第40話 未来をひらく鍵


 風にそよぐ新緑が、やわらかに陽光を反射していた。

 王宮の私邸にある静かな一室。真新しい白木の揺りかごの中で、小さな命がすやすやと眠っている。


「……かわいい……」


 マリアベルは赤子の頬にそっと指を添えた。

 生まれたのは健やかな女の子だった。


「名前は……リュシエル。光のように、澄んだ未来を照らしてくれる子になりますように」


 そう名付けたのは、マリアベルとカザエル、ふたりでの話し合いによるものだった。


 柔らかい栗色の髪、マリアベルに似た目元、そして小さな手を握って離さない力強さ。

 その全てが、ふたりにとってかけがえのない宝物だった。


* * *


「これは……防寒対策だ。これから夏でも冷える日があるからな。ほら、羽織ものを三種類と、帽子も風通しのいいのと綿のと二種、それから……」


 カザエルは、王妃の私室に並んだ赤子用品を一つずつ確認しながら、侍女たちに指示を飛ばしていた。


「陛下、お着替えのお時間が迫っております」


「あと五分だけ! この新しいベビースローは本当に必要なんだ!」


 マリアベルは、ベッドで赤子を抱きながらため息まじりに微笑んだ。


「もう……陛下ったら完全に“親バカ”ですわね」


 そう言いながらも、赤子のほっぺにちゅっとキスをしてしまう自分に気づいて、マリアベルはそっと顔を赤らめた。


「……私も、けっこうな親バカね……ふふ」


 その瞬間、リュシエルがふにゃりと笑ったように見えた。


「カザエル! 今、笑ったわよ!」


「本当に!? おい侍医! 王室記録係を呼べ!」


 こんな一日の連続だった。


* * *


 出産から半年後、マリアベルは再び少しずつ政務に戻っていた。

 とはいえ、以前のような全日勤務ではなく、“未来への鍵基金”を軸とした教育・福祉政策に絞った働き方だった。


 ある日、地方都市カバナリスを視察に訪れた彼女は、小学校の教室で、たった五人の少女たちが学んでいる場面に出くわした。


「男子は百人以上いるのに、女子はたった五人ですか?」


 案内した校長が、肩をすくめた。


「未だに“女子の教育は不要”とする保守的な家庭も多くて……就学支援はまだ行き渡っておりません」


 その言葉に、マリアベルは静かに頷いた。


 ――確かに、王都では制度が整いつつある。

 だが、地方では依然として“前の時代”が残っている。


 マリアベルは少女たちに優しく語りかけた。


「選ぶことは、強くなること。皆さんが“学びたい”と声をあげたこと、それがすでに素晴らしい一歩なのよ」


 少女たちは、驚いたように目を輝かせて頷いた。


* * *


 視察から戻った夜、マリアベルはカザエルの隣で、リュシエルの寝顔を見つめていた。


「……まだまだ、遠い道のりだと感じたわ」


 そう呟くマリアベルに、カザエルは肩を寄せた。


「でも君は、それをひとつひとつ変えてきた。そしてこれからも変えていく」


「ええ。わたしたちの娘に、選択肢のある未来を渡したい。

 “お前は女だから無理だ”なんて、もう誰にも言わせたくないの」


 リュシエルの小さな寝息が、未来への約束のように静かに響いていた。

ふと、彼女は未来の娘の姿を空想する。


「この子が、十年後に『学者になりたい』って言ったら?」

「反対する理由がないな。むしろ研究資金を確保しないとな」

「じゃあ、兵士になりたいと言ったら?」

「……うーん……その場合は王宮の護衛隊限定でお願いしたい」


 マリアベルがクスリと笑い、カザエルが真剣にうなずく。


「私たちが創った制度は、すべての子どもたちの“鍵”になる。

 だから、君がこの国にとって“未来をひらく鍵”だったこと、私はずっと誇りに思っているよ」


 ふたりの視線の先には、静かにまどろむリュシエルと、彼女の手の中に握られた、まだ見ぬ未来の可能性があった。


 リュシエルを寝かしつけた後、マリアベルは、カザエルから渡された一通の報告書を手に取った。

 そこには、かつて記録局で抜け落ちた帳簿の発見を成し遂げたアデル・ノルテが、地方教育局の助言官として活躍している様子が綴られている。


「“地方の女子教育推進モデル校”が開設され、初年度は女子生徒が男子を上回る比率で入学――」


 素直に喜ぶマリアベル。


(私の背中を見てくれていた人が、今度は誰かの未来を照らしているんだ――)


* * *


 翌年、義務教育の全国展開と、就学支援の拡充案が議会を通過。

 女性参政権に向けた法案は、いよいよ本会議の場へと進もうとしていた。


 ――改革は続く。


 けれどそれは、特別な誰かのためではなく、無数の“名もなき誰か”が自ら未来を選ぶための、一歩。


 マリアベル・グランレイド。

 かつて「女にしては出すぎた真似」と嘲られた彼女は、今や国を動かす“鍵”となり、ひとつの時代を開いた。


「ねえ、カザエル。あなたにとって“鍵”って何?」


「君だよ、マリアベル。この国を閉ざしていた扉を、ひとつずつ開けてくれた」


「……わたしにとっての鍵は、“想いを繋げる”こと」


 そして今、その想いは、次の世代へ――。





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ご愛読ありがとうございました。


2025/6/30より

『“悪役令嬢”承ります。〜《ヴィランズ・レディの事件帖》〜』

の連載をスタートします。


その他、完結済みや連載中作品もありますので、よろしければぜひそちらもよろしくお願いします。


今後も執筆頑張りますので、引き続きひだまり堂をどうぞよろしくお願いします。


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めざせトップオブレディ 〜女にも未来は変えられる〜 公爵令嬢の“鍵”の物語 ひだまり堂 @mrk817

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