Good Morning, Mr. Milk

星屑肇

Good Morning, Mr. Milk

朝の光がカーテンの隙間から差し込む。東京の片隅、雑多なアパートの一室で、佐藤健太は目を覚ました。時計は7時を指している。窓の外では、雀が電線で小さくさえずり、遠くでトラックのエンジン音が響く。健太はベッドから這うように起き上がり、冷蔵庫を開けた。そこには、昨日コンビニで買った「Mr. Milk」の牛乳パックが一本、孤独に鎮座していた。

「よし、今日もお前と始めるか」と、健太は呟き、Mr. Milkを手に取った。この牛乳、ただの牛乳ではない。パッケージには、妙にリアルな中年男性のイラストが描かれている。白いスーツに身を包み、口ひげをたくわえたその男は、どこか自信に満ちた笑みを浮かべている。健太はこの牛乳を初めて見たとき、思わず笑ってしまったが、飲んでみると意外にも濃厚で美味しかった。それ以来、毎朝のルーティンに欠かせない存在になっていた。

健太は25歳、フリーター。大学を中退し、コンビニのバイトとたまのイラストの仕事で生計を立てている。夢は漫画家になることだが、最近はペンを握る気力すら湧かない。毎日は単調で、色のない繰り返しだ。それでも、Mr. Milkを手に持つ瞬間だけは、なぜか少しだけ心が軽くなる。まるで、あの口ひげの男が「大丈夫、今日もやれるさ」と語りかけてくるかのように。

この朝、健太はいつものように牛乳をグラスに注ぎ、トーストをかじりながらぼんやりとテレビを眺めていた。ニュースでは、近所の商店街で小さな火事が起きたと報じている。健太は特に気にせず、牛乳を一口飲んだ。すると、突然、部屋の中に奇妙な声が響いた。

「グッドモーニング、ケンタ!」

健太は牛乳を吹き出しそうになった。声の主を探してキョロキョロするが、誰もいない。テレビはまだニュースを流している。幻聴か? いや、確かに聞こえた。心臓がドキドキしている中、視線を落とすと、テーブルの上のMr. Milkのパックが、なぜか微妙に揺れている気がした。

「まさか…お前、喋った?」

「そのまさかだよ、ケンタ!」パックの口ひげ男が、突然目をパチクリさせて答えた。健太は椅子から転げ落ちそうになった。牛乳パックが喋るなんて、頭がおかしくなったとしか思えない。

「待て、落ち着け。俺はMr. Milk、この世の全ての牛乳を統べるスピリットだ。君が毎日俺を飲んでくれるから、こうやって話しかけることにしたんだよ。感謝してるぜ!」

健太は目を擦った。夢じゃない。パックのイラストが立体的に動き、ウィンクまでしている。「いやいや、牛乳が喋るってどういうことだよ! 賞味期限切れてたっけ?」と、慌ててパックをチェックするが、問題ない。

「ハハハ、期限は関係ないさ。俺は特別な存在なんだ。で、ケンタ、君、最近元気がないだろ? 毎日同じことの繰り返しで、夢もちょっと遠ざかってる感じ、だろ?」

図星だった。健太は言葉に詰まり、黙ってうなずいた。Mr. Milkは続ける。「なぁ、ケンタ。人生ってのは、牛乳みたいなもんだ。毎日新鮮で、ちょっと揺らせば泡立って楽しくなる。君、最近揺らしてないんじゃないか?」

健太は笑いそうになったが、同時に胸に刺さるものがあった。確かに、彼はただ流されるように生きてきた。漫画を描く情熱も、どこかで冷めてしまっていた。

「で、Mr. Milk、俺に何しろって?」

「簡単だ。今日、ひとつだけ新しいことをやってみろ。たとえば、商店街に行って、あの火事の跡を見てくるとか。そこから何か始まるかもしれないぜ。俺の直感は鋭いんだから!」

半信半疑だったが、健太はなぜかその言葉に従ってみることにした。Mr. Milkを冷蔵庫に戻し、ジャケットを羽織って外に出た。商店街はアパートから徒歩10分。焦げた匂いがまだ漂う中、焼けた小さな雑貨店の前には、地元のおじさんたちが集まって話していた。健太はふと、店先に落ちているスケッチブックを見つけた。表紙には「アイデアノート」と書かれている。中を覗くと、誰かが描いた雑貨店のイラストや、商品のデザイン案がぎっしり詰まっていた。

「これ、うちの娘のなんだよ…」と、店の主らしきおじさんがため息をついた。「火事で店がこんなんなっちゃって、彼女、夢を諦めようとしてるんだ。」

健太の胸がざわついた。娘さんの夢が漫画家だと知り、なぜか自分の心と重なった。彼はスケッチブックを手に取り、「これ、預かってもいいですか? 僕、漫画描いてるんで…何か力になれるかもしれない」と口走っていた。

その日から、健太の生活は少しずつ変わり始めた。娘さんと連絡を取り、彼女のアイデアを元に一緒に漫画のストーリーを考えるようになった。Mr. Milkは毎朝、健太を励ますように「グッドモーニング!」と語りかけ、時にはユーモラスに叱咤した。健太は再びペンを握り、ページを埋めていく喜びを思い出した。

数ヶ月後、健太と娘さんの合作漫画が小さな賞を受賞した。授賞式の日、健太は冷蔵庫からMr. Milkを取り出し、グラスに注ぎながら呟いた。「なぁ、Mr. Milk、ありがとうな。揺らしてくれて。」

パックは静かに微笑んだように見えた。「グッドモーニング、ケンタ。これからも、毎日新鮮に生きろよ!」

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