異世界江戸に転生したら、魔王様に溺愛されました!?〜契約という名の結婚を迫ってきて、元の世界に返してくれません〜

よしなりこ

第1話 知らない場所に迷い込んじゃった!?


みなさんは、日本の城の中に行ったことはあるだろうか。

その中には、天守を見たことがある人もいるんじゃないだろうか。

私はといえば、見たことも入ったこともある。

なんなら、今まさに住んでいる。強制的に。


「見よこの景色を。全てお前のものなのだぞ。」


天守閣から外を見下ろして、男は言う。

黒く長い髪が風になびいて、まるで絵画のように美しい姿だった。


「いや、ちょっとそういうのいいです。」


でも、景色にも彼にも興味はない。


「……そうか。では、この財を見よ。屏風に錦絵、刀剣、茶器…全てお前の物だ。」


「…………」


目の前に山積みにされた、国立博物館でしか見られないような宝物の数々。

知的好奇心はそそられるけれど、欲しいというほどではない。


「…………なるほど、お前は着物の方が好みか。では好きな反物を選ぶといい。職人に繕わせよう。留袖が良いだろうが、お前が望むなら振袖でも構わぬぞ。」


「………」


着物は、成人式の時に着たっきりだ。

目の前に並べられた反物たちは、かわいいし綺麗だと思うけれど、着るとなると窮屈かもしれない。


「じゃあ食べ物か?白米、魚、山菜、舶来のカステイラ、なんでもあるぞ、なんでも!」


「…じゃあおにぎりくらいならもらおうかな」


ちょうど小腹が空いてきた。まあ、そのくらいならもらっても大丈夫だろう。


「そうか!そうかそうか〜〜〜!では厨の者に拵えさせよう!100個あれば足りるか?足りぬか…では500だ!」


「そんなには要らないです!!!」


私の返答を聞くと、先ほどまであんなに「それっぽく」振る舞っていた男は、まるで別人のように目を輝かせ、大喜びで部屋を飛び出そうとする。

私は、そんな彼を大慌てで引き留めた。


「そうか、2つ3つで構わぬのか…我が妻は、なんと欲のない…。」


「あの、妻ではないです」


「なに、今にそうなる。」


何の迷いもなしに断言するこの男…イエナガに、私は今まさに囚われているのであった。





⭐︎⭐︎⭐︎




事の起こりは、少し前に遡る。



夕暮れ時の水辺を、私はとぼとぼと歩いていた。きっと、周りからは惨めな姿に見えているだろう。いや、実際、私は惨めだった。


さっき、新幹線のチケットを風に飛ばされた。

風に乗って、まるで紙飛行機のように飛ばされたその紙は、最後には皇居のお堀に落ちて流されていく。膝から崩れ落ちた頃には、もう新幹線の座席は埋まっていて予約できなかった。


なんて惨めなんだろう……

涙目になりながら、皇居の方を見る。

今では皇族の住まう場所だけれど、ほんの160年くらい前までは、徳川家の征夷大将軍達が住んでいた場所だ。


「ちょっと…お堀の周りを一周してみようかな…」


夕暮れ時に、「ちょっと」なんてノリで行っていい距離ではないのは、このどこまでも続くような広大な敷地を見れば、すぐに分かる。


だけど、本当なら今ごろは新幹線で実家に向かっていたのだ。

それが、ついさっき無くなって、スケジュールは白紙になった。

…つまり、めちゃくちゃに時間を持て余していたのである。


「このまま帰るのもなんか虚しいし、せめて一万歩を歩いてから帰ってやるぅ〜っ!!!」


周りに人がいないのを確認してから、私は小さく、かつ大胆に叫んだ。


もう、なにかしらの実績を残さなければ帰れない!!

