第2話
フー、フー、フー。** 涼しい風が地下鉄のホールを吹き抜け、甘いパンやお菓子の香りを運び、林洛(リン・ルオ)の顔に当たった。うつらうつらしていた頭が少しだけ冴えた。
七月の初旬、通り雨が降ったばかりで、蒸し暑かった天気に幾分かの涼しさをもたらしていた。この季節、ローファーを履いた少女たちが透明ビニール傘をさし、ネオンがきらめく大通りをそぞろ歩いている。酔っぱらった男が壁に寄りかかりながらゆっくりとよろめき、水たまりに足を踏み入れては、円形の波紋を描いていく。
午後七時を過ぎ、ラッシュアワーも終わった。退勤まであと四時間、人通りは緩やかに減り始め、彼もようやく少し息をつけた。
林洛は高校三年を卒業したばかりの学生だった。大学入試も終わり、家に引きこもっているのもつまらないと思い、一人で街に出て小さな部屋を借り、毎日アルバイトの保安検査員として小遣いを稼いでいた。
保安検査員の仕事は単純だ。探知棒を持ち、通過する乗客の体をスキャンして金属物がないかを調べるだけ。
彼の担当ブースでは、無愛想な中年のおばさんが相棒だった。座って検査装置のモニターを見ながら、乗客の手荷物に危険物がないかをチェックするのが彼女の役目。二人の会話は、朝の「おはよう」と夜の「さようなら」だけに限られていた。
「本当につまらないな…」林洛は心の中で思った。彼は前方の乗客たちをこっそりと観察し始めた。少し失礼ではあったが、他に気晴らしの手段がなかったのだ。
例えば、今目の前にいる中年の男。書類鞄を持つ手にはインクが付き、スーツの袖口にはチョークの粉がこびりついている。その目は厳しさの中に疲労をたたえていた。
「うん、どうやらとても厳しい教師みたいだな」林洛は心の中で密かにそう考えた。
次は、白髪まじりの老婆だ。背中を丸め、色あせたバッグを腕にかけ、中にはスーパーの特売野菜が入っている。その目は優しかった。
「優しくて倹約家のおばあさんみたいだ」
次に来たのは一人の少女だった。長いニーハイソックスを履き、下は黒いフリルスカート、上は淡い色のブラウスにカーキ色のワイドなアウターを合わせ、大きなレザーバッグを背負っている。口には小さな棒切れをくわえ、非常に明るい印象を与えていた。
見た目は?…林洛が顔を上げると、真っ先に飛び込んできたのは彼女のその瞳だった。
**チン・トン…………** ちょうどその時、地下鉄の到着音がホールに響き渡り、喧騒も一瞬にして静まり返った。世界には彼女の髪先のほのかな香りだけが残った。
おそらく未来のある日、彼は夏の夕暮れを振り返り、酒杯を掲げて酔いながら、この素晴らしい瞬間を誰かに語るだろう。その時の彼はこの瞬間の記憶はすでにぼやけているかもしれないが、それでもあの日、少女の髪先の香りだけは覚えているに違いない。
おそらく、一目惚れというものはこういうものなのだろう。本当にそれが訪れた時は、いつも人を不意打ちにするものだ。百万回すれ違う人よりも、彼女の一瞬の振り返りには敵わないのだ。
「おい、ガキ。そんな風にジロジロ見るのはすごく失礼だぞ」少女が言った。
「すみません」林洛は恥ずかしそうに頭をかき、頬を赤らめた。見つかるなんて思っていなかった。
幸い、少女は彼を詮索せず、振り返って改札の中へ消えていった。
「ふぅ…」林洛は息を吐いた。隣に座っている中年のおばさんは相変わらずモニターに顔を近づけている。もし彼女に見られていたら、先輩として後輩である彼に小言を言われたところだった。
**ハッシュ…** 物語は始まる。
誰かが奇妙な小唄をそっと口ずさんでいる。目立たない片隅で、薄いベールのように漂っている…………
こうして四時間はあっという間に過ぎた。
中年のおばさんはすでに私服に着替え、退勤の準備をしていた。
「点検が終わったら早く帰りなさい。最近はあまり平穏じゃないんだ。もう何人も連続で行方不明になっているから」鍵を林洛に渡しながら、彼女はそう言い含めた。
「はい、ありがとうございます」林洛は鍵を受け取った。
おばさんは悪い人じゃない、ただよく仏頂面をしていて、近寄りがたい印象を与えるだけだ。
彼の今日最後の任務は、地下鉄の線路を点検し、問題がないことを確認することだった。それが終われば退勤だ。
