006勇者はその後に異世界転生!!
矢久勝基@修行中。百篇予定
006勇者はその後に異世界転生!!
俺は天をも貫くその塔のてっぺんで、聖剣『ウィンドシャンデル』を高々と突き上げる。
ついにやった。俺はついに……今まで誰にも成し遂げられなかった偉業を成し遂げたのだ。
さすがの俺も、俺自身に言ってやりたい。おめでとう。本当の奇跡がこの瞬間……、俺を包んでいた。
俺の今立っているこの場所は、『ザ・タワー・オブ・リピス』……まぁ平たく言えば『リピスの塔』と呼ばれる塔の最上階である。
元々は女神リピスの居所と言われる聖域であったが、ダルマゴスという悪魔が塔を占拠してから、塔は魔境となった。
どれほどの階層であるかも分からない巨大なレンガの建造物からは呪いの霧が立ち込め、汚染された者はまるで死人のようになって、操られるように塔へと向かってゆく。そして、ひとたび塔に入った者は、二度と戻ってくることはない……。
そういう状態が、もう長いこと続いていたそうだ。
……まぁここまで言えば、その後の展開も分かろうもんだと思う。数えきれない戦士が塔へと挑戦した。しかし一人残らず塔に飲まれていった。
だが俺は違う。これまで挑戦してきた戦士たちがどの程度の実力を備えていたかは知らないが、俺はそこらの戦士とは格が違っていた。
なにせ俺はこれまでに、
・竜王バーゴン
・棋聖フライ
・王位スクナイ
・王座のオウショー
・ユウ棋王
・オオサカ王将
・タカハシ名人
・叡王エイエイオー
を下し、八冠を成し遂げていたのだ。魔王ダルマゴスですら、俺の聖剣を打ち砕くことはできなかった。
それで九冠。名実ともに、誰も果たしたことのない偉業であり、これで世界のすべての悪を駆逐したことになる。
塔の上ではエンディングが用意されていた。アレだ。荘厳な音楽とスタッフロールが流れるアレである。俺の目の前に封印されていた女神リピスが降臨し、礼とねぎらいの言葉をかけてくれる。
最近の奴らはスレてるから、そういう神の感謝にもあまりありがたみを感じないようだが、俺はそこらの戦士とは格が違っている。女神様に恭しく頭を下げ、地域に平和が訪れたことを芯から喜んだ。
やがてエンディングの演出がクライマックスを迎える。誰に見られているわけでもないが、それで構わない。討伐の余韻を味わいながら、盛り上がっていく音楽をかみしめて、スタッフロールを胸に刻んでいく感慨深さを隠しきれずに涙ぐむ。
もう俺がこの聖剣を振ることもない。世界の悪はすべて駆逐されたのだから……。
……達成感に満たされて……俺はいつまでも塔屋の最上階で呆然とその光景を眺めていた。
しかし、終わらないものなどは存在しない。やがて音楽はフィナーレを迎え、スタッフロールも尽きて……
リピス様と二人きりとなった状態で、静寂が辺りを包み込む。
「本当に、よくやってくれましたね。礼を言います」
女神の声は、まるで静かなピアノの旋律が耳に触れるが如きであった。
「貴方がいてこそ、この世界に未来が生まれたと言っても過言ではありません」
「いえいえ。天がたまたま俺にその役目を授けたのでしょう。きっと俺がいなかったら俺ではない誰かがこの偉業を成し遂げたはずです」
リピスは、微笑んだ。もうそれだけで世界中にあるすべての祝福を授かったと思えるほどに美しい。
「この慎ましき勇者に栄光を……」
そして彼女はまばゆい程の光に包まれる。それは塔を覆っていた暗雲をすべて打ち消して、この地域にに青空と平穏を取り戻していく。屋上はまるで太陽が今まさに誕生したかのように輝き、足元の塔をも消し去ってどこまでも遠くまでを照らす奇跡となった。
俺は……というと、その光の中にいる。なんだ。浮いているのか?
