緊急依頼
「領主様のご令嬢が、ご病気、ですか……?」
「ああ、そうなんだ」
わたしを呼び出した村長さんは、神妙そうな顔で頷いた。
「そこで、君に助けてほしいと依頼が来たんだ」
「えっ? わ、わたしにですか⁉ で、でも、わたしなんかよりもずっと適任な人がいるんじゃ……? 例えば、お医者さんとか」
わたしがそう言うと、村長さんは渋い顔をしてこう返す。
「医者、か。この辺りには生憎、医者と呼べる者がほとんどいないんだ。一番近くに住む医者でも、領主様のご邸宅まで向かうには最低でも三日はかかるようでね」
「そ、そんな……」
「それに、医者に頼れるような状況でもないんだ。ご令嬢の容態はかなり悪いようで、領主様お抱えの医師も匙を投げたらしい。……頼れるのはもう、錬金術師の君しかいないんだ」
——医者が、匙を投げた。
その一言を聞いて、わたしはにわかに青ざめる。
当然だけど、錬金術師は薬が扱えるとはいえ、決して医者ではない。
それでも、ここみたいに辺鄙な地域では、お医者さんがいなくて錬金術師が代わりに病人の診察や治療をする、なんてこともあり得る話だ。
あり得る話、なんだけど。
わたしは錬金術師としてはひよっ子だし、ましてや学生時代は『天災』と呼ばれた落第スレスレ生だったのだ。人の命を預かれる資格なんて、わたしにはないと思う。
ましてや、医者が匙を投げるほどの重症患者さんだなんて。
お医者さんにどうにもできないなら、わたしにはなおさらどうにもできないのでは?
それなのに、どうしてわたしなんかに、こんな依頼が。——考えるまでもない、この辺りにはわたし以外に錬金術師がいないからだろう。
「お願いできないかい、ルーカさん。頼れるのは、もう君だけなんだ」
「で、でもわたしなんかじゃお役に立てるか……いいえ、立てないと思います! こんな落ちこぼれ錬金術師なんかより、ちゃんとしたお医者さんや錬金術師を呼んだ方がいいのでは……」
「落ちこぼれ? そんなことはない。君はこの村の誇る立派な錬金術師だ」
村長さんの真摯な眼差しに、思わず圧倒されそうになる。
そんな風にわたしのことを買ってくれるのは嬉しい。けれど、医者すら匙を投げるほどの重病人を、わたしが助けられるとはとても思えない。
……だけど、断るという選択肢がないのもまた現実だった。
本当なら断りたくて仕方ない。けれど命がかかった依頼なのだ。他に頼める人がいないというのなら、わたしが受ける他ない。それもまた、事実。
「……わ、分かり、ました。その依頼、受けます」
発した声が予想以上に震えたことに、自分自身で驚く。
「ああ、良かった。本当にありがとう、恩に着るよ」
村長さんの声には、心からの感謝が籠もっていた。けれど、それでもわたしの心が晴れることはなかった。
それからわたしはすぐに出立の準備を整え、翌朝にはもう出発する運びとなった。
「もしご令嬢の病気を治せなかったら、ヤブ錬金術師って言われて火炙りにされちゃうんだ……そうなったら、わたしの母校も錬金術協会からの認可を取り消されちゃうかも……」
これまでの人生の中で、一番泣きたいと思った瞬間だった。
馬車に揺られ、その日の晩には依頼人である領主様のご邸宅に辿り着いた。
辿り着いた……はず、なんだけど。
「あ、あそこ……ですか?」
森の中にぽつんと建つ一軒家を指さして御者さんに尋ねると、「はい、左様でございます」との返答が返ってきた。
こんなことを言ったら失礼かもしれないけど、目の前にある建物は、貴族の家にはとても見えなかった。
そこにあるのは『貴族の邸宅』と聞いて想像するような、大きくて豪華なお屋敷とは正反対の古い家。
一般的な平民の家よりはいくらか大きいけど、それでもこれを一目見て、貴族の住むお屋敷だと気づける人はいないだろう。
敷地内に入ったわたしのことを出迎えてくれたのは、一人のメイドさんだった。
「お待ちしておりました。エルライカ・アルトー様」
「ど、どうも、です」
丁寧に深く頭を下げてくるメイドさんに、わたしも慌ててお辞儀を返す。緊張していたから、ちょっとぎこちない感じになってしまったのが自分でも分かった。
「さっそくで申し訳ないのですが、お嬢様の元へご案内させていただきます」
「はっ、はい。よろしくお願いします」
メイドさんに連れられ、わたしは領主様の家へと足を踏み入れた。
建物の内装は、思った以上に質素だった。貴族らしい煌びやかな装飾などは、一切施されていない。
そんな建物の二階に、ご令嬢のお部屋はあった。
「こちらでございます」
「し、失礼、します……!」
貴族のお嬢様のお部屋に入るなんて、当然だけど初めてだ。
緊張で震えながら、わたしは恐る恐る部屋の中へと足を踏み入れる。
そんなわたしを出迎えたのは、ベッドの上で苦しそうに荒い息をするひとりの少女。
そして、そんな彼女を心配そうに見守る女性と、数人の使用人らしき人たちだった。
