第6話 不審者

 起きた頃には、終礼から一時間が過ぎていた。

 窓の外を眺めると、学校の外側に無限に広がる家々とその上には橙色に染まり始めた空があった。こんな風に高いところから世界を見下ろしていると、色々な感情が胸の内から湧き出してくるものだが、とりわけあの家々を見ているとその感情はより濃くハッキリとしたものになる。


 「人生」という言葉があるが、僕の中でこの言葉は年々重みを増している。

 それが希死念慮を抱えた僕だけのことなのか、それとも一般的な人であれば誰しもそうなのかは知らないが、少なくとも「人生」という言葉は簡単に口にできるほど安い言葉じゃないことは確かだと思う。

 生きている、と言えば簡単だけど、生きている、という行為には言葉にするにはとても複雑に絡み合った現実が隣り合わせに存在しているのだ。例えば、心。心は不可侵の領域といってもいい。誰にも僕の心はわからないし、僕には誰の心もわからない。人は孤独を生まれ持っているのだ。誰にも互いの御心を暴けないのだから、誰しもが孤独で、孤独だと感じていない人は幻想を見ているといっても過言ではない。

 もちろん、ここまでの話は詭弁だと一蹴することも容易い。そもそも人が孤独だというけれど、心が不可侵であることを前提に、孤独な者と孤独ではない者をより分けているのだから、全員が孤独だなんていうのは間違っているとも考えることができる。


 ただ、あの家々を見ていると思うのは「人の心はわからないけれど、自分と同じように確かに。」ということだ。そんなことを考えていると「人生」なんて軽々しく言えなくなった。死生の話も自分のような矮小な者には、重すぎるように感じられた。


 ***


 夕暮れの日差し差し込む、ひと気のない廊下を歩いていた時、


 「んァッ、痛ッァァ!?!?」


 背後から急に叫び声が聞こえて、反射的に振り返ってしまう。

 僕が見たのは、顔を赤くして、涙目で額を押さえている、怪しげなロン毛の男だった。


 「……」


 手を差し伸べるべきだろうか。

 今にも大粒の涙を流しそうなほど哀れな表情の男は、ついにはその場にうずくまり、唸り声を上げ始める。……手を差し伸べるべきか。


 「あの……大丈夫ですか。」


 僕が手を差し伸べると、


 「うん、ありがとう。」


 僕が意識するよりも早く、一瞬の間に僕の手をつかんで、その場に立ち上がっていた。

 先ほどまで哀れとしか言えなかった男の表情は一瞬のうちに、何の情念も感じられない、冷たい機械的なほほえみへと変わっていた。

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廃工場のクイックシルバー ~幽霊少女と彼方の歯車~ 河童の川流れ @akasaka21221

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