統一列車は走る

王美鈴

統一列車は走る

 統一列車は走る



 朝鮮戦争再開から早三年が経とうとしていた。

 きっかけは簡単だったし、一瞬の出来事だった。七月も半ばに入る頃、板門店パンモンチョムで行われた会合で、大統領を護衛していた若い韓国軍の兵士が、金将軍を撃ったのだ。


『不死鳥からワシミミズクへ。こちら開城ケソン。現在、北朝鮮軍から銃撃を受けている。至急応援を求む』

「こちらワシミミズク、キム光信グァンシン中将。その声は知夏チゲか?被害状況は?」

『部隊のほとんどがやられた。今は私の分隊しか残っていない!』

「敵兵はどのくらいだ? 人数は」

『おそらく、一人……うわぁあ‼︎』


 無線は、男の叫び声と連射する銃声の後、砂嵐に変わった。


「知夏! パク知夏チゲ! 返事をしろ!」

阿娘アラン……阿娘アランが……』

「朴知夏! 何故今妖怪の話をする⁉︎ 答えろ───」


 そこで通信は切れた。苦しそうな声で呻きながら同期が最後に残したのは、朝鮮半島に伝わる化け物の名前だった。


 尹貞玉ユン ジョンオクという名の美しい女性が殺されたが、その魂が白い蝶に変わり、犯人を追うという伝承。子供の頃によく聞かされた、非常に有名な話だ。


 敵兵が女性兵士だったとでも言うのだろうか。否、それならば尚更おかしい話である。たった一人の女兵に第702特殊部隊不死鳥が壊滅させられたという、悪夢の様な事態になってしまうからだ。