真っ白の空間。光り輝いている無の空間にいて、それでいてまぶしくない。立っている感覚はあるが床はない。
目の前にはリピスが立っていて、変わらず俺に微笑みをくれていた。
「おつかれさまでした。ここまでです」
「え、なにがだ?」
「視聴者様たちが見ているシーンは、です」
「……?」
「まぁこっちの話です。本当は貴方のことも地上にお返しするんですけどね」
……なんだか、急にただの人っぽくなったリピス。いやいや、相変わらず姿は女神であり、白のワンピースに白く巨大な白鳥の羽。次縹(つぎはなだ)と表すべき青の髪が風もないのにさらさらとせせらいでいる様子は人間のそれではないが、
「九冠はすごいなって思って、ちょっとおひきとめしてしまいました。ぶっちゃけ九冠はわたくしも驚きです」
……なんというか、俗っぽい。
「なんか急にざっくばらんな感じになったが……?」
「いやもう、エンディング後でオフレコなので、肩張ることもないでしょう」
「何を言ってるのかよく分からないのだが」
「分からなくても大丈夫です。わたくしのサービスタイムだと思っていただければ」
「サービスタイム……」
「九冠を果たしたのは貴方が初めてです。開発者も冥利に尽きているでしょうね」
「何を言ってるのかよく分からないのだが」
「分からなくても大丈夫ですよ」
リピスが微笑めば、やはり女神そのままだ。
「貴方の役目は終わりました。そしてわたくしの役目もね。というか、わたくしの役目なんてダルマゴスが倒されてから再び地上に太陽の光を届けるだけなんですけど」
「まるでお芝居の俳優みたいなセリフだな……」
「そうですね。お芝居でいえばちょい役です。ギャラだけじゃ生きていけないくらいのお給料しかもらえない、その他大勢みたいなものですよ。……でも、です」
彼女は身を乗り出すように、調子を上げた。
「わたくしは本当に神なのです。たまには神の力を他のことに使うわがままをしてもいいんじゃないかと、最近週刊誌をめくってて思ったのです」
「週刊誌?」
「週刊少年マンデーです」
「漫画じゃないか……」
「そりゃ、日経新聞読んでても『神の力を使ってもいいかな?』とかは思いませんよ。物価高とか中国がレアアース規制したせいで車の生産が大打撃みたいなことしか書いてないんですから」
「何を言ってるかよく分からないのだが」
「分からなくても大丈夫です。わたくしが勝手に貴方を選んだだけですから」
「選んだ?」
話が呑み込めない俺に、リピスは再び絶世の美貌を蓄えた笑顔をくれた。
「おめでとうございます。わたくしは、貴方に神の力を使うことに決めました」
「神の力とは……?」
おそるおそるの俺に、リピスは楽しそうだ。
「わたくしにできることを、どんなことでも一つ、して差し上げます」
「本当か……」
「ええ、視聴者様にはオフレコですよ?」
「視聴者って誰だ」
「分からなくても大丈夫です」
俺はよく分からないまでも相槌を打って流した。それどころではない。神の力。そんなものを利用できることなんて、考えたこともないのだ。
「何ができるんだ」
「そりゃ、神ですから。神にできることなら何でもできます」
そりゃそうだろ……というツッコミをぐっとこらえて、思案する。
神にできること、と言われたら、できないことなどない気もする……が。
とはいえ願いは一つだ。こんなことは二度とない。慎重に考えなければ三度生き返っても後悔するだろう。
「どんなことができるのか、想像もつきませんか」
「そんなことを言う神には、会ったことがないからな」
「ふふ……では、例を挙げますと」
リピスの笑顔の質がやや変わる。微笑んでた先ほどよりもあどけなさが表れ、かわいらしい雰囲気となった。
「わたくしと、ゆうえんちに遊びに行けます」
「え?」
「わたくし、手料理も作れます」
「は?」
「キ……キス……とかも、特別に、いいですよ?」
「え、えっと……」
いろんな意味でまさかの例に、俺は唖然となる。
「神の力……?」
「はい。わたくしにできることの一例です!」
お、おう。それらは神でなくてもできそうだが……。
「もっとないのか。なにか、この世界の王になるとか」
すると、あからさまに残念そうにして、
「そんなことが望みなのですか……?」
「……」
そんなことって、人間にこれ以上の望みなどあるか。
「じゃあ不老不死とか?」
「不老不死なんてなってどうするのですか……」
「すごいことじゃないか」
