理由
冬部 圭
理由
佳乃は僕が今まで見たことが無いような昏い目をしていた。前に会った時はこんな目はしていなかったのに。目をそらしたくなるのをぐっと耐えて真摯に向き合うことにする。
「どうして学校なんかに行かなきゃならないの」
これでも教師の端くれだから、様々な状況下で同じような質問をされた経験がある。最適な答えはそれを問う人の数だけある質問だと思っている。
佳乃が求める答えと佳乃に伝えるべき答えは違う。僕にはどちらもわからないけれど。
佳乃は結婚を考えている相手である涼子さんの娘で小学四年生。涼子さんからは学校でうまくいっていないみたいだと伝え聞いてはいた。涼子さんは何が上手くいっていないのかまではつかめていないようで困っていた。
「伊藤さんは高校の先生なの。学校の事で悩みがあったら相談してみて」
涼子さんが佳乃にそんなことを言ったから、佳乃は僕を試しているのかもしれない。僕が本当の悩み事を相談できる相手なのかどうか。
「上辺だけの欺瞞の回答と僕なりの身も蓋もない回答があるけれどどちらがいいかな」
自分の生徒に聞かれたら迷わず欺瞞の回答を返すところだけれど、佳乃はもっと親しい関係になる可能性がある。そうなった時にずっと誤魔化せないような気がする。
「ぎまんって何のこと」
佳乃は欺瞞の意味を聞いてくる。
「偽りかな。建前の答えと本音の答えと捉えてもらってもいいかも」
平たく簡単に説明する。
「どちらも聞きたい」
佳乃は迷わずそう答える。
「じゃあ、建前の答えから」
そう言って佳乃の目を見る。やはり感情は読み取れない。
「生きていくにはいろいろな知識が必要だ。例えば授業で学ぶ国語や算数の知識があれば生活が円滑に営めるようになる」
佳乃一人を相手にホームルームを開いているような気持になる。
「だけど、勉強は学校じゃなくてもできる」
佳乃が反論する。
「そのとおり。塾だってあるし家庭教師を頼むこともできる。大変かもしれないけれど一人で頑張ることもできるかもしれない。そもそも憲法には学校に行けとは規定されていないんだ」
そこで一旦話を区切って佳乃の反応を見る。
「憲法って何」
わからないことは聞く。佳乃は優秀な生徒のようだ。
「国の一番重要な法律。国が守らないといけない法律。憲法の理念に反する法律は作っちゃいけないことになっている」
心の中で本来はと付け加える。自分のことながら捻くれ者だと思う。
「勉強しなくていいって書いてるの」
続けて質問が出る。
「保護者の方に普通教育を受けさせる義務があると規定されている。普通教育だから学校教育に限らない。子供が学校に通わないならそれ相応の教育を行えばいい。家庭学習をしっかりやる、フリースクールに通わせるなどの対応をしていれば義務を果たしていると言える」
そこまで言って佳乃の反応を待つ。
「じゃあ、法律上では学校に行かなくていいってこと」
首を傾げながら佳乃が追加の質問を口にする。
「教育基本法では、保護者は子供に義務教育を受けさせることが求められている。正当な理由なく義務教育を受けさせなければ保護者が罰せられる。正当な理由がある場合、学校に代わる教育を提供すれば罰せられることは無いよ。だから学校に行かない正当な理由があれば大丈夫。正当な理由は例えば病気とかいじめかな」
いじめを受けているようでもないし佳乃が学校に行きたくない理由がわからないけれど。
「じゃあ、なんで学校に行くように言われるの」
はじめの質問に返ってくる。
「人との関わり方を学ぶからかな。友達関係、クラスの運営、先生との関係。社会に出た時に円滑に暮らしていけるよう、学校と言う比較的小さなくくりの中で人間関係を学ぶんだ」
でもこの答えは欺瞞の答えと断っている。
「それは偽りなのね」
佳乃も僕がはじめに言ったことを覚えている。真剣に聞いてくれているということかもしれない。
「正しくないような気がしている」
すでに言ったことなので隠すようなことはしない。
「じゃあ、本当は」
佳乃に続きを促される。
「国、または国を動かしている人は憲法を守らなきゃいけない。だけど、自分たちの良いように物事を進めたい。だから、憲法を自分たちの都合の良いように解釈するんだ。時にそれはおかしいと思うような解釈を押し通すことがある。教育の場合でも普通教育って何かと言う問題がある。普通教育は憲法の中では定義されていない。だから、普通教育は今、国を動かしている人たちにとって都合の良い知識、技能、思想を持つようにすることだって決めてしまっている。そういう教育を行えば自分たちにとって都合の良い人材が得られるだろう」
難しいかとも思ったけれど僕がこうかなと思う理由を述べる前提を告げる。
「思想は教育で決まらないと思う」
そこが気になるか。
「僕もそう思っていた。だけど、道徳を科目にするなんてことが実際に起こっている。規則やマナーやモラルを学ぶ事は大切だけど、そのことに点数をつけるってのは行き過ぎのような気がするんだ。教育委員会が先生に道徳ではこんな風に指導しなさいって言って先生がその通りに指導したら、教育委員会の思うようなことが道徳的に優れているっていう価値観を作ることにならないかと」
誰かが誰かに物を教えるということは下手をすると考えを押し付けることになる。
「道徳だけじゃない。言葉や歴史、科学的知識も教える方が『これが正解』と決めることができる」
僕は教える内容をコントロールできる側にとって都合の良いことだけが学校で学べることにならないかと危惧している。
「教える方に都合がいいことだけ教わることができるってことだね」
僕の伝えたいことは概ね伝わったようだ。
「そう。そして学校は教える方にとって都合の良い人材を作ろうとする。学校は『あなたはこちらにとって都合の良い人間になれますか』ってことを試す場所になってしまっている気がする。だから、学校に来てくださいっていうのも『こちらの言うことを聞けますか』という問いかけじゃないかと思うんだ」
思っていることの半分くらいは伝えた気がする。
「じゃあ、学校に行かなかったらどうなるの」
佳乃が本当に気になっていることはこのことなのかもしれない。
「教える側にとってあまり都合の良い人物ではないとレッテルを貼られるかもしれない。でもそんなことはあまり気にしなくても良いと思う。教える側にとって都合の良い考えを持っていても生活力のない人はいるし、都合の悪い考えを持っている人でも生きていく術を持っている人はいる。要は世間の荒波を越えていく力が養われていれば学校に行っていたかどうかなんてどうでもいいんだ」
教師にあるまじき暴論を吐く。
「ただ、生きていく術を家庭だけで身に付けるのは結構大変だ。学校に行った方がそこそこの知識と能力と世渡りの知恵を比較的簡単に手に入れられると思う。だから可能であれば学校に行った方が楽だ。でも、学校が本当に苦しくて耐えられないのであれば、無理することは無いよ」
この世は不公平だから生きていくために必要な労力は人によって異なる。その苦労をどこでするか。選べる人もいれば選べない人もいる。
「涼子さんとよく話をするといい。学校に行きたくないならその理由。それから学校に行かない代わりにどうやって生活するために必要な知識や能力を身に付けるつもりなのか。誰を頼るかなんかも」
僕はまだ、佳乃の父親候補でしかない。この対応が涼子さんや佳乃に受け入れられないのであればそこからも脱落だ。だけど、自分を偽ってまで取り入ろうとは思わない。そんな無理をしている関係なら、いずれ破綻するだろう。
少しだけ佳乃の目に光が差したような気がした。
理由 冬部 圭 @kay_fuyube
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