「あの、にわかには信じ難いですが中将。とどのつまり、その702も」

「静かにしろッ!」


 あり得ない。知夏が、いや、知夏で無くても、特殊部隊が女一人にやられるわけが無い───。


 そう考えていた時期が私にもあったし、きっと韓国軍全体でもあった。だがそれも数ヶ月前までだ。


不死鳥702部隊も、白い悪魔にやられたということですね」

「静かにしろと言っている‼︎」


 白い悪魔。

 正体不明の、強すぎる一人の北朝鮮兵につけられた韓国軍側の呼び方である。


 ここ何ヶ月かで宣戦布告も無く前線部隊を一つずつ壊滅。あまりにも信じがたく、本営も動くに動けず、後手に後手にと回っていた結果がこれだ。


飛虎706も、もう一つの不死鳥703特攻連隊もやられた。冗談ではない!」

「では大尉! どうすれば?!」

花郎ファラン白虎ペッコ稲妻ポンゲ部隊に連絡。明日開城にて、白い悪魔を迎え撃つ」


 開城の朝は静かだった。

 鳥の声ひとつせず、窓からの陽の差し込みでその訪れを知るような形だった。


 時差も無く、何だか自分が三十八度線を挟んで外国に居るという感じは一切しない、むしろ実家に帰ってきているとさえ思えてしまうくらい心地快い目覚めだった。


「おはようございます中将。大将から通信が来ております」


 要請した全ての部隊に連絡が渡ったそうだ。昼過ぎには着くという。


 もし悪魔がいるのならば、その悪夢はここで終わらせる。

 決着だ。

 わざわざ第一軍から呼び寄せた三兵団に加えこの首都軍団所属【第700特攻連隊ワシミミズク】がいれば───。


「も、門前に来ました!敵軍です!」

「数は⁉︎」

「数は……一人、一人です!」


 部下に呼ばれ、私は城門の上から直接その姿を拝みに向かう。


 多くの仲間を。同期を、殺してきた悪魔は一体どんな姿をしているのか。どんな武器を持っているのか。殺る前に見なければ。


 不謹慎にも、好奇心に似た気持ちに支配された私は防弾服も着ずに、それを見下ろしたいがために急いだ。


「北の軍服を着ている。間違いない。あれが!」


 部下の一人が指した先には、ある小柄な朝鮮兵が佇んでいた。


 茶色いコート。

 赤いバッジ。


 目はゴーグルをしていたので人相までは解らなかったが、帽子の後ろから出ている髪の長さから女性かもしれないということは理解出来た。


 だが、問題はその髪色、そして肌の色だった。


「白い悪魔」


 知夏が死に際に放った言葉は、間違っていなかったのだ。


 それらは、あまりにも病的なまでに白く、人外じみており、彼女の妖しさ及び威圧感を生み出すのには、実に十分すぎるほどだった。


「攻撃作戦を開始する! 打て!!」


 城門の上から下まで仕込んでいた韓国兵が一斉に銃を構える。


 目標は正面。阿娘アラン


「打て! 打ち続けろ!」


 何十丁ものM60がその銃身を焼き尽くさんとするほどの勢いで、一人の少女に向けられ火を吹く。


 しかし少女は、恰も幽霊のように、あるいは蝶さながらに、銃弾を避けている。


「「ぐぁっ⁉︎」」


 門前の兵士が四名、断末魔とともに突如撃つのを止めた。

 そしていつの間にか阿娘の姿は無く、やがて門の開く音がした。


「まずい! 入られた‼︎」

「急げ! 迎撃しろ! 中へ迎え!」


 私の周りには二名が残った。

 優秀な中尉と少尉が一人ずつ。他の兵士は全て中に入り、阿娘の捜索に当たらせた。


「中尉。どうだろうか。我々で悪魔を仕留めるか、もしくは援軍が来るまで持ち堪えるか……中尉。中尉?」


 私の横に居た中尉が突如、口を聞かなくなり、座り込んだ。とは言え、先ほどまで話をしていたというわけでもないが、あまりにも黙っているから気を紛らわすために話しかけたのだが。