「親が死んでも恋人が死んでも、国が滅んでも世界がなくなっても不老不死なんですよ……? 五千年後くらいに絶対後悔しますよ?」
「……」
迫力に押される俺。
「ちなみに、お願いの数を増やせっていうのは……」
「『バナナはおやつに含まれますか?』くらいベタなことを言わないでください。それは神の力ではないでしょう?」
「じゃあゆうえんちに遊びに行くってのは神の力なのか」
「だって、神と一緒に行くんですよ? 神の力を借りずに、どうやって行くんですか」
確かにその通りではある。が。
「神に『お願いの数を増やせ』と言ったら、それは神が実行するんだから神の力になるんじゃないのか?」
「それ願い自体は、わたくしの判断であり、わたくしの力を実行することにはなりません」
「手料理はあなたの判断で作るんじゃないのか」
「わたくしの手料理ですから、わたくしの力ですよね?」
「キスは?」
聞けば顔を赤らめる女神。
「き……キスだって、わ、わたくしとするじゃないですか……。……あまり恥ずかしいことを言うと首絞めますよ?」
なんだか、興味津々だけどちょっと怖い……みたいな、男女の別に目覚めた思春期の少女を見るような。まぁ、神だからそっち側の経験は疎いのかもしれない。ちょっとかわいい。
リピスとの押し問答が続く。
「わたくし、水族館とかも行ってみたいなぁ……」
もはや願望を吐露してるだけになってる女神。いや確かにこの女神の美しさは人智を超えている。なんなら聞いてみたくもなる。
「俺と一生を添い遂げてくれと言ったらどうだ?」
「おっけーでーーす」
「マジか!!」
まさかの即答にビビる。
「人間の生活してみたいですし!!」
「……」
しかし、これではどちらかというと、俺が女神の願いを聞いてるようにも思える。
それを割り引いても魅力的な候補ではあるのだが、俺はその時、ふとした思い付きを口にしていた。
「異世界へ転生したい」
「え……?」
「もちろん、異世界とやらがあるんならな」
「異世界に……転生したいんですか……?」
女神は呆気に取られている。きょとんと目をしばたたせ、
「え、それって……わたくしとキスするより魅力的ですか?」
「あなたはそんなにキスがしたいのか」
「え、え、え……そんなはしたないこと……言わないでください。殺しますよ?」
あなたが言ったんじゃないか……と思いつつ、自重する。
「とにかく異世界に行きたい。それはさすがの神でも無理な願いだろうか」
「いや、できますけど……」
できるのか。いや、できるのか以前に、異世界というものが存在していて、さらに彼女はそのことを知っていることになる。
「そりゃ、神ですから……」
「心を読まないでくれ」
「それより、なぜ異世界などに行きたいのですか?」
「うん……」
思い付きではあったが、もし本当に異世界というものがあるのなら、俺には思いがある。
「この世界は、平和になった。もう俺がこの聖剣を振るって命冥加な戦いに赴く機会もないだろう。……だが俺は戦いしか能のない男だ。世の中が平和になったってことは、俺の居場所がなくなったってことでもある」
「……」
「いや、そんな顔をするなよ。平和なら平和で、新しい生き方を探すのも一興ではある」
「ゆうえんちにもいけますよ!」
……この女神はよほどゆうえんちに行きたいらしい。
「それもいいんだがね。だが異世界とやらで俺の聖剣が役に立つのなら……それ以上の喜びはない」
「そうですか……ゆうえんち……」
心底残念そうな顔をして、女神らしい涼やかな表情に戻るリピス。
「きっと後悔しますよ……?」
「それが一番俺らしい生き方である気がするんだ」
「わたくしよりも転生を選ぶことにも、後悔はありませんね?」
この女神はどんだけ自分アピールをしてくるつもりなんだ。まさか俺のことが好きなのか。
「後悔すると言ったら……?」
「あ、じゃあゆうえんち行きます?」
ぱっと顔を明るくする女神。俺は苦笑いだ。
「どうしてもというのなら、ゆうえんち行ってから異世界に飛ばしてくれてもいいぞ」
「神の力はみだりに使うものではありません。一つだけですよ」
「……」
あなたが望んでいるんだろ、とツッコみたくなる。
「ただ、ゆうえんちという選択肢はやはりおすすめです」
「……もういい。大丈夫だ。とりあえず異世界転生で頼む」
「どうしてもですね?」
「どうしてもだ」
「分かりました……少々お待ちいただけますか」
リピスが微々、身体を浮かし、目をつむる。両手を広げて風を纏えば、ただでさえ神々しい姿がなお神秘を帯びた。