ご令嬢の容態が相当悪いのは聞いていたけど、正直、これは予想以上だ。
彼女の顔は真っ青で生気がほとんど感じられず、呼吸も不規則に乱れている。
素人のわたしですら、医者が匙を投げる気持ちが分かる気がする。それぐらい、彼女の容態は悪かった。
「ああ、錬金術師様。よくぞいらしてくださいました」
わたしの姿を一目見た途端、ご令嬢の一番近くで彼女のことを見守っていた女性が、今にも泣きそうな顔でわたしのそばへ寄ってきた。
「この度は急な依頼だったにも関わらず、ご足労いただきまして本当にありがとうございます。生憎主人も体調を崩しておりまして、ご挨拶できないご無礼をお許しください」
「い、いえ、そんな……」
この人は、領主様の奥さん——つまり、ご令嬢のお母さんってことか。道理で、二人とも顔がそっくりなわけだ。
けれどよく見ると、ご令嬢の耳は細長くて尖っているのに対して、お母さんである彼女の耳はわたしと同じ人族の形状をしている。
ということは、領主様はエルフの血筋の方なんだろうか? って、今はそんなこと関係ないか。
わたしが今しなきゃいけないのは、観察じゃなくて診察だ。診察なんてしたことないけど、命がかかってる以上は真剣にやらなくちゃ。
「えぇと、具体的にどういった症状がおありなんでしょうか?」
『錬金術師は医者じゃない』とは言っても一応、薬を処方することのある仕事である以上、軽く病気に関する知識も学校で勉強する。
症状が分かれば、もしかしたらどんな薬を処方すればいいのかも分かる……かもしれない。
「はい。先月あたりからでしょうか、時折頭痛や吐き気、倦怠感などを訴えるようになりまして、医師に診せて薬を飲ませたのですがなかなか良くならず……それどころか日に日に悪化していく一方で、ついにはこんな状態に……」
「……」
うーん、さっぱり分からない!
前から体調が悪くなることがあって、しかもお医者さんに診せても良くならなかったって、それってもうお手上げでは……?
い、いや。まだ諦めるわけにはいかない。
彼女のお母さんの顔を見ていると、何だか昔のわたしのお母さんのことを思い出してしまう。
わたしがまだ病弱だった頃は、うちのお母さんは毎日のようにベッドのそばでこんな顔をしていたっけ。
お医者さんに診せても元気にならない娘を助けたくて、藁にも縋る思いでわたしに依頼をした領主様たち。そして、今もなお苦しんでいるご令嬢ご本人。
みんなを見捨てるわけにはいかない。依頼を受けた以上、わたしには彼女の病気を治す義務があるのだ。
「あぁ、どうしましょう……この子がもう目を覚まさなかったら……!」
「な、泣かないでください! わたしが、絶対なんとかしますから……!」
堪らず、ベッドに横たわる娘の前で泣き崩れる女性に、わたしは咄嗟にそんな声をかける。
彼女の気持ちはよく分かる。わたしももし同じ立場だったら、絶望せずにはいられないもの。
「で、ですが……その、少し、考える時間をいただけませんか?」
さすがに今のままでは、治療法も何も思いつかない。落ち着いて、解決策を考える時間がほしかった。
こんな切羽詰まった状況で「時間がほしい」だなんて言ったら、怒られるかもしれないとも思った。
けど、焦った挙句に取り返しのつかないことをしてしまうことの方がよほど怖い。
返ってきたのは、こんな返答だった。
「……すみません、少し取り乱してしまいました。もちろんですとも、お客様用のお部屋をご用意しておりますので、そちらをどうぞお使いください」
「あっ、ありがとうございます!」
表情を取り繕って言った彼女に、わたしは深く頭を下げた。
メイドさんに連れられ、通されたのは三階の客間の一室。室内は静かで、考え事をするにはちょうどよさそうだ。
「何か、ご入用のものはございますでしょうか?」
「あ、じゃあえっと……お茶、もらってもいいですか?」
「かしこまりました。それと、お昼ご飯はどうなさいますか?」
「えっ? いえいえ、大丈夫ですよ! ご飯までいただいちゃうなんて悪いですし……」
わたしがそう言うと、メイドさんはふるふると首を横に振る。
「アルトー様は、シルヴァ家の大切なお嬢様の命を救ってくださるのですから。できる限りのことをさせていただくのは旦那様と奥様、そして私たち使用人一同の総意ですから」
そう言って、メイドさんはにこりと微笑む。
さっきは「絶対なんとかする」なんて大口叩いたけど、すでに救う前提で話されると、やっぱりできるかどうか不安になってくるっていうか……いや、弱気になっちゃ駄目だ。
責任重大な分、恐れずにちゃんと向き合わないといけないんだ。
——それからわたしは、頭をフル回転させて思案に耽った。
本で読んだ知識を思い出したり、とりあえず対症療法として何か処方してみようかと考えたり。結論は、まだ出せていないんだけど。
