101.the Day
どす、と鈍い音。
ナイフはシープの肩口に突き刺さり、床に縫い付けるような格好になった。
「うぐ……あ……!」
わずかに悶えたシープだったが、観念したように力を抜き、目を閉じる。
刺した肩口から、きらきらと……星屑のような白い光が漏れ出しているのを見ながら、あたしは静かに問う。
「戦う前に言ってたこと、あれ全部ウソでしょ」
「……違います。シープは、シープは……」
泣きそうに顔を歪める彼女を見つめて、あたしはあたしの考えが正しいことを悟る。
ううん、本当は最初からわかってた。
シープは、出会った時から今まで、ずっとあたしの味方だったんだから。
「シープがいる限り、この夢遊郷は消えない。……でしょ? だからあたしに本気で戦わせなきゃ駄目だった。あたしにシープを殺させようとした」
あたしを殺して身体を乗っ取るだとか、そんなこと。
シープがするわけないんだから。
できるわけがないんだから。
「……どうしてそこまで信じてくださるのですか」
「きみがどんな子が、少しくらいはわかってるつもりだから」
「……マスターは、ほんとうに……少しは人を疑った方がいいです」
「ミミさんみたいなこと言う」
シープは少しだけ笑い、熱い吐息をゆっくりと吐き出した。
「シープが夢遊郷にいる限り、夢遊郷は消えません。そうなれば新たな夢魔がまた生まれることでしょう……だから、とどめを刺してください」
「いやだよ。何か他の方法が……」
「そう言うと思いました。でも、夢遊郷なんて消えた方がいいんです。こんな世界……ない方がいい」
「そんなこと言わないでよ。あたし、この世界があったおかげで強くなれた……ううん、あのたくさんのダンジョンはきっと、シープが作ってくれたものなんでしょう?」
夢遊郷の核であるシープは、夢遊郷の在り方を変えた。
夢魔を生み出す根っこの性質だけは変えられなかったけど――きっとあたしのために。
夢が心の世界だというのなら。
宿った人間の心に干渉できる
「夢遊郷の迷宮たちは、強くなりたいっていうあたしの願望に応えて作られた。シープが、そうしてくれたんだ」
「マスター……」
「あたし、あきらめないよ。夢遊郷が無くなったって……シープだけでも助けてみせる」
シープがいる限り、夢遊郷は存続する。 ならこの子をここから連れ出せば。
「『次元孔』」
夢遊郷に来て初めてのボス戦で習得したスキルを発動した。
空中に黒い穴が出現する。
別の場所にワープしたり、モノを収納したりと様々な使い方ができる、すさまじく便利なスキルだ。
今回は、後者の機能を使う。
「マスター、それは……」
「これでシープを夢から連れ出す。シープが夢遊郷に居なければ、夢遊郷は消えるんでしょ。電池を抜いた機械みたいに」
シープを『次元孔』に収納したまま目覚めれば、シープは夢遊郷から抜け出せる。
次元孔はスキルの中でも珍しい、ダンジョン外でも機能するスキル。
夢の中のものを現実に持っていけるのか、試したことはない。
持って帰るようなものが、ここでは手に入らなかったからだ。
だけど今は違う。
試してみなきゃわからないなら、試す価値はあるはずだ。
「シープは電池じゃありません……いや、そんなの……うまくいくわけ……」
「うまくいくかはわからないけど、それでもやるよ。あたし、シープが消えた世界で生きていくなんて無理だから」
「マスター……」
呆然とあたしを見つめるシープに、あたしは力強くうなずく。
根拠はない。失敗するかもしれない。
だけど今はこれしか思いつかないし、諦めるのは手を尽くしてからでも遅くない。
あたしはシープに突き刺したナイフを抜き、『次元孔』の出力を上げる。
ゴオオオ、と風鳴りのような音を立ててシープを吸い込もうとする黒い穴。だけどシープはびくともしない。
「だめだ、大きすぎる。シープちょっと縮んでよ」
「ちょっと無茶ぶりじゃありません!?」
珍しくシープがめちゃくちゃびっくりしている。
いやごめん、あたしもちょっと余裕なくて混乱してるっぽい。
だけどシープは渋々ながら身体の形状を変える。
女の子の姿から、羊をボールにしたみたいなふわふわの綿毛っぽい形態。
現実世界で顔を出すとき、この姿になっていた。
「……じゃあ、行くよ」
「はい……マスター」
「なに?」
「いえ……」
シープは言集を飲み込んだ。
飲み込んだ言葉を、あたしは知っている。
もし、うまくいかなかったら。
連れ出すのが成功しても、向こうの世界で会えなかったら。
夢の世界の存在であるシープは、現実でも生きていけるのだろうか。
きっとシープにもわからない。だって出たことがないから。
だから、きっと別れを言おうとしたんだろう。
そして、飲み込んだのは、あたしを信じてくれたからなんだろう。
