あの夏の円盤石狩り
矢木羽研(やきうけん)
封印されていた思い出
「お、今度は純血ナーガか。まだ出てないやつだっけ」
「ねえ、ラベル早くしてよ」
「わかってるって!」
チョキ、チョキ、チョキ……。僕はビデオテープ用の余ったラベルシールをハサミで切り分ける。君がそこにボールペンでモンスターの名前を書き込み、CDケースに貼りつける。使い道すらわからないビジネスソフトの体験版は、この瞬間に古代の戦闘種族「ナーガ」が封印された円盤石となった。
実家の押し入れのケースの中から出てきた古いCDの束。そこに貼ってあったシールを見た瞬間、あの夏の思い出が蘇った。少し歪んだシールの形は、不器用な僕が切ったものだ。そして少し丸みのあるカタカナは、間違いなく君が書いたものだ。
*
1998年夏。プレイステーション用ソフト『モンスターファーム』が、僕たちのクラスで流行っていた。発売したのは前年なのだが、当初はあまり話題にならなかったパターンのようで、とにかく僕の周りでは1年遅れでブームがやってきたのだ。
プレイステーションのCDドライブ機能を活かして、あらゆるCDのデータを読み取り、それを元にモンスターを生み出すというシステムが売りであった。このCDのことを、ゲームの世界の中では太古の遺跡から発掘された「円盤石」というアイテムに見立てているのだ。その円盤石に封印されたモンスターを神秘的な力で蘇らせ、ファーム(牧場)で育てて、バトルで頂点を目指すというゲームである。
CDであればなんでも構わない。音楽CDはもちろん、パソコン用のCD-ROMも、プレステ以外のゲームソフトすら読み取ってしまう。家中のCDを片っ端から再生した僕達は、新たなCDを求めていた。とはいえ小学生のおこづかいでは、購入どころかレンタルすらも気軽にはできない。
「じゃーん!」
「どうしたの、そのCD?」
「電気屋さんでもらってきちゃった!」
ある日のこと、君は数枚のCDを持ってうちにやってきた。それらはビジネスソフトの体験版のようだが、当時の僕にとっては何に使うのかもさっぱりわからないものばかりだった。今となってはインターネットでのダウンロードが当たり前になったが、当時はこのように電気屋などで体験版を配布していたのである。回線速度も遅く、そもそもパソコンはあってもインターネットには繋いでいなかった家や企業もまだまだ多かった時代である。
「そっか、体験版ならタダでもらえるんだ!」
「すごいでしょ! 他のお店に行けばもっとあるかも」
そう言うと君は、プリクラが貼ってある手帳を広げる。僕たちは自転車で行けそうな店を思いつく限りリストアップしていった。電気屋はもちろん、パソコン売場がありそうな大型スーパーも、思いつく限り書き出してみる。
「今度の日曜日、探しに行かない?」
「いいね、競争だ!」
「えっ……うん。競争、ね。負けないから!」
君の少し寂しそうな声が蘇る。この時、なぜ僕は「一緒に行こう」と言えなかったのだろうか。ともかく、このときはなんだか照れくさかったし、勉強でも運動でも微妙に負けていた君と「競争」してみたかったのかも知れない。
*
「それじゃ、5時にここで集合ね」
「わかった。負けないぞ」
カレンダーで確認してみたところ、多分この日は7月19日。夏休みの初日の日曜日だったはずだ(当時はまだ土曜休みが第2と第4だけだったのである)。早めの昼食を食べてから家を飛び出し、駅前広場で待ち合わせた。僕は線路の東側、君は西側を探索することに決めた。
大手の電気屋さんは街道沿いにあるので看板が目立つ。さっそく一軒目だ。
「パソコン売場は……あっちか」
冷房の効いた店内を、案内板を頼りに進む。パソコン売場には何種類かの体験版ソフトが平積みされていた。
「せめてゲームがあればなぁ」
我が家にまだパソコンは無かったが、これからの時代は必要だろうと父親が言っていた。近いうちに買ってくれるかも知れない。どうせなら使い方もわからないビジネスソフトなんかより、ゲームソフトがあればいいのに。
「ありがとうございましたー!」
体験版ソフトを持ち帰っただけで何も買わなかった僕を、店員さんは笑顔で送り出す。なんだか居心地が悪い。リュックにソフトをしまい、持ってきたペットボトルのスポーツドリンクを一口飲む。まだ勝負は始まったばかりだ。
*
「枚数では私の勝ちだね」
「大事なのは中身だし!」
約束の5時。駅前広場には僕のほうが遅く到着した。お互いにカバンの中を軽く見せあってから、僕の家へと向かう。さっそく「円盤石」の開封だ。どちらが言い出したのか覚えていないが、何が出たのかをメモするために、ビデオカセットのケースから余ったラベルを取り出し、切り分けてCDに貼り付けることにしたのは前述したとおりである。