懐中電灯を掲げて暗い通路に足を踏み入れる。この通路はなかなか不思議な場所だった。地下鉄は地下に建設されているのに、トンネルに吹き抜ける終わりのない風は、地上よりもずっと激しい。
懐中電灯の光の束の中で、埃が星空のように空中にちらほらと漂っている。トンネル内の空気が確かに良くないことがわかる。
鋼鉄に覆われたトンネルは、前へ、前へ、さらに前へと延びている。まるで隔絶され、鋼鉄の地下墓所と化したかのようだ。
**パタ、パタ** と足音が静寂の中に響く。彼は歩みを進めた。前方に角が見える。しばらくすると、その角の向こうから不気味な「ゴロ、ゴロッ」という怪音が聞こえてきた。
「何か小動物が入り込んだのか?」侵入した動物の駆除も彼の点検任務に含まれていたので、確認に行かなければならない。彼の足音が近づくにつれて、「ゴロ、ゴロ、ゴロッ」という音はますますはっきりと聞こえてきた。懐中電灯の光の中に、黒っぽい塊が近づいてくる。
「あれは何だ?大型犬か?」林洛は心の中で疑問に思った。その影は丸まって小さくなり、微かに震えていた。
**パタ、パタ**
さらに数歩近づくと、林洛はついにその正体をはっきりと見た――それは紛れもなく人間の形をしていたのだ!その者は頭を地面につけ、何かを食べていた。まるで獣が貪り食うように。ゴロゴロという音もそこから聞こえてきた。一股の寒気が一瞬で彼の背筋を駆け上がった。
「あ、あの…大丈夫ですか?」彼は声を絞り出すように言った。
地面に伏せていたその者は声を聞いて、ゆっくりと頭を持ち上げた。懐中電灯の光がその顔を照らした時、林洛の体中の血液が凍りつきそうになった――なんという目をしているんだ!貪欲、凶暴、悪意が渦巻いており、まるで草原の邪悪なハイエナのようだった。大きく裂けた口には血がべっとりと付き、口角からはまだ血の滴がしたたり落ちていた。
さらに彼の魂を震え上がらせたのは、その者の体の下にあったもの――血まみれで形もわからない残骸だ!かじり尽くされて原型を留めていなかったが、林洛はそれが人間の手足だと認識できた。残骸の上には、だらりと何本かのピンクがかった黄色の腸が乗っていた!
「ウソだろ…!」林洛は頭皮が裂けるほどの衝撃と恐怖に襲われ、体をひねって逃げ出そうとした!
しかし、もう遅かった!その怪物は喉の奥で「グルッ」という低いうなり声をあげ、手足を地面につけながら林洛に襲いかかってきた!
「やべえ!」林洛は慌てふためいて後退したが、足が何かに引っかかり、バランスを崩して地面にドサッと倒れこんだ。
「ウゥ…腹…減った…食う…」怪物は喉を鳴らし、よだれが口角から滴り落ちている。その恐ろしい目は林洛をしっかりと捉えていた。
「くそっ、こいつ何なんだ」林は地面に座り込んだまま、目の前の怪物が一歩一歩近づいてくるのを見つめた。彼の足はさっき転んだ瞬間に力が抜けてしまっていた。普段の状態でも、この怪物の足には到底敵わない。
怪物が林洛に襲いかかろうとしたまさにその時、千鈞一髪の瞬間、銃声がトンネル全体に響き渡った。
林洛の目の前で、怪物の頭が爆ぜたスイカのように吹き飛び、赤と白が混ざったものが彼の全身に飛び散った。生臭い匂いが鼻腔に爆発的に広がり、淀み続けた。
「やあ、また会ったね。お前、結構ツイてないな。でも俺に会えてラッキーだったぜ」少女は彼に向かって片眉を上げた。
少女は相変わらず小さな木の棒をくわえ、左手には長い柄のついた黒いダガーを逆手に握り、右手には奇抜なデザインの拳銃を持っている。両足のガーターベルトにも拳銃が二丁挿してあった。表情は相変わらず、風も心も動かさない無表情だった。
「……」林洛の顔は蒼白だった。あれは怪物とはいえ、少なくとも人間の形をしていた。目の前で頭を撃ち抜かれ、脳みそまで浴びせられるとは、誰だってたまったものではないだろう。
「うーん…吐きそうなら吐いたほうがいいぞ。我慢するよりマシだ」少女は彼の窮状を見抜き、ウェットティッシュのパックを投げてよこした。
**ゲロッ** 壁に寄りかかった林洛は三度目の嘔吐をしていた。目の前で爆発した衝撃は、彼にとってまだ大きすぎるものだった。
「……」少女は吐き続ける林洛を無言で見つめ、口の中の棒を噛みしめた。