いや、別に誰に怒られるとかそういうわけでもないんだけども。気分の問題だ。


とりあえず、実家の方には「諸事情あって帰れなくなっちゃった!てへ!」とちゃめっ気たっぷりにメッセージを送っておく。


詳しい理由はあえて書かない。

新幹線のチケットを飛ばされましたなんて、なんか恥ずかしくて言えなかった。


成人してるのにこんなドジをやらかしたことを親に言うのは…なんていうか、心にくる。


なんていう羞恥心に苛まれていると、メッセージの通知音が鳴った。実家からだ。思ったよりも返信が早いなあ。


『諸事情って?仕事関係の?』


「ああ〜…」


送られて来た文面を見て、私は少し考える。


『うん、まあ、そんな感じ』と送ってから、携帯をスリープモードにしてポケットにしまった。


「…ごめんね。」


勝手に謝罪の言葉が漏れた。


「とりあえず、行けるところまで行ってみよう。一万歩超えたらその辺でバスとか電車で帰ろ!」


気を取り直し、私は再び歩き出した。

目指すは江戸城一周!!

あ、江戸城跡か。それとも、皇居一周?


うーん、と唸りながらわりとどうでもいいことで悩んでいると、何かを蹴飛ばしてしまった。


「わっ!なになに?私、何かやっちゃいました?…って、本当になんだろうこれ」


蹴飛ばしてしまったのは、硬い…何かの欠片のようだ。


なんとなく気になって、拾ってみる。


歪な形をしたそれは、どうやら鉱石のようだ。くるくると向きを変えて観察してみると、一部に宝石のような部分がある。


「なにかの宝石の原石だったりして…んなわけないか。あはは。……はぇ?」


思わずマヌケな声が出てしまった。

手のひらの石のような「何か」が、キラリと光ったように見えたからだ。

…いや、「ように見えた」のではない。確かに光った。


あたりはどんどん薄暗くなり始めているというのに、まるで自ら発光しているかのように光り輝いている。


「なにこれぇ!?そういうLEDライト!?」


見つめれば見つめるほど、石は光を強めていく。得体が知れなくて、さすがにこわい。

私が手放そうとすると、「それ」は、まるで意思でもあるかのように一層まばゆい光を放って私の視界を完全に覆った。



⭐︎⭐︎⭐︎



暗闇での場面転換を「暗転」と言うが、この場合はなんと言うのだろう?

気になって、今すぐ調べたい衝動に駆られたけれど、それはできなかった。


光に覆われて、視界が真っ白になったのは一瞬のことだった。


しかし、その一瞬の間に、世界が変わってしまっていたのだ。


気づくと私は、教科書で見たような景色……まるで、江戸の城下町のような場所に立っていた。



「…え?江戸城跡って今こんなテーマパークになってるの?」


辺りを見回す。

すごくリアルに江戸の街並みが再現されている。

小中学生の頃に修学旅行で行った、京都の街並みを思い出した。


「やっぱり、観光収入って大事だもんなぁ…」


ここは日本の超主要駅、東京駅の近くだ。交通の便を考えても、確かにこの場所にこういった施設があってもおかしくはないのかもしれない。


すごい。

私も歴史は結構好きだから普通にワクワクする!


あっちのお団子屋さんも、こっちの鐘撞き小屋も、すごく江戸っぽい!居るだけで楽しいかもー!


…いや待てよ?


さすがに知らない間に入っちゃってるのはヤバいよね!?

入場料を払ってないし、受付とかもしてない!!


私の脳裏に、「不法侵入罪」という言葉がよぎった。


「た、た、逮捕は嫌だーーーっ!!!職なし前科ありなんて最悪すぎる!!!」


と、とりあえず管理事務所的なところに行って事情を説明しよう。

話せば分かってくれるはず。

故意ではないんです。信じてください!!


