一話限りの物語

魁秋(さきがけ あき)

裏切られた人

 拘置所で、一人の少年は取り調べを受けている。

 石車商店街殺人事件の容疑者・宮本龍。凶器は刃渡り23センチのナイフ。動機は不明。商店街で買い物を楽しんでいた六十八歳の女性を襲い、その後刃物を振り回し暴れていたところを警官によって取り押さえられた。余波により、一人の男性が重傷を負う。

「君、一体何でこんなことしたの? まだ学生でしょ?」

 嫌味のような口調で中年の警官は龍に問う。

 龍は、何事にも屈しない覚悟で口を一文字に閉ざす。

 見た目こそ怖いが、龍は周りからの評判は悪くない。むしろいい方だ。

 母は言っていた。

「あの子がそんなことをするはずがありません。きっと、何かの間違いです」

 校長は言っていた。

「彼はとても優秀な模範生徒でしたよ。度々注意することはあっても、彼はどちらかと言うと注意する側でした」

 仲の良い友達は言っていた。

「彼は、いじめられていた僕を助けました。あの人は困った人が居たら助けずにはいられない性分なんですよ」

 皆は言っていた。

「彼が、そんなことをするはずがない」と。


 これは、今朝の出来事だった。地方のテレビ局は常に情報に喘いでいて、どんなに些細な問題だろうと、ネタになるならとハイエナ状態でアンテナを張る。そんな彼らが求めているのは公平さではなく、いかに視聴者が見てくれるかだ。

犯人はまさかの高校生。

「先日の朝方に置きました石車商店街殺人事件で、詳細な情報が入って来ました。犯人は高校二年生の男子生徒とのことで、なんとも衝撃的なことなんですけれども、一体なぜ彼が犯行に及んでしまったのか、我々は独自に真実を調査しました」

 アナウンサーの一言の後、VTRが流れる。

 初めに、彼の父。

「あいつは言う事を聞かなかった。ある日何も相談せずに髪を染めてきて、びっくりした。いくら問い詰めても、黙って自分の部屋に行ってしまった。こんなことをさせてしまった我々にも非はあるが、しっかりと償って欲しい」

 次に教頭。

「何度も問題ばかりを引き起こす厄介な生徒でしたよ。私がなんべんも説教しても、まるで聞く耳を持っていない。そんな彼は、いつしかこんなことをしでかすのではないかと毎日ひやひやしましたよ。こうやって実際に起こってしまって、各方面には本当に申し訳ない」

 そして、クラスの人気者。

「あいつ、俺らが楽しく盛り上がっていたときに、急に割り込んできて邪魔してきたんですよ。皆びっくりしましたよ。おかげで雰囲気下がってひどかったですよ。そんなことを毎日してきたから、どっかで同じことすんじゃねえかって思いましたよ」

 最後に、アナウンサー。

「皆さん、やはり口を揃えて『彼ならやりかねない』と言っていました。やはり、日頃からの行いが悪かったのでしょう。次は、その犯行の手口です」VTRは次に移る。

 たかだか数時間あるうちの数分でしかない。しかしそれでも、悪名を広げるのには十分な時間だった。


 もう、地元では彼のことを知らない人はいない。彼はれっきとした有名人になった。老婆を殺した、残虐な殺人犯という称号を抱えて。

 この事実を龍が知ったのは後からだった。

「君はもう、この町では有名な殺人犯なんだ。もう、その事実から逃れられることは出来ないぞ」

 警官の言葉は、龍には響かない。

 龍は、後悔をしている。

 事件に巻き込まれた後悔ではない。人を殺してしまった後悔をしている。

 彼が老婆を刺殺した犯人を見たとき、咄嗟に犯人が持つナイフを取ろうともみ合いになった。必死にもみ合った拍子でお互い掴んだまま倒れたとき、運悪く犯人の腹にナイフが突き刺さってしまった。その後、安全の為にナイフを取り、牽制した。だけど、犯人はそこから動き出すことは無かった。