「お前のメンタル、相当弱いな。ただの死体じゃん…課長ったら、こんな簡単な任務をB級認定するなんてよ」
「……」林洛は黙り込んだ。目の前のこの少女は、明るく活発で、神奈川系のギャルスタイルに溢れているように見えたのに、まさかあんなに断固たる態度で、まさに「泰山が崩れても顔色一つ変えず、麋鹿が左に現れても目もくれない」タイプの人だったとは。
林洛は携帯を取り出し、電話をかけようとした。明らかにこの状況は彼の手に負えないものだった。
**バン!バン!バン!** また三発の銃声が響いた。林洛は驚いて飛び上がり、目の前の少女の銃口が自分に向けられていることに気づいた。
そうだ。少女は無害そうに見えたが、銃を撃つ時の断固たる態度と冷静さは、彼女が普通の家の娘ではないことを示していた。だから、彼女がここで彼に一発撃っても、誰にもわからないだろう。
「おい、少年。ぼーっとするな、伏せろよ」目の前の林洛を見て、少女は心底呆れていた。
「このガキ、どうなってんだ?こんなにボンヤリして。こんな状況でぼーっとしてるなんて」
さっき頭を吹き飛ばされたはずの瘴鬼(しょうき)が、なんと再び体を起こしていた。砕けた頭蓋骨からはまだ血が滴っていた。
普通の瘴鬼なら、頭を撃ち抜かれれば即死するはずなのに、こいつはまだ起き上がれるとは。
「ウゥ、ウゥゥ」
怪物の砕けた頭の喉から奇妙な音が漏れ、手を伸ばして前方を探っていた。三発の弾丸がその体に命中したが、淡い弾痕を残しただけで、他に影響はなかった。
「面白い…。今度は弾が効かなくなったか?」少女は思い切って手にしていた拳銃を地面に投げ捨てた。
「おい、少年。自分で隠れる場所を探せ。これからはお前を助ける暇はないからな。警察に通報するのも考え直せ。今の状況じゃ、こいつを殺さない限り、俺たちは出られないんだ」
そう言うと、少女は足に力を込め、ダガーを構えて彼の後ろにいる怪物へと突進した。
怪物もまた、少女に向かって突進してきた。
**ドン!** 少女の手の中のダガーが長槍(やり)へと変わり、瘴鬼の心臓を目がけて突き出された。
怪物は鈍重に見えたが、意外にも非常に素早く、体をかわすだけでそれを避けた。少女は続けて槍で地面を跳ね、自らを空中へと放り出し、長槍は再びダガーへと変化。閃くように瘴鬼の背中へと突き刺さった。
瘴鬼はなんと両手を後ろに翻(ひるがえ)し、一つの枯れた腐った手で少女の右手首を直接掴んだ。
「…キモッ」少女は歯を食いしばり眉をひそめた。左手で虎爪(こそう)の構えを取り、背中を襲う。その巨大な衝撃で怪物は地面に叩きつけられた。
右手のダガーは短剣へと変わり、左手に現れた。彼女を拘束していたその手を斬り落とすために振り下ろされた。
瘴鬼の手が**パタリ**と地面に落ちた。地面に倒れた瘴鬼はお腹を縮めながら再びゆっくりと立ち上がった。片手を失ったことに対して、まるで何も感じていないかのようだった。
「おかしい…」少女は怪物の腕の傷口を見た。その中で何かが蠢いているようだった。
**ハッ、ハッ** 林洛は壁にもたれ、大きく息を荒げていた。今夜の出来事は全て夢のようだった。かつて彼は徹底した唯物論者だったが、今晩は様々な怪力乱神が彼の世界に現れた。これら全てがあまりにも彼の認識を覆すものだった。さっき彼は電話をかけようとしたが、なぜかずっと繋がらなかった。
「あの角を曲がれば出口だ。出たら必ず警察に通報しなければ」彼はそう考えた。
しかし、角を曲がったその時、彼は完全に呆然とした。
目の前にあるのは地下鉄の出口などではなかった。彼は最初の場所に戻っていたのだ。あの少女は相変わらずあの怪物と戦っている。まるで彼が全く移動していなかったかのように。
少女は突然現れた林洛に構っている暇などなかった。さっきまでの間に、彼女は怪物のもう片方の腕と片足を切り落としていた。
だが、彼女が最も気にかけていたのは、怪物の治癒能力がますます強くなっていることだった。最後に足を切り落とした時は、ほんの数呼吸の間に新しい太ももが生え、しかも新しく生えた四肢は以前よりも強靭になっていた。
「本当に厄介な奴だ…」