とにかく走る。急いで走る。慌てて向かう。

そして、ふと立ち止まった。


「…いや、そもそもどこに行けばいいの!?」


そういえば、事務所の場所なんて私は知らない。案内板や、地図、看板の類も見当たらない。


…こういう時は、キャストさんに聞こう。


私は、近場にあったお団子屋さんの店先で立っている、着物姿の少女に声をかけることにした。看板娘だろうか。黄色い着物がかわいい。


「あの、すみません…」


「はい、あんこ一本3文で……きゃっ!?」


「えっ、ごめんなさい!?」  


少女は、私の顔を見るなり驚きの声を上げた。私はつい反射的に謝ってしまう。


「あ、あのぅ…ちょっと道を聞きたくて…」


「…へ…へ……へ………」


「へ?」


くしゃみでも出そうなのかな?


「変な人!!兄さま!!助けてぇー!!」


少女は泣きべそをかきながら、店先の椅子に腰掛けていた侍のような姿の男性の後ろに隠れてしまう。


「えー!?ごめんなさい!?」


また反射的に謝ってしまった。

いや、でも正直泣きたいのはこっちだよ!

人のことお化けみたいにそんなに拒否しなくてもいいじゃない……


「おお、よしよし、おカヨ。兄に任せておけ。…貴様、何者だ?我が妹に狼藉を図ろうと?」


青年は、少女の兄であるようだ。彼は、鋭い眼光でこちらを睨みつけ、腰の物に手をやった。


て、敵認定されてる!?こういう設定の世界観なのか!?


「ひえっ…い、いえそんな…滅相もない…私はただ道を聞きたくて……」


「道だと…?どこへ行くつもりだ」


「あのその、えっと…管理の……ここを管理してる偉い人のところに……」


「なんだと!?」


私の答えを聞くや否や、彼は声を張り上げて、腰に下げていた十手を振り上げた。


「おい、お前たちも手を貸せ!ひっ捕えるぞ!」


その一声で、今まで団子屋でくつろいでいた男性たちが、目の色を変えてこちらに襲いかかって来る。


「ぎゃっ!な、なんで!?やめてください!た、助けてぇー!!」


抵抗虚しく、私は男たちに捕まってしまった。

手と胴体をぐるぐるに巻いた縄の端を引っ張られながら、街中を歩かされる。


まるで犬の散歩みたいだな…と思いながら仕方なく歩いていると、唐突に「おい、止まれ」と声をかけられた。


「は、はい…なんですか…?」


「着いたぞ。入れ。」


言われて見上げると、そこには大きな屋敷があった。四方八方を高い壁で囲まれている。


「おい、牢番。新入りだ!!」


私を引っ張ってきた男性は大きな声でそう呼びかけると、中から出てきた男性へ乱暴に私の身柄を引き渡した。


「なんだあ、こいつは。随分と妙な格好だなぁ?」


「知らぬわ。だが、殿下を狙う曲者かも知れぬ。一時牢に入れておくが良かろうよ。」


「ふうん。まあ、岡っ引きのお前さんが連れて来たんなら、入れておいてやるけどよぅ。」


「ああ、任せた。俺は、奉行所へ報告に参る。…そうだ、おカヨのために菓子も買っていってやらねば…」


岡っ引きの男性は、一人でぶつぶつ言いながら去って行った。


私はといえば、この新しく登場した人…縦にも横にも大きい、プロレスラーのような体格の強面の男性と二人きりだ。


「あ、あのう…ここって管理事務所では…ないですかね……?」


多分違うだろうなあと思いつつ、一応尋ねてみる。


「ああ?カンリぃ?管理なら、してるがよぉ。」


「え!?ほんとですか!?」


まさかの大当たりだった!?

牢とか聞こえた気がしたから、ヤバいと思ったけど…多分聞き間違いだったんだ。よかった〜。


予想外の出来事に、ほっとして力が抜けた。

そのままよろけてしまい、男性に寄りかかるような形になってしまう。


「ご、ごめんなさいっ!つい、安心しちゃって…」


「安心だぁ?これから牢に入れられるってのに、妙ちくりんな奴だなぁ。訳ありかぁ?」


「エッ、牢?」


聞き間違いじゃなかったの!?