きっと向こうでもまた会えると信じて、口をつぐんでくれたんだ。
だからシープは、あたしをこれまで支えてくれた柔らかな笑顔を浮かべている。
「また会いましょう。マスター」
「うん。約束ね」
笑顔を交わす。
シープがふわりと浮かび、次元孔へと吸い込まれ――見えなくなった。
「……シープ」
誰もいない塔の頂上で、ぽつりとつぶやいた声を聴く者は誰もいない。
この世界ともお別れだ。
あたしをこれまで鍛えてくれた世界。
シープが居なくなれば消える世界。
夢の中でしかろくに成長できないユニークスキル、『睡眠学習』を持つあたしは、これ以上強くなれなくなってしまう。
だけど、惜しくはない。
夢魔がこれ以上生まれないのなら、安いものだと思うから。
「さ、そろそろ起きますか」
夢ばかり見てはいられない。
いつものように目を閉じ、深呼吸をすると――あたしの意識は、まるで眠りに落ちるように溶けていった。
* * *
目を覚ますと、そこはあたしが眠った歩道だった。
まだぼんやりとする意識の中……サヨちゃん、アヤさん、ミミさんが口々にあたしの身を案じる言葉を投げかけてくれる。
あたしは――それに答える前に、自分のスキル一覧を開く。
その、上から二つ目のスキル。
『夢遊郷』――その文字が、塵になって消えていった。
「……消えました。夢遊郷」
ぽつりとつぶやく。
もう眠ってもあの世界に行くことはない。
同時に、夢魔が生まれることもなくなった。
場が騒然とする中、サヨちゃんが顔を上げた。
「あ……見て、レムちゃん」
サヨちゃんが指さす先。
赤く染まっていた空が、元の色へと戻っていく。
その色は夜を示す藍ではなく、白が混ざり始めていた。
太陽が昇る。朝だ。
夢の時間が終わり――夜明けが、訪れる。
(シープ)
だけど。
(シープ、聞こえてる?)
あたしの呼びかけは、ただ空を切る。
『次元孔』を開いても、かすかな音一つない。
(もう大丈夫だよ。出てきてもいいよ……)
その呼びかけに、答えるものはいなかった。
* * *
魔災から家に帰って、気づいたらまた夜が明けていた。
どうやら疲れからベッドに飛び込んでそのまま眠っていたらしい。
装備も脱ぎ捨てて、完全に下着姿だ。
身体が痛い……。
寝ぼけ眼を擦って身体を起こす。
あくびをして窓を開けると、晴れ渡る青空をスズメたちが横切る。
そこで、久しぶりに夢を見なかったことに気づいた。
「ああ……」
目の端から、熱い雫が一粒こぼれ落ちた。
あれから、シープが答えることはなかった。
シープとはもう話せない。
だけど彼女は確かにいるんだ。消えたなんて思いたくない。
夢の存在だろうと、あたしの
(そりゃありますよ)
「ええっ!?」
ひっくりかえってベッドから落ちる。
なに今の声! 幻聴!?
(幻聴ではありません。夢から抜け出て存在が不確かだったシープですが……こうしてやっと現世に適応できました。なのであの、できればでいいのですが、そろそろこの『次元孔』から出してほしいと言いますか……)
もじもじとしていそうな控えめな声。
本当にシープだ。居るんだ。
「『次元孔』」
空中に黒い穴が開く。
そっと手をかざすと、見慣れたヒツジ頭がぎゅぽん、と飛び出してきた。
「……ふふっ、良かった。また会えましたね」
「こっちの世界でも話せるんだ……」
「もともと現実でも話せていたでしょう?」
呆れたように首(?)を傾げるシープ。
そうは言っても、前に現実で話していたときとは全然違う。
ホログラムみたいだったのが、なんというか、そう……実物感がある。
震える手を伸ばしてみると、ふわりとした感触。
触れられる。ぎゅむぎゅむと両手で挟むと、「やめてください」と面映そうに避難された。うれしい。
「残念ながら夢遊郷はもうありませんが――こちらの世界でも、よろしくお願いします」
「……うん。うれしい。うれしいよ……シープ」
ぎゅっと抱きしめて、その温かさを確かめる。
夢の世界がなくても、こうして触れ合える。
夢が現実になった――その喜びを噛み締めて、あたしたちは二人で、しばらく笑い合っていた。
――――――――――――――――
閲覧いただきありがとうございました。
たくさんの星やいいねにコメントなど、信じられないくらい貰ってしまいました。
最初から最後までついてきてくれた方は……いたらすごい、いたらうれしい。
三ヶ月ほどの連載でしたが、楽しかったです。
もし興味がありましたらあと語り的な近況ノートを投稿しているはずなのでそちらもどうぞ。
それではまた、機会があれば次回作、もしくは過去作で。
パーティから追放された最弱女子高生、ユニークスキル『睡眠学習』で寝てる間に最強になる 草鳥 @k637742
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