「中尉……うわあああ‼︎」


 その横に居た少尉が、絶叫したところで私は気づく。


「し、死んでいる」


 中尉は音も無く、殺されていた。喉笛にはナイフが突き刺さっており、死の瞬間、声を出すこともできなかったのだ。


「少尉! 階段は? 見ていただろ⁉︎」

「はい! ずっと見張っていましたが、何の気配も無───がああっ!」


 言いかけたところで、銃声が一つ。途端、少尉が前のめりに倒れて動かなくなる。


 そうして彼の背後に見えてくるのは、白い影。


「阿娘……っ!」

「それ、昨日も言われた。わたしが白いから?」


 そう言って阿娘は帽子を取り、髪を書きあげながら距離を詰めてくる。


 ブリーチしたてのようなそのアルビノ色は、まるで白頭山ペクトゥサンに積もる雪のように白く、幽霊の如く不気味だ。


 若い韓国のアーティストでもこんな風にはしないであろうという、意図的な派手さよりも、どこか目を釘付けにするものがあった。


「生まれつきなの。変だよね」

「いや、変ではない……美しい(イエップダ)」

「え?」


 阿娘が歩みをピタリと止める。

 しまった。声に出ていたか。


「今、なんて?」

「そ、その美しいと」

「…………!」


 ガチャン! と、阿娘の手から短機関銃Vz61が一丁落ちた。


本当チョンマル? 美しい(イエッポ)?」


 阿娘が自らゴーグルを外す。


 赤い眼。


 それはまるで荒野に棲む孤狼のような、それでいて雨の日に取り残された仔犬のような、鋭くて円な瞳。


 吸い込まれそうなほど紅色に光る宝石が、私を見つめている。


「「動くな‼︎」」


 ヘリと軍靴の音を聞き、ふと私は此方側の世界に帰って来られた。


 花郎、白虎、稲妻。多くの兵士が阿娘を囲み、銃を向ける。


「抵抗するな。武器を捨て、手を上げろ」


 開城での白い悪魔防衛戦は、多くの犠牲を出したが、悪魔の捕縛成功により終了した。私はこの件で昇進し、首爾ソウルにある本営に戻されることになった。



「出せ! 出せ!」


 夜中にもかかわらず、断続的な打撃音が、看守らの耳を苛んでいた。


 独房の壁を打ち壊さんとする勢いで、それは徐々に大きくなっていく。


「またやってるんですよ貞玉ジョンオクの奴。飽きないんですかねぇ」

「もう一週間だしな。そろそろ諦めるだろう」


 眠そうに目を擦りながら、愚痴りに来た看守を宥めつつ、私は彼の前を横切るようにして部屋を出る。


「どこ行くんです? 大将?」

「どこって、彼女のところさ」


 この一週間で色々なことがあった。


 捕らえた彼女が名前を明かさないので、阿娘伝説に準えて【ユン貞玉ジョンオク】と呼ぶようにしたこと。

 彼女は現在、新しく変わった金将軍から直々に、単独で韓国軍の制圧を自由に行う権利を与えられていること。

 そしてあの尋常な強さは、アルビノで視力が弱いのを補うために、幼い頃から肉体訓練をかなり積んだ故のものだったということ。


「おじさん(アジョッシ)、また来たの?」

「うん、君に会いたくてね」

「わたしは会いたくない。だっておじさんのこと嫌いだもん」


 貞玉は、私が独房の前に来ると、壁を叩くのをやめ、膝を抱えて話しはじめた。


「おじさんだけじゃない。南朝鮮人も、日本人チョッパリも。みんな大嫌い」

「はは、おじさんだって、何かしてくる日本人は嫌いさ。まだ直接何かされた事があるわけでは無いけれどね」

「わたしたちはされた。

 オマエらが将軍様チャングンニムを撃ったこと、政権が変わったことで、日本人はわたしらをバカにしている。許せない」

「私だって、キミらに色々されたよ。同志トンジ友達チングを何人も殺されたんだ」

「わたしたちだって! 多くの同胞トンポ友達トンムを殺された! オマエら南朝鮮に!」


 このままでは話は平行線だ。

 だなんて、七〇年も八〇年も前から分かりきっていたことなのに、私は個人的感情で彼女に話しかけ続ける。


「どうしてキミは戦うんだい? 復讐のため?」

「違う。恨みはたくさんあるけれど、将軍様はそんなのは望んでいない」

「じゃあ何を望んでいるの?」


 彼女は暗闇に赤く光る眼を、私にじっと向け、いや、私よりも遠いところに向けて話すように言った。


「救済だよ。わたし達の使命は、南の兄弟たちを救うことなんだよ」

「救う? おじさん達を?」

「そうだよ。それなのに、あなた達は攻撃してくる。だから嫌いなんだ。

 なんで好きでもないあなた達のために、わたし達は戦わなきゃいけないんだろう」


 私は毎晩、彼女の話を聞けば聞くたび、金政権の洗脳というべきか、人民教育の恐ろしさの実態に触れるような気がしていた。


 初代金将軍は瞬間移動が使えるとか、千里走っても疲れない馬が居るとか、訳の分からない話が多くあった中で、特に印象深かったのはこの話だった。


「おじさん、統一列車って知ってる?」

「統一列車?」

「平壌には、世界で一番大きい駅があるの知ってるでしょう? そこから釜山プサンまで直通の電車を作るの! 湖南ホナム地方に行くやつ! 戦争が終わったらね」

「南北統一、した後の話か?」

「うん! 南は貧しいから、家の無い兄弟たちには文化住宅を立ててあげて、それでね! 絹みたいにすっごい触り心地の良い、ビナロンの服を着せてあげるの!」

「そうなんだ。楽しみだね」

「うん! だから戦争はもうやめない? せめて七月二十七日チリチルまでには終わってほしいな。戦争の勝利記念日だからね」