喜びから一転、私は冷や汗が止まらなくなった。


「え、いや、あのぉ…」


「そうかぁ…女1人、髪もザンバラで妙な服着せられてふらふらと町をさまよって…お前ェ、前の旦那に離縁でもされたのかぁ?それとも、実は妾の子と分かり激怒した武家出身の母親におんだされたかだなぁ……」


男性は、なぜか涙目になっている。

髪がザンバラとか妙な服とか、結構失礼なことを言われた気がしたけれど、今にも涙がこぼれ落ちそうな彼を見ていると、怒りが削がれた。


「あの、えっと…?」


「…こんな気の毒な身の上の女子供を、言い分も聞かずに牢にぶち込むたぁ、武士の名折れ。よぉし、牢の前に、まずは話を聞いてやるよぉ。」


勝手に決められてしまった。

結局牢屋に入れられることは決定事項みたいだけど、確かに誰かに話をしたいとは思っていた。

この人がこのテーマパークの管理人とは思いにくいけど、もしかしたら事情を話せば上の人に話を通してくれるかもしれないし。


私は、男性についていくことにした。


「ほら、ここに座りなぁ。」


屋敷の規模に比べ、かなり狭い建物の中に通される。

中には最低限の物しか置いていないといった感じだ。例えるなら、夜勤用の仮眠室のようにも見える。


男性は、散らばった物を無理やり部屋の端っこに追いやって、座るスペースを空けてくれた。


「で?お前ぇさん、一体どうしたぁ?」


むかいあって、真っ直ぐに聞いてくる。


…そういえば、私があそこを辞めてから、こんなに真っ直ぐに話を聞いてくれる人なんていなかったかもしれない。


なぜか、不意に涙が溢れた。


「うぉっ!?泣…!?な、な、泣くほど辛ぇことがあったのかぁ!?だ、だ、大丈夫だからよぅ…ほら、顔拭けぇ。別嬪が台無しだぁ…」


男性は大慌てで、布を差し出したり背中を摩ったりしてくれた。

見た目は怖いが、根は優しいのだろう。


「…参ったぁ…。俺ぁ、泣かせるばっかで泣き止ませる方はからっきしでよぅ…」


向こうまで泣きそうになっている。

こんなに大きな男の人が、子供のように身体を縮こまらせて困っている。その様子がなんだかおかしくて、すこし笑ってしまった。


「…ふふっ」


「んぉ!?お、お前ぇさん笑ったなぁ?よかったよかったぁ…。すまねぇなぁ、俺ぁ、いつも余計なこと言っちまうんだぁ…」


「…いつも?」


「おお。あん時も妹の気に入りの着物を、色が良くないだのお前ぇには別の着物の方がいいから、俺が見繕ってやるだの言っちまってよぉ、おさくを怒らしちまったんだよなぁ。」


「おさく…っていうのが、妹さんですか?」


「おうよ。山奈さく。我が山奈家の自慢の妹だぜぇ。」


「へえ…かわいい子なんでしょうね。えっと…それじゃあ、あなたは山奈さん…?」


「おう。ああ、そういやぁ名乗りがまだだったなぁ。そうだよ、俺ぁ山奈丹右衛門っつぅモンだぁ。」


「やまな、にえもんさん。良い名前ですね。」


「へへ、そうだろぉ?お前さんは?名はなんてぇんだ?」


「私ですか?私は……」


そこまで言った時、私は思った。


…個人情報あんまりベラベラ話すのはまずくないか?


ただでさえ、ここが何なのか分からないし、目の前の人がどんな立場のどんな人かもわからないわけで。まあいい人っぽそうだけども。


「………山田花子です…かねえ…」


「山田ぁ?」


山奈さんが怪訝そうな顔をする。

しまった、さすがにあからさまな偽名すぎたか…!