少女はまず左手で掌底(しょうてい)を打ち出し、右手で寸勁(すんけい)をその腹部に叩き込み、最後に一発の撑锤(ちょうつい)で瘴鬼を吹き飛ばした。手にした武器は長戟(ほこ)へと変わり、すでに外骨格化していた瘴鬼の皮膚を貫通した。
少女は長戟を担ぎ、怪物ごと壁に打ち付け、一時的にその動きを封じた。
「ふぅ…」少女は息を吐いた。ようやく一息つける。彼女の上着は邪魔だったのですぐに脱ぎ捨て、隅っこに投げられていた。淡い色の半袖シャツも体中に汚れがついていた。
終わったのか?隅に隠れていた林洛は遠くの少女を見つめた。彼女は誰かと通話しているようだった。
「危ない!!!」
**バン!**
頼りない課長を罵っていた少女は突然林洛の声を聞き、すぐ後に銃声が響いた。
彼女は振り返って瘴鬼を見た。それはすでにぐったりしていた。銃弾が命中した場所には、一匹の巨大な虫の肢がまだ蠢いていた。
拳銃の衝撃で林洛の腕は脱臼し、激しい痛みで彼は気を失った。
さっき、林洛は少女が彼女の後ろで蠢く怪物に気づいていないように見えたので、声をかけようとした。しかし、体が勝手に動き、地面に落ちていた拳銃を拾い、ゆっくりと構え、銃を掲げ、引き金を引いた…一連の動作が流れるように…まるで…悪霊が彼の背後で操っていたかのように……
意識の最後の映像で、林洛が見たのは、焦って彼に向かって駆け寄ってくる少女の姿だけだった……
どれくらい経っただろうか。林洛が再び目を覚ますと、病院のベッドの上にいた。彼の右腕には包帯が巻かれている。
温かな小さな間接照明が白い天井を照らし、周囲の壁は茶色の木目調のパネルが貼られている。個室の病室だった。空気にはほのかな白檀の香りが漂い、少女は大きな窓辺にもたれて携帯をいじりながら、相変わらず小さな木の棒を口にくわえていた。
少女も目を覚ました林洛に気づいた。
「お、起きたか」携帯をしまい、少女は近づいてきた。
「はい」林洛は顔を赤らめてうなずいた。「ここは…」
「病院だ。お前が気絶した後、俺が連れてきた」
「お前、結構面白いガキだな。初めて銃を使ったのに、あんなに正確に撃てるなんて」少女が言った。
「あれは…」林洛は当時の状況を思い返し、言葉を飲み込んだ。
「おそらく、それが彼の能力だろう」低い声が病室の入口で響いた。開いていたドアが押され、二人の男が入ってきた。
先頭に立つのは、黒い長外套を羽織った老人だった。赤木の獅子頭の杖を持ち、灰色の髪を大きなオールバックに整え、ダークなサングラスをかけ、短い顎鬚を生やしている。長外套の下にはダークレッドのスーツ、金と黒のチェック柄のネクタイを着け、黒い革靴はピカピカに磨き上げられ、全身に余分な皺一つなかった。
後ろの男は非常にだらしない格好をしていた。体に合っていないサイズのスーツを羽織り、中の白いシャツがはみ出している。適当に引っかけられた紫色のネクタイは、どこかのコンビニの前で引っ張ってきたもののようだ。靴も適当なスリッパを履いていた。
「校長」
「うむ」
少女と先頭の老人は軽くうなずき合い、挨拶を交わした。
「おい、クソジジィ!お前、あの時どう言ってたんだ?え?答えろよ」少女は二番目の男に飛びかかり、指を彼の鼻先につきつけて言った。
「アラー、アラー」男は気まずそうに笑いながら言った。「どうせ大した損害も出てないだろ?だって…」後ろになるほど声は小さくなった。
今回は確かに彼のミスだった。機械が検出した瘴気値と実際の怪物の危険度がこれほどまでに乖離しているとは思わなかった。少女の能力が強力でなかったら、普通の捜査官なら本当に痛い目を見ていただろう。
口論する二人を見て、身なりが整った老人はため息をつき、林洛の方を見た。
「小友よ、おそらく今、君には多くの疑問があるだろう」。
林洛はうなずいた。これまでに起こったことはあまりにも途方もなかった。怪物、超能力、戦い、鬼打牆(鬼打ち)…………
「では、これから私が説明しよう…この世界の真実についてを」
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瘴封神記を斬る @za1
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