 赤い水溜まりを形成していく犯人を眺めていたら、気付けば彼は空を仰いでいた。青い服をまとった大人に取り押さえられながら。

 そして今に至る。

 取り調べを受ける龍の心の支えは、仲の良かった母と憧れていた人だけであった。

 龍が幼い頃、いかつい顔つきのせいか、彼は周りから避けられていてしまった。

 そんな彼を庇い、弟のように接してくれた男がいた。

 その男はまだ高校生ほどで、金髪の少しオラついた雰囲気がある。

 喧嘩上等な風貌をしてはいるものの、龍はその男が喧嘩をした話を聞いたことはない。

 龍がその男を憧れたのは、何も助けられたからじゃない。

 ある時、男は今の龍と同じように、青い服の大人に取り囲まれたことがある。

 原因こそ分からなかったが、龍には確信があった。

 男が、そんなことをするはずがないと。警察の世話になるような男ではないと。

 龍は男を慕っていた。いや、それ以上に、どこか狂気じみた尊敬まで持っていた。

 それ以来龍は男を見なかったが、その男のことは忘れることができず、あの人の分まで生きようと、高校生になったとたんに金髪に染めてしまったのだ。

 男のことを知っていた母は驚きこそしたものの、彼のことを受け入れた。だが、父はどうにも受け入れられなかった。

 メンツをとにかく重要視する父は、例え家族だろうと不備があればキツイ「躾」を施した。その証もいじめられた原因の一つだろう。

 そのため、彼の中には不満があった。

 父への反抗。世への怒り。

 その全てが、あの男によって抑えられ、人を助ける動機へと変えてくれたのだ。

 彼がやったように、龍も施す。それが、龍にとっての哲学だった。


 口を割らぬまま、早数日。

 状況はよくも悪くも進んでいない。永遠に膠着しているだけだった。

 今日も相も変わらず、疲れ切った中年警官は龍の前に行き、取り調べをする。

「君もなかなか強情だね~。正直、我々もこんなことしたくないんだよ」

 優しい口調には、隠れた恨みがあった。

 自分がやっていないという正義と、他人を殺したという後悔が混ざり合い、首を縦にも横にも振れぬ龍は、今日もただ冷たい机を眺めるだけだった。

 俯く龍を見て溜息をつく警官。こんな日々を過ごした彼らに、一つの情報がドアを超えてやってくる。

「先輩、少しいいですか」

 若手の警察官は中年を呼び出し、少し席を外す。

 扉の外で少し会話を交わした後、龍の元に戻りこう告げる。

「お前の裁判が確定した。お前は『起訴』になった。もう、観念するしかないな」

 電球が、バチバチと鳴り響く。


 日本において、刑事訴訟は起訴されてしまえば99%有罪となってしまう。しかし、未来ある若者が右も左も分からぬだけで人生を断たされてしまうというのは何とも酷なことだ。そこで、軌道修正を兼ねて彼らには「少年法」という最終フィルターがある。だが、それも「人として」踏み外していない過ちだけである。

 龍のように殺人を犯してしまえば、少年法によって守られることも無く、成人と同じように裁判を受け判決を受けることになる。

 一人殺しただけでも相当厳しい見極めが必要になるが、龍は殺人一人に加え、暴行一人。酌量の余地なしと判断されるのは、難しい話ではない。


 護送車によって、龍は慣れ親しんだ景色を見回る。

 自分の通う高校、男と出会った公園。そして、十七年過ごした家。

 どうやら、母が家を出た直後のようだった。疲れ切った顔をした母と龍は、目が合う。

 別れも言えぬままこうなっていることを、龍は深く後悔している。しかし、それ以上に彼の心を突き落とすことが起こる。

 龍を見た途端、母は目を逸らす。

 一瞬、世界が止まった。

 音は消え、気温も無くなった。ただただ、母が自分の目から逃れようと必死になる姿は、龍にとっては永遠とも感じられる時間だった。

 ぱき、と小さな音が鳴る。

 母に釘付けにされたまま、護送車は龍の家を横切る。母は未だ目を逸らしたままだ。

 龍の世界が動いたのは、病院を通り過ぎようとした時だった。

 彼を、唯一現実へと繋ぎとめる存在がいた。

 派手な金髪に、高圧的な姿勢。ズボンのポケットに手を忍ばせ、背中を丸くして、怪訝そうな顔立ちで辺りを見渡す。その姿に、龍は見覚えがある。

 あれは、老婆を殺した犯人だ。

 龍と容姿がそっくりな、真犯人。

 彼は、生きている。

 自分は、殺してなんかいない。その事実に彼は胸をなでおろす。

 しかし、そうなれば龍にはもう罪なんか一つもない。

 このままいけば、龍は有罪を受ける。

 いくら傷が癒えていたとしても、一人傷つけた事実は癒えない。

 事の真相を伝えなければ、龍は濡れ衣を着せられてしまう。

 急いで龍は真実を告げようとする。

 だが、遅すぎた。

 護送車の中では当然龍の言い分など聞き入れるはずどころか、喋らせることも許さなかった。

 焦りを覚えたまま、護送車は裁判所へと向かう。


 あれから、一瞬だった。

 裁判が始まったとたんに被告人が犯人は別にいると告げれば、周りが罪から逃れようとしていると捉われてしまうのは無理もない。

 弁護士でさえ、龍の行いには困っていた。今更そんなことしたって意味がないことも、龍は理解していた。

 それでも、龍は止めなかった。

 ここまで黙ってきてしまったからこうなったのだ。何か喋っていれば、きっと何かは変わるだろう。そんなことを、龍は本当に信じていた。

 そんなこと、起こるはずがないのに。

当然有罪を受け、彼は刑務所へ送られた。

十五年。殺人を犯していない純粋無垢な高校生は、これからそんな日常を刑務所で過ごさねばならないのだ。


休憩時間、休憩室にニュースが流れる。

石車商店街殺人事件の生存者へのインタビューだそうだ。そこには龍とよく似たあの金髪の輩が映っている。

インタビュアーの質問に、輩は答える。

「本当恐怖そのものでしたよ。自分が体張って止めてなかったら危なかったすよ」

 終始ちゃらちゃらした様子で輩は笑いながら受け答えする。

 そんな姿に、龍は激怒する。

 あんな奴のせいで、俺は十五年も無駄にしなければいけないのかと。

 その思いが、龍の怒りを増幅させる。

 怒りに震えながら、龍は誓う。

「絶対、アイツを懲らしめる」

 拳を強く握りしめ、そう漏らす。

 今、龍は復讐と同時に、この箱からの脱出を決意する。

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一話限りの物語 魁秋(さきがけ あき) @sakigake-autumn

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