「勝利、と言うより休戦日だな」

「これ以上トンムを失うのは嫌なんだ。おじさんも嫌でしょう?」


 この娘は悪魔なんかじゃない。

 本当は心優しいただの少女なのかもしれない。

 同胞の死の話に涙したかと思えば、我々との終戦後の未来に向けて笑顔になる。こんな純粋な娘は、この国でも中々居ないほどだ。


「貞玉。明日ここから少しだけ出してあげる」

「本当⁉︎」

「あぁ。だけど他の看守には内緒でな。絶対に言うなよ。明日の夜、この時間に迎えに来るからな」

「やったぁ! 南朝鮮人は嫌いだけど、おじさんのことは少し好きかも」

「あぁ、ありがとう貞玉。おやすみ(チャルジャ)」

「おやすみなさい(チャルジャヨ)、おじさん(アジョシ)」


 翌夜、私は作戦を決行した。

 貞玉を牢から出して、自分の腕を掠めるように拳銃を一発撃った後、檻の鍵穴に一発当てて破壊。貞玉は私の家に連れて帰ることにした。


 これでしばらく本営の仕事は、ソウルに潜む白い悪魔と、それに攫われた陸軍大将の全力捜索となるだろう。


「貞玉。休暇を利用して出かけようか。街に」

「ソウルの街? 平壌ピョンヤンとどっちがすごい?」


 車の後部座席で、隠れるようにして毛布に包まりながら、貞玉が訝しげに訊いてきた。加えて、不安そうに言う。


「今って昼? わたしが抜け出してきてからそんな時間経ったかなぁ?」

「あはは、それは窓の外を見れば分かるよ」

「窓の外───えっ?」


 ソウル市街を走る車から見える夜の景色は、まさに昼とみまごうほどに明るかった。


 繁華街の店店が掲げるネオンサイン。

 道路には行き交う車。

 見たことの無い食べ物を売る屋台はさまざまに、特に驚いたのは時計を露店で並べているところだった。


 北朝鮮では、ありえない光景だった。


 一つの時計を売れば家族が何ヵ月も生活できる。そんなものをあんなにたくさん置いて……。


「統一列車、繋がると良いな」

「ぅ、うん」


 私は車内バックミラー後に映る、怯えた表情の彼女を宥めつつ、適当な駐車スペースに留める。そして車を降りて後部ドアを開ける。


「君の素性はバレなくても、その見た目はこっちでも目立つんだ。サングラスをつけて、髪を結んで帽子の中に入れてくれるか」


 加えて私は怪しまれないための名目として、まるで親子のように、或いは恋人のように自然に私と手を繋げと命じた。貞玉は、私の言われた通りにした。


 ところで明洞は、戦争中にも関わらず、相変わらず華やかで賑やかだった。


 ハニーバターアーモンドの大きなキャラクター像や、LINEアプリのキャラの熊の像もあって、子供も楽しめる。


 広場近くにある広めのダイソーではリーズナブルな雑貨を、オリーブヤングでは化粧品を、ロッテ百貨店には、豪華な外国製の服や靴、土産物が並べられている。


 貞玉はそれらを手にとってみたり、夏物のシャツで、ペンギンのキャラがプリントされているのなんかをこっそり試し着させたりしてやった。


 彼女はそのペンギンが気に入ったようで、同じキャラのストラップを、私が渡したお金で、いつのまにか買ってきていたりしていた。


「わたしたちは、嘘を教わっていたのかな?」


 車に戻り、喧騒から離れたことでそれまで緊張していた貞玉が話しはじめた。


「ここでは、一般人全員が金将軍みたいな生活をしている。わたしは南朝鮮の街には乞食が多く居て、人々はバラック小屋に住んでいると教わった。わたしは、わたしは」

「昔は、そうだったかもしれない。確か、私の生まれる前のずっと前、休戦直後はしばらく北朝鮮の方が技術が栄えていたと聞いたよ」


 でも今は違う。

 北と南では圧倒的に差がある。技術はもちろん、暮らし方さえも。


「わたし、どうするべきなのかな。帰ったほうがいいのかな、それともここにいたほうがいいのかな? おじさんはどっちがいいと思う?」

「それは私には決められない。キミが決めるんだ」

「わたしは」


 貞玉は小さく呻きながら、毛布を被って考えていた。

 ソウルの街を見て、人生が否定されたような気でもしているのかりそれほどまでにこのカルチャーショックは大きかったのだろう。


「おじさんは、どうするの? わたしが北に戻ることにしたら、もう一回敵になっちゃうんだよね?」

「私は、敵にならない」

「えっ?」

「私は、キミについて行く。例えでも西でも東でも、南でも北でも!」

「おじさん……」


 翌朝、私たちは飛行機で北京へ飛び立った。

 そしてそこから列車を使い、陸路で二六時間かけて、平壌へ行く。


「ごめんね、おじさん。わがまま言って」

「良いんだ。キミを連れ出してしまったのは私だしね。それに平壌は一度行ってみたかった」

「えー? ソウルより栄えてないのに?」


 私の発言をリップサービス、或いは皮肉に捉えたのだろうか、彼女はいたずらっぽく笑ってみせた。

 それが無自覚で私の胸を揺さぶる行為になっているとも知らずに。


「最後に平壌に行って、それで決めたいんだ。だから気が変わっちゃったらおじさんのこと殺しちゃうかも。ごめんね」

「おいおい、冗談はよせよ。怖いなぁ」


 と言って、私が眉をひそませてみせると、また彼女は笑ってくれた。それがすごく嬉しかったし、「気が変わったら」ということは、もし変わらなければ……なんて、都合良く考えてしまうのは悪いことだろうか。