「貴方は一度、死ぬことになります。……そうですね。ダルマゴスと刺し違えたことにいたしましょう。九冠の称号を失うことになりますが、よろしいですか……?」
「いいよ。異世界ではその称号は何の価値もあるまい」
「意志は固いようですね。……貴方が向かう異世界はチキュウという名のようです」
「チキュウか……」
「この世界と同じく豊かな生態系が大地に根差しています。魔法という概念はありませんが、火薬を使った武器が世界を壊滅させるほどの規模で存在しており、それらが各地の紛争を悲劇的なものにしています」
「面白そうだ」
「音よりも速い武器が空を飛び交い、鋼鉄の塊が馬よりも速い速度で戦場を駆けています」
「それはすごい」
「貴方はその世界の、ミジンコとして転生いたします」
「うむ」
うなずいて、追いついてきた意味に、耳を疑った。
「……は?」
「ミジンコですね。ご存じありませんか?」
「いや、知ってるよ! え、だけど……ミジンコって……?」
「ご存じありませんか?」
「ミジンコのことを聞いてるんじゃない!」
「先ほどおっしゃってましたよね。後悔はないと」
「いやいやいやいやいやいやいや! 何を言ってるのかよく分からないのだが!!」
俺は激しく抗議する。
「人間に生まれること前提だから後悔はないんだよ!」
「そう言われましても……そもそもこの世界でも、ヒトの来世は必ずヒトとは限らないのです」
「ミジンコでどう聖剣を振るうんだよ!!」
「ご心配なく。転生の際に持ち物を転送することはできません。その聖剣は破棄されます」
「あぁそれは分かっていた。しかし現地で調達すればいいとも思っていたよ……って、そういう問題じゃない!」
「手間が省けましたね。ミジンコでは聖剣は持てませんし」
「いやいやいやいやいや、ミジンコでどうやって悪と戦うってんだ」
「戦わなくてもよいのです。ミジンコですから」
「俺は新たな戦いを求めて転生を希望してるんだよ!」
「ある意味毎日が戦いとも言えます。メダカとか、常に大口開けて追いかけてきますから」
というか、明らかに悪意を感じる。ここは断固抗議すべき場面であった。
「いくらゆうえんちを断ったからって、ミジンコにするなんてあんまりだろ!」
「ゆうえんちは関係ありません!」
「嘘を吐くな! 『ようやく自由の身になれたのに、コノヒト誘ってくれなくて憎たらしい』みたいな顔をしてるじゃないか!」
「してません!」
「『キスもしてみたいのにー』みたいな顔じゃないか!!」
「し、してません! そんな顔、断じてし……してませんっっ!!」
キスでいちいち顔を赤らめるカマトト神リピス。しかし、今はそんなところを慮ってる場合ではない。
「だから、意地悪しないで人間として転生させてほしい! ミジンコに転生なんて不幸を負うために転生したいんじゃないんだ!」
「ミジンコが不幸かは分からないじゃないですか。ひょっとしたらそのミジンコの家系はロイヤルファミリー(王族)かもしれないじゃないですか!」
「ロイヤルでもロワイヤルでもミジンコはミジンコだろ!」
「まぁ!」
女神が呆れる。
「それ、ミジンコの前でも言えますか!? 生命としてのミジンコを人間より下に見るのは傲慢だと思います!」
「い、いや、そういうことではなく……」
「歌にもあるじゃありませんか! 『ミミズだって オケラだって アメンボだって みんなみんな生きているんだ友達なんだ~♪』って!」
「ミジンコいないじゃないか!」
「あらホントですね……」
「そもそも生きていれば友達なのなら、争いなんて起きないんだよ!」
「そんなことないです! 友達だって喧嘩はします!!」
「俺は少なくともミジンコと喧嘩したことなどはない!」
「ミジンコと喧嘩した経験と、ミジンコに転生することは別問題です!!」
何となく不毛な戦いをしていることを女神は感じ取ったのだろう。「とにかく、です」と話をぶった切る。
「ミジンコでも転生は転生です。本来なら異世界に転生することも不可能なのに、わがままを言われても困ります」
誰か教えてくれ。これはわがままになるのだろうか。……という、思わず浮かんだ心の叫びもリピスは拾う。
「よくいるんですよ。転生は珍しいですけど、たまに過去に転移してみたいとかいう相談を受けるんです」
どこでだよ……。
「ちなみに石器時代とかはあまり人気ではなく、中世とかが人気スポットになっています」
観光地かよ……。
