

「ティアラさん! 見てください! 今日の《ライト・アロー》、ちゃんと的に当たりましたよ!」

 セシリアが、満面の笑みで振り返る。その額には、うっすらと汗が滲んでいた。

 相変わらず、時々魔法が暴発して近くの花壇を焦がしたり、集中しすぎて自分の足をもつれさせたりすることはあったが、それでも彼女は、以前よりもずっと楽しそうに、そして真剣に練習に取り組んでいた。


(ふん、まだまだだな。命中率は上がったかもしれんが、威力が豆鉄砲レベルだぞ。それに、あの不安定な魔力制御……バグは山積みだ。まぁ、せいぜい頑張ることだな、この不器用聖女め。この俺様――超高性能(自称)な頭脳(ティアラ)――の的確なサポートがあってこそ、お前も何とかなるってことを忘れんなよ!)

 優は、いつものように憎まれ口を叩きながらも、その声には確かな信頼と、そしてほんの少しの誇らしさが滲んでいた。


 こうして、元SEの魂を持つ聖ティアラと、ちょっぴり不器用だけど心優しい聖女の、異世界でのデバッグと成長の物語は、ひとまず、ここで幕を閉じる。

 だが、世界にはびこる「バグ」――人々の苦しみや悲しみ、そして世界の法則を歪める邪悪な存在――が完全になくなったわけではない。

 彼女たちの新たな冒険が、いつかまた、どこかで始まるのかもしれない。


(……まぁ、その時は、もう少しマシなユーザーインターフェース(セシリアのドジ軽減機能)が、俺のシステムに実装されていることを願うばかりだ。でないと、俺の演算コアが持たんからな)

 優は、そんなことを考えながら、セシリアの頭上で、今日もまた新たなツッコミの言葉を探しているのだった。


【完】

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聖女様の頭脳は元SE!?~毒舌ティアラと落ちこぼれ聖女の異世界デバッグ奮闘記~ 蒼月マナ @aotsukimana

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