#6 三度目の自殺

夕刻、日が沈んで間もない頃。

車内では海外ロックバンドの音楽が流れていた。小久保がタバコを吸い、西田は携帯をいじっている。かれこれ一時間ほど、通りの少ない小道に駐車して車内に留まっていた。

その間、小久保は昨日観た映画の話や、今流れている音楽の豆知識など、とりとめのない話をしていた。西田はそれらの雑談をはじめは聞いていたが、話があまりに長いため、携帯を開きながら適当に相槌を打っていた。

小久保はフロントガラスを通して見える建物を見つめながら口を動かす。

「さっきから人が出てきてもはずればっかり、そろそろ当たりが出ないですかね」

「どうだろうな」西田は携帯を見つめたまま空返事をした。彼は気にせず話を続ける。

「あ、そういえば僕、私用の携帯無くしちゃったみたいなんですよ」

ふーん、と西田は彼が何を言ったか聞き取れなかったが、適当に返事をした。

「まあ仕事用の携帯で間に合ってるんで、買いなおすか迷ってて、こっちにもチャッキーピッグをつけてみました!」

小久保が携帯を取り出すと、そこには大きなストラップがついていた。オーバーオールを着ている豚の人形で、手には包丁を持っていた。それを目の前に出されてやっと、西田は視線を浮かせて反応を示す。