「転移だと、人間を人間と確定してお送りすることはできるんです。だからなのか知らないですけど、皆様やたら、転移先は王族だったり貴族だったり騎士団長だったり悪役令嬢だったりと、支配者階級を期待しています」
でも考えてもみてください! とヒートアップしていく女神。
「そんな人たちは中世と言えど一握りなのです。あとの9.9割が一般人で、そのうち半分以上が下層民なわけで、特権階級なんてそうそうなれるはずがないんです。というか、現在でも一握りにいないのに、過去に戻ればワンチャンとか思う時点で人生舐めてるんですよ!」
毒吐いてきたぞこの女神……。
「世界人口が1000万人なら、1000万面体のサイコロ振ってみろっていうんです! 5以下が当りとして、どれくらいの格率で出ると思ってんのかしら……!」
「……」
「そういうのを神にケチつけられても困るんですよ。……ちなみに転生の方はそれがさらにすべての生命体が対象になるんです。貴方の転生されるチキュウという世界の生命の総数を計算すると……」
女神は空を見上げ、両手の指を折っては戻し、数え始めた。その指、すごい速い。ものすっごい速い。
やがて、
「1042澗0043溝3246穣4295秭8025垓0120京4444兆4441億1911万0636千9524つもあるんですよ!?」
なにーーーーー!!!
「てか今のを指十本で数えたのか!!」
「そりゃ、神ですから」
「途中ドモホルンみたいな数字も含まれていたぞ!!」
「しかたないんです。ミドリムシとか寄生虫とかも全部含めましたから」
「……」
「ただ、アメーバとかプラナリアとかがどんどん増殖してて、億から下は概算ではあります。……というか、そんな話はどうでもいいんです。この中で人間とされるものはたった80億程度しかいません。貴方はさっきの数の面を持つサイコロを振って、80億以下を、当然のように出すつもりでいたのですか?」
「そういうことは先に教えてくれ!!」
「まぁ!」
女神が再び呆れる。『ブルータスお前もか』みたいな顔をして言った。
「最近の人たちはみんなそうです。すべての説明責任は提供側にあると思ってる!」
彼女は胸に手を当てた。
「わたくし、とあるアイスの袋に書いてある注意書きを読んでさすがに呆れましたよ。『本製品は常温下では溶けますので、お早めにお召し上がりください』……って……。アイスが溶けることをこの説明書きの漢字が読めるような年齢の人間が知らないはずがないでしょう? それでもその説明を書いておかなかったことで溶かしたどっかの馬鹿からクレームが来たから、以後そのようなクレームがこないよう書いたのだと思われます。……でも実際、この注意書きは必要ですか?」
「……」
「わたくしは後悔しますよと総括しました。どのような後悔かを聞かなかったのは貴方のほうですよね? すべての説明責任は提供側にあるとするのは誤りで、最近は本当に自己責任という概念が希薄化しているように思います!」
「いや、それは説明してほしかった……」
「聞いてくれればもちろん言いました。ただ、女神であるわたくしが聞かれてもいないことを生保レディみたいに説明するのってどうかと思うんです!」
「……」
なんだかもう、二の句が継げない。とりあえず足掻いてみようとは思ったり。
「もう取り消しはできないのか……?」
すると、少し不憫そうな微笑を浮かべたリピスは、
「すでにあちらのブッダという神に、受け入れを受領していただきました。死ぬのは今でなくても構いませんが、今死んでも十年後に死んでも、貴方の来世はチキュウという世界のミジンコです」
「……」
「そんな顔をしないでください。案外楽しいかもしれませんよ。たまにはすべてを忘れてリフレッシュも必要です」
「死ぬまで忘れてしまうわ!!」
志を、だ。ミジンコの脳みそでは、かつて悪と立ち向かっていたことさえ忘れてしまうだろう。
まぁしかし、女神の話を聞くだに、なんだかどうでもよくなってきている自分もいる。
先ほど俺は九冠を成し遂げたことに関して「天がたまたま俺にその役目を授けたのでしょう」と言った。
そう。それはまさに気の遠くなるような確率で引き当てた自分自身の運だったのだ。
この世の転生や生まれ変わりのシステムが女神の言う通りであるのなら、その役目を次にもらえる可能性は、もともとゼロに等しい。
であるなら、九冠の勇者としての機会は、すでにエンディングを迎えていたということになる。転生して、人間だったとしても……。