「着いた。おじさん降りて降りて」

「あぁ」


 私は彼女に連れられて、死ぬほど果てしない階段をひたすらに登った。世界で最も地下にある駅の名は伊達ではなく、本当に気が遠くなるほど果てしなさすぎて果てしなかった。


「ここが平壌だよ。見てほらあそこにおじさんと同じ軍人が」


 彼女がそう指を差した時だった。何台かの軍用車のようなものが多く駅前にやってきたかと思うと、軍人らが一斉に其方に顔を向けて敬礼しはじめた。


「なんだあれ。ま、まさか」


 とびきり大きい車から降りてきた一人の女性に、兵も民も皆全員の視線は向かっていた。


 漆黒の詰め襟の服を纏った白い肌、角ばった顔、細いスタイル。

 まさに写真やニュースで見ていた、四代目将軍その人だった。


将軍様チャングンニム‼︎」

「あら、おかえり正利ソンリ。貴女を迎えに来たのよ」

「───貞玉! 逃げろ!」


 将軍がはにかんだその時、軍人達の視線、加えて銃口が将軍ではなく私らに向いていることに気づいた。


「チャ、将軍様! 勘違いしないでください! わたしはこの男を捕まえて、南の情報を引き出すために」

「だったらそこを退きなさい? 弾が当たってもいいの?」


 将軍もまた自動小銃をその手に構えていた。間違いなくそれは、貞玉に向けられている。


「私は大韓民国軍、金光信大将だ。私は彼女に取り入り、この国の内部に忍ぼうとした。私が目的なら、その女に銃を向けるな」

「嘘だ! おじさんはわたしのこと」

「嘘じゃない。私はお前を騙していたんだ。だから早く逃げろ!」

「ふふ、そういうことだから私の後ろに来なさい正利。邪魔よ」

「嫌だ! 退かない‼︎」


 しかし貞玉は逃げるどころか私の前に大の字に立ちはだかった。


「貴女を失うのは惜しいわ。けど南を庇うような、そんな真似をするなんてね」


 将軍の眉と口元が歪んだ。

 トリガーにかけられた指が、今、動く。


「貞っ───正利ぁ‼︎」


 一発の銃声の後、残酷にも、コンクリートに鮮血が飛び散った。


「正利! しっかりしろ正利!」

統一列車トンイルリョルチャ、走るんだ、釜山行き列車、走るんだ……えへへ」

「死んだらバカみたいだぞ! オマエの夢、まだ叶ってないだろ!」

「平壌から、釜山に、おじさんと列車旅、行きたかったな」

「行けるさ! だから今死ぬな!」

「おじ、さ……あり、がと……」


 フッと、力の抜けた手をいつまでも握りしめていたかった。けれどそうするわけにはいかなかった。


「おい将軍。今すぐ戦争を止めろ」

「なんですって? 聞こえなか」

「戦争を止めろ‼︎」


 再び囲っている兵士が、私に銃を向ける。

 別に死んでも良かった。でも、今日死ぬわけにはいかなかった。


「将軍、今日がなんの日か分かるか?」

「今日は七月二十七日(チリチル)……!」

「そうだ。今日この日、和解を逃したら、永遠に私達は分かり合えなくなる‼︎」

「どういう意味?」


 将軍の四角い顔がますます歪む。


「私は今、脱獄した正利に誘拐されているということになっている。

 だからこの今日という、第一回休戦日、そして戦争再開から丸三年のこの日に、私のような南の重役が平壌に連れていかれ、見せしめに殺されたとなれば、貴様らの印象は史上最悪。領土回復どころか二度と三十八度線を越せないと思った方が良いぞ」

「はんっ、まだ強がりを言うのね? この外道が!」

「外道はどっちだ? 現に貴様らは、正利という最大兵力を失った! 止めたほうが良い。

 …………兄と違って、妹は賢いんだろ?」


 七月二十七日。午後十時十分。

 第二回朝鮮における軍事休戦に関する一方国際連合軍司令部総司令官と他方朝鮮人民軍最高司令官および中国人民志願軍司令員との間の協定が結ばれた。


 私は腕の銃創が原因で、拳銃を持てなくなり軍を退役した。


 釜山交通公社二号線に乗っていると、地上走行に途中で変わる部分がある。北部、釜山広域市域を外れて、隣町の梁山市域を走る辺りだ。


 この車窓からの景色は実に良いものだった。

 開けた土地、山に臨む夕焼けがとても美しかった。大きい太陽にバカヤロー(パボガター)と叫びたくなるくらいだ。


この景色を、正利にみせてやりたかった。


「統一列車、走るんだ。釜山行き列車、走るんだ。統一列車、走るんだ。湖南行き列車、走るんだ」


 向かいの席では二人の小さな男の子と女の子が、寝ている母親の横で遊んでいる。


 色白の女の子が電車のおもちゃを窓の桟で動かしているのを、軍人ヘアの可愛い男の子が、指を咥えてじっと見ている。


 やがて、眺めていた私の視線に気づくと、こちらを見て二人でニコッと笑った。それが無自覚に、私の胸を揺さぶる行為になっているとも知らずに。


 私はペンギンのストラップを握りしめ、窓にもたれかかって動く景色と、動かずに紅く燃える夕陽をいつまでも見ていた。



〜 終幕 〜

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