「山田っつうと、山田浅右衛門殿の親族かぁ?なるほどなぁ、確かにあそこの家なら、お前さんみてぇな身の上の者もいるかぁ……」


誰それ?!とは思ったものの、良い感じに勘違いしてくれているようだ。

ここは黙っておいて、成り行きに任せよう。


「よし、わかった。お前さん、しばらくここに居な。なに、牢に入れってぇんじゃあねぇよ。ここは俺の宿部屋だからなぁ。迎えが来るまでこの部屋で休んでてくれてかまわねぇってこった。」


山奈さんはまくし立てるようにそう言うと、「ちょうど干してる布団があんだよ」と外へ出て行ってしまった。


「な、なんかすごい人だな…」


私はといえば、驚き半分、安心半分といった心境だ。


「…迎えが来るまでかぁ……。迎え、来るかなぁ…」


ポケットから携帯を取り出し、電源を入れてみる。起動はできるが、圏外だった。

マップアプリも役に立たない。今の場所について調べることもできず、誰かを呼ぶなんてことはできそうもない。


まあ…そもそも呼んで来てくれるような相手なんていないんだけど……


不安な気持ちがじわじわと大きくなっていく。

おさまっていた涙が、また滲み出しそうになった。


「うう…ダメだ!色々考えるのやめやめ!!」


自分の頬をぺちんと叩いて、気合いを入れ直す。

泣いてたら、また山奈さんを困らせてしまう。


「戻ったぞぉ。まあ、煎餅布団に変わりはねぇが、カビ臭ぇよりはマシだろぉ。」


そうこうしている間に、山奈さんが戻ってきた。担いでいた布団を部屋に投げるように置く。その勢いで、畳の埃がブワッと舞い上がった。


「は…ハックションッ!」


「おっといけねぇ。俺ぁ、掃除は大の苦手でよぅ。」


がははと豪快に笑う山奈さんの横で、私はくしゃみを連発する。

そういえば、ちょっとだけハウスダストアレルギーがあるんだった…


「…私が掃除しましょうか?」


「おお?ありがてぇなぁ!…いやぁ、でも山田のお嬢さんにそんなことさせたら、お前さんの父殿だか兄殿だかに斬られるかもしれんしなぁ…」


「その心配はご無用なので!掃除させてくださいっ!!」


だって、その山田なんとかさんとは縁もゆかりもないのだから、報復も何もあるはずがない。


それよりも、この埃まみれの部屋で長い時間過ごさなければならない方が問題である。


くしゃみのしすぎで肋骨が折れたり、鼻水が出過ぎて干からびたりしてしまうかもしれない!…なんていうのはちょっと考えすぎだけれども。


「そうなのかぁ。んじゃあ、やってくれぇ。」


「はいっ!じゃあ箒とかハタキとかありますか?あとは雑巾も!!」


「おお、たしか小屋の方にあったなぁ。取ってくる。」


早速、山奈さんは掃除用具を取りに行ってくれた。


ポケットを探ったら、いつのか分からないマスクを発掘した。あんまり綺麗じゃないかもしれないけど、ないよりはずっといい。

くしゃくしゃのそれを装着して、私は山奈さんの戻りを待つ。


手持ち無沙汰に、狭い部屋の中を見回すと、畳の上に置かれたお盆と、汚れた急須と茶碗、そして抽出され尽くしたであろう干からびたお茶殻があった。


「ゴミは捨てようよ……」


呆れながら、お盆に手を伸ばす。


…ん?待てよ。確かこれって………


「持ってきたぞぉー!!」


大きな足音を立てながら、山奈さんが戻ってきた。その手には、様々な物を抱えている。


「あ、おかえりなさい!」


「おうよ。こいつが箒、ハタキ、雑巾。あとは棒雑巾も持ってきたぜぇ。それと、水桶もあったから持ってきたぞぉ。さ、なんでも使ってくれぇ。」


棒雑巾は初めて見るが、形的にモップとかフローリングワイパーとかそういう類のものだろう。


