第三話 4

 思わず口にしてからしまったと思った。

 先さんも理由があって隠しているのだろう。

 それをむやみに暴くべきではない。

 思わず口ごもって青い顔をした私を見かねてか、先さんから話しかけてくる。


「面白いことを言いますね先輩。小説でも書いたらどうですか?」

 明らかにからかっている。

 その穏やかな口調に少しだけ安心した。


「いや小説は書いてますよ。先さんだって知ってるでしょう」

 おもわず言い返すと先さんはいつもの笑顔で「そうでした」と返してきた。


 いつも通りの雰囲気に少しだけ安心する。

 どうやらさっきの地雷の二の舞にはならずに済んだようだ。

 ただ口に出した言葉は元には戻らない。

 先さんはそれでとつぶやいた。


「私が何を隠しているっていうんですか?」

 その声は明らかに笑いを含んでいる。

 視線をこちらにまっすぐ合わせてきたので、思わず目をそらしそうになったけれど踏みとどまる。

 自分から言い出したことだ。

 先さんが解説を望むというのなら答えなければならないだろう。


「この暗号なんですけれど……、さすがに先さんでも解くのが早すぎます。

 先さんはぱっと見で思いつく人は思いつくといいましたけれど、確かにあのイラストから水素原子を連想すれば思いつくのかもしれないですけれど……。あそこまであっさりと思いつくことには違和感がありました」

 先さんはなるほどと頷いた。

「それで? じゃあどういう理由があって、私はあの暗号を解けたっていうの?」


 先さんの様子はいつも通りだ。

 後ろめたさも何も感じない。

 ただ事実を確認しようとしている私だけが動揺を隠せないのだ。

 緊張のせいか足先から血の気が引いているのを感じながら続けて言う。


「なので先さんはこのイラストを用いて暗号を解いたわけじゃないんじゃないかと思いました。そこで先さんひとつ確認させてください」

 そこで一度言葉を切る。

 つばを飲み込む。

 緊張がピークに達しているのを感じる。


「見当違いだったらすみません。さっき先さんは伯父さんに引き取られていると聞きました。その時に苗字も変わっているんじゃないでしょうか?

 ……つまり先さんの旧姓はさくらいだったんじゃないでしょうか?」


 固唾をのんで先さんを見つめる。

 その視線に動じることもなく、先さんはあっさりと頷いた。

 まるで何でもないことを認めるかのようなそんな首肯だった。

 思わずこちらの方が動揺してしまう。

 言葉を選び損ねているうちに先さんの方から聞いてきた。


「それでどこまで聞きたい?」

 覚悟を問われているのだろう。

 胸に手をあてて一度深呼吸。

 腹に力をこめて答える。

「先さんが言ってもいいと思っていることは全部聞きたいです」

「……そう」と先さんは頷くと話はじめた。


「ここまでの話の流れからわかっていると思うけど、私は昔この高校に通ってたんだよね。文芸部にも入ってた」

「大先輩じゃないですか」

「とはいってもほんの二か月くらいだよ。先輩というほどここになじみがあるわけじゃない。高校にも文芸部にもね」

「でもそれは……」


 本当に?

 何年も立ってから同じ高校にもう一度入学して、同じ部活動に入った。

 そこにどんな思いがあったのか私なんかでは計り知れない。

 ……どんな思いがあれば、一度諦めざるを得なかった道をもう一度歩き直そうと思えるのだろうか。


「で、その暗号を作った香坂ちゃんとは同級生だった。同級生といってもさっき言ったように二か月位の仲だったよ。

 まさかこんなメッセージを残しているだなんて本当に予想外だった」

 暗号を見たときの先さんの動揺は明らかだった。

 私はそれを手掛かりをつかんだためと解釈したのだけれど……、実際は自分宛てのメッセージだと直感したためだったのだろう。

 部誌のページを優し気になぞりながら先さんは話を続ける。


「この暗号の読み方自体は私と香坂ちゃんとの共同製作って感じかな。ちょうどおたがい推理小説が好きってことで意気投合しててね。

 それで授業で周期表が出てきたときにこれって暗号にならないかって話になったの。地球と月の組み合わせが水素原子に似ているって言ったのはどっちだったかな……、もう覚えてないや」