「どうされます? 今死ぬなら死亡方法につじつまを合わせますが、残りの人生をひとまず英雄として生きていただいても問題はありません」
その問いに、俺は笑った。
「いいよ。エンディング後……なんだろう? 文字通り、俺のやることは済んだ。おとなしく自己責任とやらの運命を受け入れるよ」
「フフ、おとなしくわたくしとゆうえんちに行った方がよかったんじゃないですか?」
「きっとそうだっただろうな。一つ聞きたいが……」
「なんでしょう」
「次も九冠の勇者になれる人生を送るための生が得たいと言えば、あなたは叶えられたのか」
「難しいですね」女神は言った。
「それは世界が、九人の魔神に支配された状況でなければなりません。貴方一人の願いをかなえるために、世界のすべてを変える必要があるのだとすると、神の力をもってしてもなかなか……」
「なるほど……」
笑うしかない。やはり俺にとって、九冠はたった一度の奇跡だった。
だがしかし、それにじたばたとするのはやめよう。俺はそこらの戦士とは格が違うのだ。
「なににせよ、俺が聖剣を振るって邪心を打ち砕く人生は終わったようだ。生きてても死んでも……未来永劫、な」
急に潔くなった俺の表情をじっ……と、リピスは見据えていた。やがて、そのほっそりとした顎を、小さく横に振る。
「分かりませんよ?」
リピスは俺の手の届くところまで進み出ると、しわの存在しない右手で俺の頬に触れた。
「貴方はまた、英雄になるかもしれない……」
そして、囁くように言う。
「チキュウという世界には三人の大神がいたんですよ。ブッダ神、キリスト神、アラー神……だったかな……。その中でわたくしは、貴方のことを交渉する相手をブッダ神とすることを決めました。……なぜか分かりますか?」
「……」
「分からなくて大丈夫です。けど、説明しますね」
微笑む。その微笑みが染み渡る。
「……他の二大神には、生まれ変わりという概念が存在しませんでした。でもただ一人……ブッダ神には、輪廻転生という理念があったんです」
生とは修行であり、生きとし生けるものはこの世を修練場として幾度も生まれ変わり、その行を修めるために生命を全うする。死の最中もまた修行であり、生の際に起こした行を修正、調整しながら、また次の生を待つ。
「つまり、生命は何度も生まれ変わるということです。貴方はミジンコとなりますが、その次の生命はミジンコではないでしょう。もうこちらの世界に生まれ変わることはありませんが、その輪廻の中で、また貴方が人として生を受けることもあるのではないかと。……そう考えました。だからブッダ神を受け入れ先に選んだのです」
「はっ!」
俺は嘲笑じみた息を吐き出した。
「気が遠くなる話だ。次に人に生まれ変わる頃には世界はすでにカオスに飲み込まれてるかもしれないじゃないか」
それでも、リピスの微笑みは消えない。
「それを、なんとかするのが英雄というものでしょう? 貴方はそうやって九冠を成し遂げました」
「……」
「……わたくしは、遠い異世界の片隅から、そんな貴方を応援していますよ。……何千年でも、何万年でも……」
その表情は慈愛にあふれていた。とてもじゃないが、ゆうえんちに連れて行かないからミジンコにしてやるといった低俗な悪意を感じさせるものではない。
彼女は異世界転生という、俺の浅はかな願いにも、ある種の期待を込めてくれていた。俺の希望を……気が遠くなるほどの低確率を乗り越えて、再びその希望をかなえることのできる可能性を……その〝神の力〟に込めていたのだ。
「わかった……」
俺はその時、もう、わかった……というしかなかった。
<エンディング後のさらにエンディング後……(テロップ)>
彼はその後、死ぬたびにいろいろなものに生まれ変わった。
なにもかもを忘れ、引っこ抜かれて、集まって、飛ばされて、食べられて、誰にも愛されない人生を送りながら、それでも何度も何度も生まれ変わった。……挙句の西暦3128年初冬……。
彼は遂に、人類を奴隷化していた巨大演算機(マザーコンピューター)と八基の補助演算機(サポートAI)の計九機を完全に破壊し、この世に人間の世の中を取り戻すことに成功した。
彼の記憶には九冠もリピスもない。しかし、彼が高々と掲げた聖剣の名は『ウィンドシャンデル』。
……それは、彼自身が無意識に命名したものだった。
THE END....
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