「…あのう、重ね重ね申し訳ないのですが、この桶に水を汲みたいので、水の出る場所を教えていただけませんか?」


「ああすまねぇ、掃除すんなら水が必要だなぁ?女中に任せきりだったからなぁ、とんと抜けていたぜぇ…待ってな、俺が汲んで来るからよぅ。」


「あ、いえ!場所さえわかれば自分で…!」


「気にするなよぅ。山田のお嬢に水汲みなんぞさせて、こんな場所を歩き回らせたなんてことが公になったら事だからなぁ。」


そう言って、止める間もないまま、山奈さんはさっさと行ってしまった。


「山田さんじゃないのに…ごめんなさい…」


騙して働かせてしまっていることに罪悪感を覚える。


…ともあれ、この恩には働きで返すしかない。


私は気合を新たに、腕まくりをした。


「おらよ!水だぜぇ〜。どうだぁ、これで足りるかぁ?」


山奈さんはすぐに戻ってきた。

その手には、水がたくさん入った大きな桶。

最初に持って行ったのは、バケツサイズの桶だったはずなのに、今持ってるのはどう見てもタライサイズの桶だ。洗濯桶というんだったっけ。


「え、そ、そんなに大きいのでしたっけ?」


「んぁ〜、いや、井戸んとこに置いてあったからよぅ、拝借したんだよぉ。大は小を兼ねるって言うもんなぁ。」


「それって誰かが使ってたのでは?か、返してきてくださいっ!」


「まあまあ、掃除する間ちょいと借りるだけだよぉ、それからすぐ返しゃあ、バレやしねぇよぅ。」


「そういう問題ですかね…?」


衛生的にも問題がある気がするが、親切心でやってくれてるのが伝わってくるし、無碍に扱うこともできない。


すぐに掃除を済ませて、洗濯桶をピッカピカにしてから返そう。そうだ、そうしよう。


私は覚悟を決めて、箒を手に取る。


「…よぉし!掃除しますよっ!!」


「おぅ!頼むぜぇ〜!!」


手始めにまず、手の届く範囲で、棚の上の方にハタキをかけて埃を落としていく。これが結構鼻にムズムズくる作業だ。


「本当は天井の埃も落としたいけど…」


身長的に、ギリギリリーチが足りない。


「それなら、高いとこは俺に任せなぁ」


山奈さんは、棒雑巾を持って天井や天井付近の棚の上を拭いていく。正直、かなりありがたい助力だった。


「あ、ありがとうございます。」


「なぁに、いいってことよぉ。まあ、そもそも俺の持ち場だしなぁ。」


上の方の埃を床へ落とし切ったら、軽く箒をかけてざっくりと埃を払い出す。


あとは、最後の仕上げだ。


私は、おもむろに部屋の片隅に放置されていた茶殻を手に取る。

そしてそれを軽く濡らして絞り、畳に撒いた。


「うお!?なぁにやってんだお前さん!?」


「これでいいんですよ。あとは箒でお茶殻を掃いて〜」


茶殻を掃ききったら、乾いた雑巾で畳を拭いて、畳を乾燥させる。


「ミッション…コンプリート…!」


額の汗を拭いながらつぶやいた。

さすがに経年劣化や日焼けによる色褪せなんかはどうにもできないが、積もり積もっていた埃が無くなっただけで、黒っぽくなっていたのは改善された。素手で触ってもジャリジャリしない!!


「おお…!見違えたなぁー!その密書だか昆布だかはよくわからねぇが、お前さん掃除の腕があるなぁ!」


「えへへ…まあ、実家で掃除してたんで…」


「そ、そうかぁ…なんか悪いこと聞いちまったかぁ…?」


「え!?別に悪いことなんてないですよ!?掃除も洗濯もなんなら料理も自分でやるのは普通じゃないですか。」


「そんなことまでしてたのかぁ?!…お前さん、それで家出してきたんだなぁ…」


あれ?

なんだかすごく同情の目でみられているような?なぜ?