 先さんの眼は目の前にいる私を見てはいなかった。

 どこか遠いところにある思い出を見ようとしているかのようだった。

 そこには私は立ち入れない。そんな寂しさを感じてしまう。


「それなりに仲はよかったとおもうけれど、それも二か月で終わったわけ。原因についてはざっくりとした概要だけで我慢してね。さすがに教育に悪いから」

「はい。わかりました」

 先さんの声色が真剣さをおびる。

 ここからが本題ということだろう。


「両親との仲が悪いことは察してくれていると思うけど、それが原因になった。父親が学校に来て大暴れしてね。理由は聞かないほうがいいと思う。私にも理解できなかったから。

 とにかくそれで私の高校生活はおしまい。その時のごたごたのついでで両親とは絶縁したってわけ。

 香坂ちゃんにもいろいろ迷惑を掛けちゃったからもう縁は切れていると思ってたんだけど……、どうもそうではないみたいだね。

 待ってるなんて言われちゃった」

 その口調には少しだけ喜びが混じっているように感じる。


「それでその……、待っているというのは?」

「想像でしかないけどたぶんあれかな? おたがい小説を書こうみたいな話をしていたからその話だと思う。

 もっと言えば作家になりたいみたいな話もした覚えもあるから……、その話も含むのかも」

 先さんの小説を待っているあるいは先さんが作家になるのを待っている。

 もっと言えば香坂先輩は先さんとの約束を覚えているし、今もがんばり続けている。

 それが伝えたいことだったのだろうか。


 それがどんな出来事かはわからないけれど、一度は学校をやめて家族とも絶縁して、それまでの生活を失った先さんがそれでももう一度立ち上がると信じて。

 あるいはただ先さんの再起を祈っていたということなのかもしれない。

 それはどんなにか……・。


「先さん。香坂先輩の連絡先は知らないんですか?」

「知らないなあ。当時は携帯電話とか持ってなかったし。 いろいろ迷惑を掛けちゃったから合わせる顔もないと思ってたからね」

「だったら……」

 そこで一度言葉が詰まった。

 踏み込み過ぎるかもしれない。

 でも言うべきだと思った。


「私が何とか連絡先を調べて見ますから香坂先輩と話してみてください。直接の面識はないですけど卒業した先輩たちに掛け合って何とかします」

 先さんはちょっと面食らったような表情をした。

 私がそこまで踏み込むのが意外だったのかもしれない。

「そこまでして貰うのは悪いけど……、そうだね。お願いしようかな」


 思わず息を吐く。

 余計なことをするなと言われるかとも思ったから、あっさりと受け入れてくれて助かった。

 とはいえ私は先輩たちとそれほど親しかったわけではない。

 誰にどう訊くか考えなければいけない。

 失敗しないようにしないと……。


 先さんは視線を部誌に向ける。

 それからしばらく考えるように眉の間を揉んでいたが、やがて言った。

「この部誌なんですけど借りていくことってできませんか?ちょっと香坂ちゃんの作品を読み込んでみたい」

「いいですよ」

「ついでになんですけど……」

 そういうと先さんは困ったように笑った。


「去年の部誌も借りていくことってできますか? 先輩も何か書いてるんですよね。ちょっと気になります」

「……そうきますか」

 確かに私の書いたごく短い小説もあの部誌には載っている。

 とっさに内容を思い返す。

 あまり積極的に人に見せたいわけではないけれど、あれはそんなに見せたくないようなものを書いているわけではない。


 先さんのこちらの様子を伺うような目を受け止める。

 少しためらいもあるけれどまあ許容範囲だろう。

「……いいですよ。恥ずかしいから、そんなに読み込まないでくださいね」

「そう。良かった。楽しみだなあ」


 そんなに期待されても困る。

 本当に短い話だし、たいした意味もない。ただの習作なのだ。

 一応釘はさしておこう。

「大した話ではないですし、期待しないでくださいね」

「大いに期待しますよ」

 そういって先さんはいつものように微笑んだ。


 後日談。それから何人かの先輩と連絡をとって事情を説明して、香坂先輩の連絡先を教えてもらった。

 興味津々の先輩たちをかわすのはなかなか大変だったけれど、自分で言い出したことだ。仕方がない。

 普段なら絶対にしないような電話でのやり取りもなんとかがんばった。


 その後、先さんと香坂先輩がどのような会話を交わしたのかは知らない。

 それは私が知る必要のあることではないだろう。

 ただ香坂先輩の連絡先を伝えてからしばらくして、先さんは「上手くいったよ」とだけ教えてくれた。

 私にとってはそれだけで十分だった。

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声はだれかに届くのか? 庸 草子 @you_soushi

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