「相変わらず悪趣味だな、お前の携帯は」

「ええ、可愛いじゃないですか。これ女子高生の間で流行ってるんですよ」

「いやぁ……わかんない」

西田は首を大きく傾げた。視線を携帯に戻そうとした時、西田は前屈みになる。

「小久保、前見ろ」

なんですか、と抜けた声で視線を向ける。今まで張り込んでいた建物の裏口から誰かが出てきた。その人物は当たりをキョロキョロ見回して、少し焦っている様子だった。

「お、やっとお出ましだ」小久保は音楽を止めて、ドアハンドルに手をかける。

「さてと……」

西田も同じようにドアハンドルに手をかけるとゆっくりと車のドアを開けた。


✳︎


まだ夕日が沈んでいない頃。

未央は気だるい体を起こして窓の外を見てため息をついた。彼女は病衣を着ており、腕には点滴がついている。

病室がノックされ、ゆっくりとドアが開いて大崎が顔を覗かせた。同じく病衣を着ており、未央に目をやると視線を泳がせたのち声をかけた。

「その……おはよう」

大崎の挨拶に未央は反応しない。窓から反射して大崎の姿が映っていたが、どちらの彼にも視線を向けることはしなかった。

二人の間に気まずい時間が流れる。

そこに有馬が早歩きで入ってくる。その表情には怒りが感じられたが、怒ることが少ないのだろうか、格好がついていない。

「藤野さん!あ、大崎さんもいたんですね。また運ばれてくるってどういうことですか!?私の話は聞いてなかったんですか?」

迫力が乏しい大声を張り上げる。彼の声など聞こえないように未央が口を開く。

「ねえ」彼女は俯いているが、その言葉が大崎に向けられていることはわかった。

「……なに」大崎が小さく返事をする。

「ねえ!」今度は強く、確かめるように投げかける。

「なんだよ」

「どういうこと?」

未央は顔を上げて大崎を見る。夕日に照らされた彼女の顔はやつれ声は憔悴していた。

「いや、なんだかね」

大崎は視線を外して、言葉を濁す。

有馬は両者を交互に見やるが、二人の怪訝な雰囲気に口を開いては閉じてを繰り返す。

「なんで?」彼女は何度も質問する。

「……なんでって、ねえ?」

「ねえじゃないよ。またここ、病院! 結局死ねなかったの!」

いつまでも濁す彼に、声を張り上げた。

「おう、そうだな」

大崎はそれに軽く身を震わせて返事する。

「そうだなでもないでしょ、私が決死の思いで薬飲んだのに、なんで!?」

「まさか、未央さんも不死身だったとは」

大崎が神妙な顔つきで言った。

「私は不死身じゃない! あんたが原因だよ!」すかさず未央が言い返す。

「なんでそう決めつけるんだよ」

「それしかないでしょ……私、睡眠薬六○錠も飲んだんだよ? なんで生きてるの私? 胃洗浄めっちゃ苦しかったよ!」

未央の口調はますます強くなる。それを映したように大崎も強い口調になっていく。

「俺だって苦しかったっての! こんなの毎回だからな!」

「はぁ!? そんなの知るかよバカ!」

「二人ともいい加減にしてくださいよ!」

二人の熱が強くなっていき、収拾がつかなくなりそうなタイミングで有馬が割り込んだ。大崎はバツが悪そうに頭をかいて黙り、未央は有馬を睨みつけた。

「なんですか、結局二人とも改心してないじゃないですか!」

大崎は両手を胸の前にあげて彼に取り繕おうとするが、未央がそれを遮った。

「先生、あなたがいると話がややこしくなるんです!一旦出ていってもらえますか?」

「そんなわけにいかないでしょう? 私は医者ですよ! 二人で何するかわからないのに、このままにしておけるわけ」

所々ひっくり返る声で反論する有馬に、未央は唸り声をあげて枕を投げつける。

「何するんですか!」

「出てってください! この人と二人きりで、話をさせてください!」

更に怒鳴りつけた後、彼をキッと睨んだ。有馬は彼女の勢いに気圧されて黙り込む。

「……一旦出ますけど、終わったら呼んでくださいね」

有馬は苦い顔をしながら病室を後にした。

扉が閉まると沈黙が流れる。二人とも視線はお互いとは逆方向の床を見つめている。少しして、未央が背筋を伸ばすと口を開いた。

「あのさ!」

「……なに」

「私やるよ、一人で」

「……は?」大崎が不意をつかれた様子で顔をあげる。

「何、文句あるの?」

大崎は目を見開き、首を小刻みに動かした。何度か言葉が詰まりつつ声をあげる。

「ふ、ふざけんなよ! 俺より先に死なないって約束、忘れたのかよ!」

「あんな約束無効だよ! 私は一緒に死んでくれるならいいって言ったんだよ? あんた全然死なないじゃんか!」

「……俺といるから未央さんも死なないってこと? 未央さんの不死身説は?」

「そんな説ないよ……この関係、終わりにしよう。出てって」

未央は大きくため息をついて、ベッドから立ち上がった。そのままベッドを区切るカーテンを閉めようとする。

「待てよ、待てって!」

大崎がカーテンを掴んでそれを止める。二人が逆方向に引っ張ってカーテンは斜めにしわを寄せて歪んだ。

「なに? 別にいいでしょ、私はもう二回もやりきってるんだから、大崎がいなくたってできるからね」

「なあ、頼む、ほんと」

突然声が弱々しくなり、未央の逸らしていた視線は彼に向く。大崎は今にも泣きそうな顔をしていた。出かけ先で親に置いてかれそうな子供のようだと未央は思った。

「……あんただって一人で死ねばいいじゃん。もう五○回もしてるんでしょ?」

大崎は下を向いたまま黙り込む。あまりに落ち込む彼を見て、未央は自分が非常に意地悪く感じた。その気持ちと裏腹に一向に話さない彼に対して「ねえ」と催促する。

「あぁ、そうだよ、そうだったけど」

「そうだったけど、なに?」

「もう俺……一人じゃ死ねないんだ」大崎は掠れたような声で言う。

未央は「今だって二人で死ねないではないか」と言い返そうとしたが、彼の憔悴しきった雰囲気からその言葉を喉元で押さえ込んだ。彼を見つめながら初めて出会った時にも、死ねないだの、死なないだのややこしい話をしていたことをふと思い出した。

「ごめんちょっと俺の話、聞いてほしい」

あまりに弱々しい彼をこれ以上突っぱねるのも気が引けた。未央は大きくため息をついて、掴んでいたカーテンから手を離した。大崎はありがとう、と言って話を続ける。

「前さ、なんでそんなに死にたがるのって聞いたでしょ?」

最初の自殺未遂をした後に未央がした質問だ。今でも彼が自殺する理由は気になっていた。なぜこうもうまくいかないのに、自分を終わらせることに執着するのだろうかと。

「俺、小四の頃、親が死んだんだ。交通事故で、両方とも」

未央が思わず「え」と声を漏らす。大崎はベッドの横にあるパイプ椅子を引き寄せて座り、両膝に肘を置き手を組んで話し始めた。

「旅行の帰りで、俺も一緒に乗ってたんだけどさ。反対車線のトラックがいきなり飛び出してきて、一気に真っ暗になって……目が覚めたら病院にいてさ、そこで死んだって……父さんも母さんも……死体、見せてくれなかったよ。そりゃそうだ。新聞に載ってた車、ぐちゃぐちゃだった。たぶん、二人も」