「あ、ハムだ! 欲しかったやつ!」
ウサギ型モンスター「ハム」。何枚か見つけたと聞いていたが純血種は初めてだという。データ構造の都合か、パソコン用のCDは純血モンスターが生まれやすいと言われている。純血同士を揃えておくと合体で好きな種族を作りやすく、便利である。
「ちぇっ、またディノか」
ゲーム内でもいくらでも手に入る恐竜型モンスター「ディノ」。CDからの出現頻度も高く、完全に「ハズレ」枠である。一応ステータスもチェックしてみるが、能力も技も特徴のないものばかりだった。
その日、合わせて十数枚のCDを再生しただろうか。結局「勝負」はうやむやになったような気がする。夕方と呼ぶにはまだ高い太陽。窓から見えるアスファルトの陽炎。蚊取りマットのLED。テーブルの上の麦茶の結露。網戸をすり抜けるセミの声と、隣の家の風鈴の音。君の汗の匂いまで思い出せそうな気がする。
*
彼女と会ったのは、この日が最後だった。お互いに帰省やら習い事やらで遊べない日が続く中、夏休みの間に急に決まったという親の転勤で、2学期になる前に転校してしまったのだ。
その後、何度か手紙のやり取りはあったような気がするが、中学に上がる頃にはすっかり音沙汰もなくなってしまった。あの頃は僕も青春の真っ只中であり、新たに「好きな人」ができたのだ。その後も何度か恋を繰り返すうち、彼女のことを思い出すこともなくなっていった。
僕はふと思い出し、「ハム」のシールが貼られたケースを開く。あの日、別れ際に彼女がくれたプリクラが貼ってあった。電気屋で新型を見つけたので思わず撮ったという。親や友達に見られるのは恥ずかしいと言ったら、ケースの裏側に押し付けるように貼っていったっけ。照れくさくて見返すのも恥ずかしがっていたうちに、すっかり忘れていた。
もしかしたら彼女は、夏休みのうちに転校するということをすでに知っていたのだろうか。口には出さなかったのは別れを意識させたくなかったからか。それでも、せめて思い出を残すつもりでプリクラを貼ってくれたのかも知れない。僕が気づく間さえもなく、いつの間にか終わりを迎えていた初恋の名残り。そう思うと、少し色褪せたプリクラがとても愛おしくなる。
「ねえ、何見てるの?」
不意に、後ろから娘が声をかけてくる。いつの間に入ってきたのだろうか。思わず僕はケースを閉じる。
「えへへ、見ちゃったよプリクラ。パパの好きだった子でしょ?」
「もう、勘弁してくれよ」
「ママには内緒にしておいてあげるから。その代わり……」
いたずらっぽい顔でおねだりを考えている娘と、ケースの中の写真の笑顔を重ね合わせる。娘はあの頃の僕達と同じ小学6年生だ。きっと親には秘密の恋もしているだろうなと思う。
「そうだ、なんかゲーム買ってよ。Switch2買ってなんて無理は言わないから、パパがやりたいソフトでもいいから!」
「そうだなぁ……。お、モンスターファームがあるのか!」
娘の持ってきたSwitchのストア画面を開き、試しに検索してみたところ、まさしく僕達があの夏に遊んでいたソフトが、そのまま移植されているようだった。
「なにこれ?」
「パパが子供の頃に遊んでたやつ。面白いぞ」
「ふーん……。あ、このウサギみたいなのかわいい!」
パッケージイラストの片隅に小さく写っているハムを見つけて娘の声が高くなる。そうか、君もハムが好きになったか。
「ハムっていうんだよ。育ててみるか?」
「え、もう買ってくれるの?」
「ああ、懐かしくなっちゃったからな」
あの夏、ケースを開けることすら照れくさくて育てられないままだったハム。まさかこんな形で育成する機会が訪れるとは思わなかった。
「ところであの子、誰なの?」
「ただの同級生、同じクラスのね」
「どこでデートとかしてたの?」
「してないって。だいたい、デートしてたら一緒に撮るだろ?」
そうか、もしもあの日「競争」なんかしなかったら、彼女とデートして、一緒にプリクラに写っていたかも知れない。もしそうしていたら違う未来があったのだろうか。
「確かに。でもプリ持ってるってことは、その子の片思いってこと? パパやるじゃん!」
「そうだぞ。パパはモテたんだぞ」
「ねえ、ママとはどっちから
ゲームをダウンロードする間、娘は次から次に質問をぶつけてくる。うかつに変なことを喋らないように気をつけないといけないと思いつつ、娘と恋バナができる幸せを噛みしめるのであった。そう、この娘と妻がいる今こそが、僕にとっては唯一の人生ではないか。
あの夏の日は、今の夏へと続いている。君もどこかで誰かと、幸せな日々を送っていることを願う。
あの夏の円盤石狩り 矢木羽研(やきうけん) @yakiuken
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