ネクタイピン

ぽにこ

1話完結

 娘が結婚する。


 相手は、同じ会社の工場で働く今どきの若者で、娘のお腹には新しい命が宿っているらしい。


 別に、相手の男が気に入らないわけではない。

 いや、気に入らない。気に入るわけが無い。


  


 私には娘が二人いて、上の子はキャリアウーマンとして独り身のままバリバリ働いている。三十代に入り、婚期を逃さないかと心配もしている。結婚する下の子も、大学を卒業して、中小企業の事務職として働いている。二十代後半に入り、彼氏ができたと女房に聞いてはいたが、実際に結婚の話となると、ただ、何も考えられなかった。


  


 あれよあれよという間に、娘の出産予定日が近づいてきた。娘は会社を辞めず、産休を取って、家に戻ってきていた。娘婿も二日に一回は様子を見に来る。


 彼らは結婚式はせず、ウェディングドレスとタキシードで写真を撮った。式ではないが、純白のドレスを身に纏った娘の姿を目の当たりにすると、感慨深いものがあった。


  


 相手の男は娘よりいくつか年下だった。初めの印象は、今どきの若者で掴みどころの無いような雰囲気だった。

 こんな男に、そう思った。

 必要以上に話しかけてくることも無く、結婚前に妊娠させたことも、特に詫びる事も無かった。


 彼は工業高校を卒業してすぐ、娘の勤める会社に入社し、工場で働きだしたらしい。勤続年数は娘と同じぐらいだ。


 父親として、ただなんとなくではあるが、娘は高学歴で、しっかり話のできる、少し年上の男と結婚する、と勝手に思っていた。


  


「俺は、大学行って就職難で就職できなくなるより、高卒で会社入ってスキルを上げていけば良いと思ったんで進学しませんでした。」


  


 彼の言い分は間違っていない。しっかりと話もできている。大体、学歴だけで内容の無い男より、この男のほうがよっぽど良いではないか。

 半分言い聞かせるように、自分へ語りかけた。


  


 真夏の暑い日、娘は男の子の母親になった。孫はとてもかわいい。孫はまだ生まれたばかりだというのにしっかりと目を開き、なんだか頼もしさを感じた。娘たちが生まれた時は、護っていかなければという気持ちでいっぱいだったと思う。性別だけでこうも違うのか、子と孫との違いか。


 娘婿は目に涙を浮かべ、娘に「ありがとう」と声をかけていた。妊娠してからの結婚だったからか、本当に愛し合っているのかと疑いの気持ちも多少あった。だが、その光景を見て、少しは気が楽になった。


  


 孫が生まれた二ヶ月後、私は定年を迎え、会社を退職した。嘱託社員として働く選択肢もあったが、営業職と管理職として、38年働いた人生に区切りをつけたいと、会社には申し出た。


 出社最後の日、同僚たちが開いてくれた送別会に参加し、家に着いたのは深夜零時を回っていた。


 家に着くと、まだ電気がついていた。女房が待っていてくれたのか。送別会で贈られた花束を手に、玄関のドアを開けると、男物の靴があった。


  


「お父さん、お疲れ様!」


  


 女房、次女。そして、次女の娘婿がいた。

 驚いた。


  


「明日、会社じゃないのか。」



「会社ありますけど、挨拶に来たくて。だって、定年まで働くってすごいじゃないですか。俺にはまだ、定年なんて途方も無いので。お疲れ様でした。」


 私は素直に「ありがとう」と言わなければと思いながら、「ああ。」とだけ言った。


 次の日の仕事に障るから早く帰りなさい、と娘たちを帰らせ、女房と二人きりになった。



「お茶漬けでも食べる?」



 女房の一言に「ああ。」と頷き、テレビをつける。今日起きた事件や事故のニュースをぼうぅっと見つめる。



「あの子、いい子よね。あなたが今日、出社最後の日って知ったら、挨拶しに行きたいって自分から言い出したんですって。」



「こんな時間まで待って無くても良いだろう。」



「素直じゃないんだから。」


  


 私は素直ではない。だからなのか、あの素直な若者が気に入らないのかもしれない。


 あの娘婿は、娘のことを嫁として友人に自慢し、かわいいとか、きれいだとかいう言葉を常日頃から娘に言っているらしい。最近の若者は欧米化されているのか。娘は幸せそうだ。そんな娘をうらやましいと、女房は言っていた。


  


 春。孫はもうすぐ一歳になる。次女は育児休業を終え、復職する予定だ。日中の孫の面倒を、私たち夫婦が見ることになった。

 私は準備として、アルバイトを土日メインのシフトに変えたり、イクジイ(育児のできる爺さん)養成セミナーに参加したりと、「今どき」の爺さんにステップアップしていた。今思えば、娘婿に刺激を受けたのかもしれない。


 娘婿はこの春から昇進し、工場長として活動するらしい。社外のセミナーや会合などに参加することがあるらしく、今まで着る機会のなかったスーツが必要だという話を聞いたため、スーツを作ってやることにした。


 娘と娘婿の三人で紳士服店へ出かけ、二着ほど見立てて買ってやった。



「さすが、長年スーツで戦ってきたって感じっすね。」



 昔なら、この軽い言い方がいちいち癇に障っていたが、今は特に感じなくなった。


 彼は身長が高く、手足が長い。顔も悪くない。スーツ姿は私の現役時代より、様になっている気がした。だが、言わないでおく。


  


 家に帰り、ネクタイピンを二つ、彼に渡した。昨日の夜、磨いておいた。

  


「私が使っていたものだが、良かったら使ってくれ。」

  


「え、いいんすか。」

  


 彼は少し戸惑い、うれしそうに言った。


  


「ありがとうございます。大切にします。」


  


 その時、私と娘婿は、父と息子になったような気がした。女房と娘がうれしそうにこちらを見ていたことは、後から知った。

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