未央は視線を泳がせたのち伏せた。

大崎は居心地の悪そうにしている彼女をちらと見て、そのまま話を続ける。

「あの時は親が死んだとか全然実感が湧かなくて、病院で一日中ぼーっとしてたらさ、そしたら親戚のおじさんとおばさんが来て、俺を預かってくれるって。行くところもないからさ、そのまま着いてったんだよ。そしたらすげーよ。玄関に入った途端に顔引っ叩かれて、俺なんかしたのかと思ったらさ、おじさんが、めんどくせーもん押し付けやがって、死ねばよかったのに、って……いきなりだぜ? まあめんどくさいのはわかるけどさ、そりゃないだろ。それから毎日奴隷みたいにこき使われて、殴られたり、熱湯かけられたり、学校だってろくに行かせてくれなくなって、俺がなにしたんだよ? ……あの時死ななかったのがいけないのかって思って、最初に川に飛び込んだんだ。台風の時に」

大崎は深呼吸する。未央は下を向いたままだが、彼の方に視線を寄せていた。

「いや溺れるのって苦しいよ、あれはしない方がいい」

未央は体や視線を動かないまま、小さく「あぁ」と相槌をした。

「それで目が覚めたら土手の川沿いに倒れてて、死ねなかったよ。それから何回も自殺したんだけどさ、ほんっとに何回やっても死ねないの。不思議なくらい。こんなに死なないんだからもう諦めようと思ったこともあったよ。きっとこの先いいことが起こるって……でもないんだよ! 家族もいない、心が許せる友達もいない、仕事だっていくらやっても……駄目人間なのかもしれないけどさ、仕方ないんだって……俺、変われないわ」

大崎は今にも泣き出しそうな声で言う。未央は少し体を震わせ、拳を握りしめている。

「それで、思い切って線路に飛び降りたんだよ、みんなには迷惑だと思ったよ? でも俺そんな場合じゃなかったんだって」

「それで……全身複雑骨折……」未央は話の合点がいったように呟いた。それに大崎は呆れ混じりで反応する。

「傑作だよな。それで確信したよ。俺、死ねないんだなって。でも、それからさ、死ぬのが怖くなったんだ。電車にぶつかった瞬間の何かが軋む音がさ、それが耳から離れないんだよ。一人で死のうとするたびにあの音が響いてきて、駄目なんだ。怖くて、そしたらちょうどあの書き込み見つけて……もう一人じゃ死ねないんだよ、俺」

大崎は手を組んだまま前屈みになって固まった。少しして頭を上げると、未央の方を見て再度、懇願した表情をする。

「だから、あと一回でいい、俺と一緒に」

「なにそれ」

未央がぼそっと呟いた。小さくてもはっきりとした彼女の言葉に遮られ、大崎は「え」と声を漏らす。

「……重すぎるって、それ」。

話し過ぎてしまったと思い、大崎は咄嗟に謝罪する。彼女はそれに首を振って数秒沈黙したのち、ふーっと息を吐いて言った。

「なんか、私の死ぬ理由が馬鹿馬鹿しくなってない?」

大崎は一瞬眉を寄せたあと、彼女の苛立ちの理由を察する。「そんなことはない」と口にしようとしたが、彼女がそれを遮った。

「馬鹿馬鹿しくなってるんだよ! さっきまで死ぬ死ぬって言ってたのに、こんなことで死んでいいのかなって、一瞬よぎっちゃったんだよこっちは!」

未央は自分がまるで拗ねた子供のようだと思いながらも、沸々と湧いていた思いが弾けていく。

「こっちだってね、大崎が死ぬ理由が私の一○○倍あったとしても、私の死ぬ理由は私の死ぬ理由なんだから! 生きる理由がないとか、つまらないとか、そういうちっぽけな理由だってあんたには絶対負けないから」

「はあ?そんなとこで張り合わなくても」

「あと一回」

理不尽な感情に呆れて言い返そうとした大崎をさらに彼女が遮った。

「あと一回……一緒に死んであげるから」

大崎の目をしっかり見て、彼女は言った。その眉はまだ歪んだままでいるものの、彼を睨みつけているのではなく、真っ直ぐに見据えている。

大崎の言葉は行き先を失い、困惑してこわばっていた体の力が抜けていった。

未央は点滴を外しながら彼から視線を外すと、ベッド横のカーテンに手を掛ける。

「着替えるから、ちょっと待ってて」

「……ありがとう」大崎は声を震わせながら言った。

カーテンを閉めて少しすると、私服姿の彼女がカーテンを開けて出てきた。

「ほら、気が変わらないうちに行こう」

未央はスタスタと出口に歩いていく。心強く感じる小さな背中を大崎は追いかけた。

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彼より先に死なない 大野木 @ramie125

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