「山田家なんつぅ、旗本の家系に産まれて女中仕事をさせられるたぁ……。そんじゃあ、お前さん、迎えに来る者も居ないんじゃあねぇのかぁ?」


「う…まあ、そう…かもしれません…」


山田さんちってそんなにお金持ちなんだ…自分で家事しなくていいの羨ましいな…


それはともかくとして、「迎えに来る者がいない」という核心を突かれて、私はギクリとした。


「やっぱりなぁ。しかし、いつまでもこの狭っ苦しい部屋に置いとくわけにもいくめぇ。どうしたもんかなぁ。」


山奈さんは、腕を組んでうーんと唸りながら何やら考えてくれているようだ。


本当は自力で何とかしたいけれど、どうもここの勝手がわからない。今は山奈さんを信じて待ってみるしかないだろう。


「牢番!山奈!!いるか!!」


不意に、外から大声が聞こえてきた。

方角的に、門の方だろうか。


「うおっ!?お、おお。居るぜぇ〜!!…すまねえなぁ、お役目だぁ。」


山奈さんは驚きながらも、外の声に負けじと大声で返事をする。彼は困り顔で笑いながら私に一言の謝罪を告げて、部屋の外へ出て行った。


「あ、はい!いってらっしゃい!」


ん?いってらっしゃいとか、言っちゃってよかったのかな。なんか馴れ馴れしくない?

でも他に言うべき言葉とか思いつかなかったし……


一人、どうでもいいことで葛藤していると、部屋の扉がガタガタと建て付けの悪そうな音を立てて開いた。


「あれ、山奈さん?忘れ物ですか?」


入ってきたのは、ついさっき出て行ったばかりの山奈さんだ。

ひどくばつの悪そうな顔をしている。


「…あー、そのぅ……お前さんに客人だぁ…」


「貴様が不届者か。」


山奈さんの後に続いて入ってきたのは、頭は月代に丁髷、服装は着物に袴、腰には大小の刀という、いかにも侍!というような風貌の男だった。

目つきが鋭く、山奈さんと比べても強面で縦に長い。声もやたらと低くて怖い…。


「え、ち、ちがいます……私はどっちかというと迷子で…」


「フン。謀ろうとしても無駄だ、女。先ほど岡っ引きの佐山から報告が上がった。『上様への謁見を訴えるみすぼらしい妙な女がいる。捕え、疾く牢屋敷の山奈に身柄を預けた。』とな。貴様のことであろう。」


みすぼらしい妙な女!?めちゃくちゃ悪口!!


少し腹は立つが、淡々と言葉を投げつけてくるこのお侍さんが怖くて、とても怒る気になれなかった。


黙って聞いていると、彼は無理矢理私の腕を掴んでくる。


「い、痛いっ!は、放してください!!」


私の抗議の声など聞こえないかのように、力任せに部屋から引き摺り出そうとしてきた。


「待ってくれよぉ、茅野殿!この嬢ちゃんは、山田殿のお嬢さんらしいんだぁ!!それを手前勝手に処分したらまずいんじゃあねぇのかぁ!?そのうちに、迎えに来るだろう!?」


山奈さんが、私の手を掴む男…茅野さんを制止してくれる。


「山田殿だと?…はは、お主、この女狐…いや山狸に化かされたようだな。」


わざわざ狸って言い直した!?


「どういうこった、そりゃあ?」


「よいか、山奈。山田殿には確かに娘がいる。だが、齢6つだ。…その女が6つの童には、とても見えぬがな。」


「何ぃ!?そ、そうなのかぁ……?俺は、騙されたのかぁ……?」


まるで雨に濡れた捨て犬のような悲しそうな表情で、私を見つめてくる。

心がちくりと痛んだ。

騙すつもりなんて、もちろんなかった。

しかし、結果的には同じことだ。


「…ごめんなさい。」


謝ることしかできない。

言い訳をすることはできた。けれど、これ以上何かを言っても、余計に彼を傷つけるような気がしたのだ。


「……そうかぁ。」


山奈さんは、それっきり言葉を発することはなく、ただ黙って連れて行かれる私を見送っていた。

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