第17話 反撃、そして王宮へ

「これは興味深い」

 ネフティスはフードの奥から両目をギラつかせる。


「これまでにさらった職人どもは、皆が一応にしんみょうかえりみたものだが、貴様は友の命を顧みる。勇敢か無謀か。あるいは若さゆえの──」


「あーはいはい、そういうのいいですから」

 ラーリは耳をかっぽじる。

「難しい言葉で雰囲気出すのは、三流作家がするコトですよ。今劇場でやってる『エクサゴーゲ』でも観てきたらどうですか」


 ユダヤ人作家が描く、流行の救出劇。


 ネフティスは明らかにカチンと来ていて、首を掴まれているお嬢が思わず噴き出す。

 こんな状況になっても、この職人はマイペース。ぐひひと笑う顔が、憎らしいやら愛らしいやら。


 そうだった──


(これがラーリだ!)


 お嬢カミラに、幾分いくぶん心の余裕が生まれる。


「あらあなた」

 カミラが〝戻って〟きた。半目で敵を蔑視する。


「アレクサンドリアの職人を随分と軽くみていらっしゃるのね。残念だけど、この街じゃ、こーんなド田舎染料師だって、あなたより強いわよ。

 レモンとオリーブオイルだけで宝石を見分けちゃうんだから!」


 ふふんと鼻を鳴らす。


「どこにレモンとオリーブオイルがあるんですか」

 ラーリもつっこむ。


 一連のやりとりを聞き、ネフティスが笑い出す。

「そこまで言うなら、さっさと飲んでもらおうか? 失命のあかつきには、この職人と一緒に切り刻んで、ナイルパーチ(※大魚)の餌にでもしてくれる。

 さあどうするか、アレクサンドリアの染料子女よ。我に頭を下げ、命乞いをするのが──、って、人の話を聞け!」


「だから長いんですって、あなたのこうじょう

 ラーリはすでに、片方の包み紙を手のひらに乗せていた。


 同時に、まるで薬を飲むかのように、ごくりと、

 そう、

 ごくりと粉を飲み込んだ。





「──えっ?」

 目が点になるのはネフティス。


「えっ、ちょ、早くない? もう飲むの?」

「あなたが〝さっさと飲め〟って言ったんじゃないですか」


「いや、そうだけど、段取りってのが──」

「死にませんでしたね。じゃ、お疲れさまでした!」

 ラーリは孔雀石の粉を懐にしまい、お嬢の手を引いて階段を降りようとする。


「ちょっと待って! 敵の威厳ゼロなんだけど!」

 汗が噴き出す。走って追いつく。


「まだ何か? しつこい男は嫌われます」

「どうやったんだ? 見た目で判断したのか? 微妙な色の違いを見分けたとか……」

「まさか。勘ですよ勘」

 ラーリは人差し指を額に当てた。


「勘……」


 ネフティスは高笑い。マントを翻して叫ぶ。

「そうか、染料師の子女よ。二分の一の確率を引き当てるのも、また神の采配さいはい

 良かろう。今回は見逃してやる。だが次はないと思え。次こそは貴様の突き出た鼻を、根本からへし折ってやる!」


 さらばと言い残し、マント男は黒い煙幕で姿を消した。


「意外と大したことなかったわね」

「そうですね」



 ♢ ♢ ♢



 帰り道。


 夕焼けに染まる波止場を眺めながら、カミラが訊ねる。


「そろそろ教えてくれてもいいじゃない? ガラスと孔雀石。どうやって見分けたのよ」


「だから言ってるでしょう。勘ですよ。もしかしたら今頃毒が効いてきて──ウグッ……」


 ラーリが胸を押さえる。片膝をつく。


「──ど、毒が、宝石の毒が、か、体に回って」

「ちょっとラーリ!」

「──なーんて。冗談です」


 おどけた染料師に、お嬢が眉をピクつかせる。


 ラーリはスキップして石畳を渡り、戻ってきて指を左右に振った。

「知りたいですか? 仕方ありませんねぇ。特別ですよ。

 宝石を見分ける方法、その三。宝石はニオイで見分けられます」


「ニオイ?」


「宝石の毒は、火であぶると即座に気化し、独特の刺激臭を発します。ネフティスの目の前にあった、灯台のどこが幸いしましたね。

 わたしは粉の掴んだとき、フッと息を吹きかけて、粉を炉の中にちょっと入れてみたんです。すると、ほんのりニンニクのニオイがした」


「ああ! だから毒じゃない方を選べたのね!」

 ニンニクと聞き、おやつに勝ったラム肉を思い出すカミラ。


「まったく、どうして黙ってたのよ!」

「敵に教えたら、対策されるじゃないですか」


 確かに、とカミラは点頭。


「仲間の職人を守るのも組合員の務めですよ」


「これからどうする?」


「とりあえず、明日、王宮に行きましょう。職人たちが狙われているなら対策をすべきです」



 ♢ ♢ ♢



 ──王宮の敷地内。


 扉を押し開けた瞬間、熱気をはらんだ香油の匂いが鼻を刺した。

 壁は白大理石。槍・炎の意匠が浮き彫りに刻まれ、金箔が溝にまで敷き詰められている。


 青銅製の燭台が四隅に立ち、炎が波のように揺らめく。


「リシアス様」


 男が言った。


 彼はリシアスの前で膝を付き、頭を垂れる。


 その男──リシアス。

 腰に曲刀。胸当てには王家の紋章と双翼のわし。こげ茶でどこかジャスミンの香りがする髪を流し、女性と見紛うほどに端正な容姿を眼下に向ける。


「どうした」

 権威ある声調。


 聞き返された兵士は、顔を上げた。


 そしてゆっくりと口を開く。


「リシアス様に報告したい出来事があると、二人の女がやってまいりました」


「通せ」


 アレクサンドリアの『フィラキタイ』。いわゆる王朝警察プトレマティック・ポリスは、宮殿の真隣にある。





 衛兵が扉を開けた。


「長官閣下殿」

 朝靄あさもやの光の中に、黒猫を肩に担いだ染料師がいた。





 __________

 ラーリの染料教室 その② 【エジプシャンブルー】


 エジプシャンブルーは古代エジプトで使われていた、青染料の俗称です。青は神聖な色とされ、お化粧としても一般的でした。実は、エジプシャンブルーの正確な製法はわかっていません。当時の職人たちは作り方を秘密にしておきたかったみたいです。多くの研究者は、孔雀石と石英を混ぜて作ったのだろうと考えています。

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色盲の染料師はアレクサンドリアで謎を解く〜ただしマイペースに〜 冬野トモ @huyunotomo

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