第21話 絶望の日常

第21話 絶望の日常

僕が放った『悪夢を咲かす薔薇』の花粉は、王都の日常を静かにしかし確実に地獄へと変えていった。


一週間が過ぎる頃には王都から人々の笑顔は完全に消え失せていた。

誰もが寝不足で目の下には深い隈を作り、その顔には悪夢の残滓が拭い去ることのできない疲労と恐怖の色となって刻み込まれている。

夜が来ることを誰もが恐れた。

眠りはもはや安らぎではなかった。

それは自らの心の最も暗い部分と強制的に向き合わされる拷問の時間。


人々は互いに疑心暗鬼に陥った。

隣人の何気ない一言が悪夢の中で聞いた化け物の囁きと重なって聞こえる。

家族の優しい微笑みさえもその裏に何かおぞましいものが隠されているのではないかと疑ってしまう。

街は機能不全に陥りつつあった。

衛兵は集中力を欠き盗賊や暴動の鎮圧もままならない。

職人たちは震える手でまともな仕事ができなくなった。

商人たちは客の来ない店でただ青ざめた顔で時が過ぎるのを待っているだけだった。


王城では連日、緊急の対策会議が開かれていた。

国王とその側近たちはやつれ果てた顔で頭を抱えている。


「神官団の報告では、これはいかなる聖なる力をもってしても祓うことのできない、根源的な呪いだとのことです」

「魔術師ギルドも同様の結論に達しております。

これは我々の知るいかなる魔法理論にも当てはまらないと」

「では、どうしろと申すのだ! このままでは、我が国は、内側から、滅びるぞ!」


国王の悲痛な叫びが重苦しい会議室に虚しく響いた。

彼らはようやく理解し始めたのだ。

自分たちが相手にしているものがただの災害やモンスターなどではないということを。

それは明確な悪意と、そして神の領域にさえ達する計り知れない知性を持った何者か。

「奈落の庭師」。

その名はもはやただの噂話ではなく、王国そのものを脅かす実在の脅威として認識されていた。


絶望的な状況の中、一人の老いた大臣が震える声で進言した。

「……陛下。

もはや我々の常識は通用いたしません。

ならば常識の外に答えを求めるしかないのでは……」

「常識の外、だと?」

「は。

かつて賢者と呼ばれたあの女……リリアならば。

彼女は今狂気の淵におりますがその知性は、あるいはこの異常事態の何かを理解できるやもしれませぬ」


それは藁にもすがるようなあまりにもか細い希望だった。

だが今の彼らに他に選択肢はなかった。


――その全ての光景を僕は奈落の玉座からヤミガラスを通して見ていた。


彼らの混乱、彼らの恐怖、彼らの絶望。

その全てが僕の心を冷たい喜びで満たしていく。

僕の存在を忘れ去りただ怯えていただけの愚かな人間たち。

彼らが今、僕という存在に必死に向き合おうとしている。

僕の退屈は確かに終わりを告げた。


「対話、か。

いいだろう。

望み通りもっと分かりやすく僕の意思を伝えてやろう」


僕は僕の庭園を見渡した。

悪夢の薔薇は見事な「挨拶状」となった。

だがそれはあくまで前菜に過ぎない。

次なる一品はもっと彼らの五感に直接訴えかけるものがいい。


僕は一体の作業用人形を呼び出した。

そして僕の新たな芸術作品の創造を開始する。


今度の素材は音だ。

僕は討伐隊の兵士たちが死の間際に上げた断末魔の悲鳴。

仲間をその手で殺めた騎士たちの絶望の嗚咽。

英雄たちが狂気に堕ちていくその一部始終。

その全ての「音」を僕は僕の記憶から正確に抽出し魔力へと変換していく。


そしてその魔力を特殊な植物の種子へと注ぎ込んだ。

《木霊草(こだまそう)》。

周囲の音を吸収しそれを魔力と共に内部に蓄積する性質を持つ僕の庭園のありふれた植物。

だが僕が与えるのはただの音ではない。

それは絶望そのものの響きだ。


僕はその種子をさらに品種改良していく。

バジリスクの魔眼のほんの僅かな欠片を混ぜ込む。

それによってこの草が発する音は聞いた者の精神の最も弱い部分を的確に攻撃するようになるだろう。


数日後、僕の手元には一つの奇妙な楽器のような形をした植物が完成していた。

それは風が吹くたびに弦が震え、この世のものとは思えないほど物悲しくそして心を掻きむしるような音色を奏でる。

『嘆きの竪琴(ハープ・オブ・グリーフ)』。

それが僕の新たな作品の名前だった。


「ヤミガラス」


僕は再び僕の忠実な斥候を呼び寄せた。

「今度の贈り物は、王城の、尖塔の、一番高い場所へ。

王都の、全ての民に、僕の音楽が、聞こえるように」


ヤミガラスは嘆きの竪琴をその足にしっかりと掴むと、音もなく奈落の闇へと舞い上がった。


王都では悪夢に怯える日々が続いていた。

そんな中ある日の夕暮れ時、どこからともなく奇妙で美しい音色が響き始めた。

それはあまりにも悲しい旋律。

聞いた者誰もが思わずその場に立ち尽くし空を見上げてしまうほどの心を捉えて離さない魔性の響き。


人々は最初その音色に聞き入っていた。

だがやがて気づき始める。

その音色を聞いていると胸の奥から理由のない深い深い悲しみが込み上げてくることに。

忘れかけていた辛い記憶。

失ってしまった大切なもの。

後悔、懺悔、絶望。

負の感情がその音色によって強制的に呼び起こされていく。


街のあちこちで人々が泣き始めた。

子供も大人も老人も衛兵さえもその場にうずくまり、ただひたすらに涙を流し続けた。

王都は悪夢の街から嘆きの街へとその姿を変えた。


僕は奈落の玉座でその光景を見つめていた。

僕の音楽が世界を悲しみで満たしていく。

なんと美しい光景だろうか。


「さあ、聞こえるか?

これが、お前たちが、僕から、奪ったものの、音だ」


僕は静かに呟いた。

僕の復讐はもはや単なる破壊ではない。

それは僕の感情を世界に表現する崇高な芸術活動へと昇華されたのだ。

そして僕の最高傑作が完成するその日まで、僕の演奏は終わらない。

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鈍足人形と毒草師の僕、勇者パーティを追放されたので、大迷宮の主になって世界をじわじわ蝕むことにした 龍月みぃ @ryuugetumii

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