そうしていたら、いつの間にか昼食が目の前にやってきていた。
「失礼いたします。昼食をお持ちいたしました」
「あっ、す、すみません、ありがとうございます!」
意識を現実に戻された瞬間、鼻孔に入ってきたできたての料理の匂いに胃が刺激される。
自分が空腹状態だったことを、今やっと思い知った。
「お待たせしてしまって、申し訳ございませんでした。現在、一部の使用人もお嬢様や旦那様のように体調を崩しておりまして、人手不足でして……」
「いえいえ、そんな! 待ってなんかないですよ、わたしも考え事に集中してたし……って、使用人の皆さんも体調を崩されてるんですか?」
危うくさらっと聞き流しそうになったけど、今とんでもない事実が明らかになった。
「はい。お嬢様の体調が悪くなられた辺りから、使用人の中にも同様の症状を訴える者が現れ初めまして……どうしてかエルフの血筋を継ぐ者だけに、症状が出ているんです」
「……そ、それって」
おっと。とんでもない事実が明らかになったぞ。
他の種族の人は元気なままで、エルフだけがみんな体調を崩している。その情報が得られたのは大きな進展かもしれない。
エルフ系統の種族がこぞって体調を崩す理由には、心当たりがあるのだ。
「ど、どうかなさいましたか?」
「い、いえっ。貴重な情報、ありがとうございますっ!」
「えっ? お、お役に立てたのなら何よりです……」
メイドさんは不思議そうな顔をしつつ、頭を下げて部屋から出ていこうとする。
「あっ、あの!」
わたしは、部屋から離れていこうとするメイドさんの背中に慌てて呼びかけた。
「ちょっと、外出してきてもいいですか?」
エルフ系統の種族が体調を崩す理由には、心当たりがある。
だけど、それを確信に変えるには調査が必要だから。
メイドさんに許可を取ったわたしは今、お屋敷周辺の森へとやってきていた。
お屋敷周辺の森、と言っても、ここはライカの森とそのまま繋がっている。つまり、実は村からそんなに距離があるわけではなかったりする。
この辺りの植物と魔物の様子を見れば、わたしの予想が当たってるかどうか分かるはず。
もっとも、もし当たっていたとしたら、この辺りは激しい戦闘が得意じゃないわたしには危険な場所ってことになるんだけど……。
というわけで、気を引き締めて歩こう。
「あ、これ……」
しばらく歩いていくと、ふと足元の光景が目に留まる。
足を止めて、少し観察してみることにした。
「これって、ルミナスフラワー?」
清浄な魔力を多大に含む魔性素材のひとつ、ルミナスフラワー。
その特徴的な形をした花弁は、色褪せてすっかりしおれてしまっている。見れば周りに咲く同種の花たちも同じだった。
けれど、周囲に生える他の植物たちは元気そうだ。試しに、ルミナスフラワーの群生するあたりとそこ以外の土を触って、土質を確かめてみる。
「違いは……うーん、なさそう」
ルミナスフラワーの群生する場所の土質だけが極端に悪いとか、そういったことは特になさそう。
「と、いうことは……きゃっ⁉」
そのとき。わたしの足元に、すごい勢いでクオーツラビットが突進してきた。
わたしは咄嗟に杖でクオーツラビットを振り払い、相手と一旦距離を取った。弱い魔物だから、そんなに警戒する必要はないけど。
「普段は大人しいはずのクオーツラビットが、自分から襲い掛かってくるなんて……」
それにルミナスフラワーの件といい、やっぱりわたしの予想は的中していそうだ。
「これって、この辺りの魔力が汚れてる……ってことだよね」
どうして、そう判断したのか。
まず、ルミナスフラワーのように、地中や空気中の魔力を養分として育つ植物は、周囲の魔力が綺麗な環境でないと生息できないのだ。
そして、普段は大人しいはずのクオーツラビットのような魔物が凶暴になる原因もまた、周囲の魔力の汚染にある。
魔物——つまり、空気中に漂う魔力をエネルギー源の一部としている生物たちは、一般的には不浄な魔力を食べれば食べるほど気性が荒くなっていく傾向にある。
と、いうことは。
「みんなが病気になったのも、やっぱり魔力の汚染が原因……!」
というのも、エルフの血を引く人たちは、不浄な魔力にとことん弱いのだ。
エルフは精霊に近い種族だから、綺麗な魔力を栄養源の一部とすることができる。逆に、汚れた魔力を体内に取り込むと、どんどん具合が悪くなっていってしまう。
ご令嬢やエルフの使用人さんたちが揃って倒れてしまったのも、そのせいだろう。それなら、普通のお医者さんには治せなくて当然だ。
この依頼が、錬金術師であるわたしの元に来て本当によかった。こういったことは、医者ではなく錬金術師の領分だから。
天災錬金術師の工房日誌 亜槌あるけ @alche667
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